今日の女王サマ

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東京タワー

2005年10月26日 | 映画&本&音楽&TV
この本を読むまで、リリー・フランキーと言う人は名前ぐらいしか知りませんでした。汐留地区のイベント情報誌「GO! SHIODOME PRESS」で、リリーさんが取材していた「シオドメノオトメ(汐留の乙女)」という記事があったなぁ・・・って、それぐらい。

九州・小倉で生まれたリリーさんは激しい性格の父親と、何をおいても息子一番の母親、そして自分のことを初めての長編にしました。
このお母さん(以後オカン)は、リリーさんの父方の祖母、つまりオカンにとっては姑である人との折り合いが悪かったので、リリーさんを連れて小倉から自分の実家のある筑豊へ移り住みます。この時以来、父親と暮らすことはなかったそうです。

私がこの本を読んで最初に泣いた場面。それはリリーさんが大分の高校へ進学する時、列車でオカンが作ってくれたおにぎりを頬張りながら、手紙を読む場面です。「自分のことはなにも記さず、ただボクを励ます言葉だけが力強く書いてあった。そして“母より”と締めくくられたその便箋と一緒に、しわしわの1万円札が1枚出てきた。ボクはおにぎりを食べながら涙が止まらなくなった。」

このお母さんはリリーさんが大学進学で上京したあとも九州に残り、いろいろな仕事をしながらリリーさんに仕送りを続けます。リリーさんといえば、東京で自堕落な生活を続け、もうホントにひどい生活。そんな中でも病気になったと言えば、オカンは朝一番の新幹線で駆けつけてくれる。

そんなオカンがガンになります。手術は成功するけど、住む場所は気兼ねのいる家で、リリーさんは思いあまって東京で一緒に暮らすことを提案します。

本の後半はオカンが亡くなるまでの数年間のこと。
自分の葬式代として互助会に毎月3千円ずつ掛けて70回分、10年間コツコツ貯めた50万余の定額貯金証書、これらは「死んだら開けて」と言われていた粗末な紙箱から出てきたものでした。

リリーさんは「この金、ボクはよう使いきらんばい。死んだ後、迷惑かけんごと気を使いよってから。なんで、そんなことばっかり気にするん。-中略-オカンみたいな年寄りが自分の葬式のためにコツコツ切り詰めて毎月3千円ばかしをひぃひぃ言うて払いよる。27万で人に迷惑かけんでええと思うて安心して死んどるのに、そういう年寄りの気持ちを互助会とか葬儀屋はどう思うとるんかね」と語り続けます。

料理がうまくて、明るい気丈な性格のオカンはリリーさんの友人たちにも「ご飯食べて行きなさい」と言って食事の世話をするので、いつもお宅はにぎやかだったそうです。そんな友人たちからオカンはフランキーさんのママ、ママンキーと呼ばれていました。

亡くなって数年。「今でもボクは淋しいでたまらんよ」と呟き、一緒に行こうと約束していた(今となっては位牌となってしまった)オカンと、リリーさんは東京タワーの展望台へ初めて昇ります。

「どれだけ親孝行をしてあげたとしても、いずれ、きっと後悔するでしょう。あぁ、あれも、これも、してあげればよかったと。」

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