今日の女王サマ

映画、本、音楽、お出かけ、思ったことなどズラズラ書き連ねています。

告別式

2006年01月15日 | 家族

【1月13日】

告別式は12時から。最初の弔問客は式の始まる30分前に来ました。私の小学校中学校の同級生だった男性です。市会議員をしているので情報をキャッチするのが早かったのですが、一般の弔問客が来る前にサッと済ませて帰ったのは気配りからなのでしょう。
             
九州の親戚には知らせていませんので、当方の親族は一人も来ませんが、義妹の方の親族がたくさん来てくれました。義妹は大田区の出身。海苔で有名なある会社の一族です。

この日はとても寒く、告別式に来ていただくのも気の毒なくらいでした。

告別式と初七日法要が終わり、お棺の蓋を開け、祭壇にあった花で遺体のまわりを飾ります。団子といっぱい飯を足元に納め最後のお別れ。顔を触ると冷凍食品のような冷たさでしたが、意外に柔らかく、愛しさで胸がいっぱいでした。できることなら抱きしめたかったぐらいです。このときも母は最後まで目いっぱい顔を触りまくっていました。

そして、一人ずつクギ打ちをしたあと、火葬場へ向かいます。

どんよりとした空は今にも雨が落ちてきそう。父は家族のなかでも最強の雨男だったんです。

斎場まで車で15分ほど。到着すると弟と甥(この甥が高2なのによく頑張ってくれました)の手を借りて棺を釜に運びます。焼けるまで1時間から2時間はかかるということなので、親族と住職は控え室に移って待ちます。

このご住職さんは、お寺を継ぐまでは日本橋の会社に勤めていたという経歴があり、そのせいか腰がとても軽く、親族の少ない私たちに代わって弔問客にお酌をして回ってくれたりととてもありがたい心配りをしてくださいました。

1時間ほどして「○○様、終了いたしました」と放送で呼び出されます。太ももと背中の骨はしっかりとした形を残していました。親族での確認が終わると、係の人が骨を集めてくれて、最初に私と弟が一緒に骨を拾い骨壷に納めました。このあとは順番に少しずつ納めると後はまとめてザーッという感じで入れておしまいです。母は父のベルトと眼鏡を持参して骨壷に一緒に納めました。

帰りはお骨を持つ甥、写真を持つ母、位牌を持つ私が弟の運転する車に乗り、義妹と姪、他の親族はご近所さんの車に分乗して葬祭会場に戻ってきました。入り口に置かれた塩と水で手を清め精進落としの軽い食事をします。

遺体があるうちはなかなか思い切れませんでしたが、焼けて骨になってしまうと諦めがついてサッパリしました。不思議なもんですねぇ。

1月13日は父の誕生日。生きていればこの日で82歳でした。



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