おはようございます。
今日は全国的に「冬」へ逆戻りの気温だそうです。福岡もここ数日に比べると
やや寒いと感じております。皆様のところもそうでしょうか?
私は車で近くの宝満川や久留米の筑後川の土手道を通ることが多いのですが、最
近はその土手に「菜の花」が黄色い色を見せています。毎年のことながら「春」を感じ
させます。そして、イルカの名曲「なごり雪」の「♪今 春が来て 君はきれいになった
去年より ずっときれいになった」をつい口ずさむ今日この頃です。(^_^;)
「児童虐待」
今年に入ってまだ2カ月とチョッとの期間に死に至った児童虐待事件が2件(過去の
事件が今年になって発覚したのが別途2件)も報道されました。報道されたのがこの
件数ですから報道されない虐待は相当数あるのではないかと思います。
今日のタイトルに「児童虐待とわが母」と書くと私の母も私を虐待したのか?と思わ
れる方もあるかしれませんが、まるっきり逆です。(^。^)
「自分は死んでもこの子だけは・・」の愛情いっぱいに育てられました。
私は7人兄姉の末っ子として生まれました。生まれた時にはすでに二人の兄、姉は
病死していました。そして私が1歳になってすぐ父も気管支喘息で息を引き取ったそ
うです。それ以後は母の手一本で残った兄弟は育てられたのですが、残った一番上
の兄が落盤事故で死亡し(当時私は小学生)、母は悲しみのどん底だったことでしょ
う。父が死んでからは知人の紹介で「炭鉱」で仕事をし、周囲の人からは「保護家庭」
の申請を進められながらもそれを断り、すぐ上の兄と私を高校までやらせてくれまし
た。私は母の働く姿を見て「早く楽をさせたい」と思っていましたので、「中学卒業した
ら働きなさい」と言われても何ら不満もなかったのですが・・高校までやらせてくれて
感謝です。その母も94歳で他界して13年になります。
「児童虐待」の報に接するたび「おふくろの詰めの垢でも煎じて飲め!」と怒鳴りた
くなります。又その半面、私を産んでくれてこの歳まで健康体を授けてくれた母に
「ありがとう」と言っております。
今日は正午から「食事会」です。(*^^)v この食事会は約10年ほど前に「ホームヘ
ルパー講習会」を受講した時の同級生です。(^。^) 平均年齢は70を超えています
でしょうか!(^u^) でも皆さん元気です。半年に一度の「食事会」、今日はどんな
話がでるのかな?楽しみです。(*^_^*) (^.^)/~~~