臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

庄司天明さんの歌(『かりん』4月号掲載)

2010年07月26日 | 結社誌から
 去る7月19日の<朝日歌壇>馬場あき子選に「戦死にて骨なき墓を祀りたるわが村四戸に一戸の割合」という作品が掲載されていた。
 作者は山形県東根市在住の庄司天明さんであり、私も亦、それに感銘を受け、数行の観賞文をものしたのである。
 朝日歌壇での彼の入選作については、それまでにも触れたことがあり、それは「バレンタインのチョコを頬張り雛僧は托鉢へ発つ涅槃会の朝」という傑作であった。
 その作品を読んだ時、私は、作者名が<庄司天明>であることや、その作品内容から推して、作者の職業はお寺の住職ではないかと思ったのであるが、この度、インターネットで検索したところ、昭和三十四年の山形県立天童高校の野球部員名簿に「庄司天明(東根市)」と在り、山形県東根市にお住いの<庄司天明>という歌人が僧侶であるかどうかは別として、往年の彼が甲子園を目指して白球を追った、高校球児であったことは知ることが出来た。
 私が何故、庄司天明さんのストーカー紛いのことをしたかと言うと、昨日たまたま目にした、結社誌『かりん』の四月号の「作品Ⅰ・A」欄に彼の六首詠が掲載されていたからである。
 そこで今日は、それらを本ブログに転載させていただいて、観賞に及ぼうと思うのである。
 暇だから、見ず知らずの歌人の作品について云々しようとするのでは無い。
 一日の時間を四十八時間にしたい程に多忙ではあるが、『かりん』四月号に掲載された庄司天明さんの作品が、私の観賞意欲をそそるような内容の作品だから観賞したいと思ったのである。
 『かりん』に掲載されている彼の作品については、これからも注目して行くつもりである。


○  重箱の隅に残りし草石蚕(ちょろぎ)だけふるさと産のおせち食材

 「重箱の隅」を突付くのは評者・鳥羽省三であり、おせち料理にも食べ飽きた頃、「重箱の隅」に残った「草石蚕だけ」が「ふるさと産」の「おせち食材」であって、それ以外の食材、即ち<蒲鉾・きんとん・田作り・昆布巻き・伊達巻・数の子>などの「食材」は、全て他県産か外国産であることを知って、驚き悲しみ嘆いているのは、郷土愛の権化のような、本作の作者・庄司天明さんである。
 とは言え、庄司天明さんの愛する山形県は、隣接する東北各県と比較すればなかなかの研究上手、商売上手で、近頃は果物を中心とした農産物の一大生産地として、また、山形県産米「はえぬきどまんなか」の生産地として、更には、本酒の酒蔵などを観光客に公開するなどして、一躍観光地としても注目されている。
 その中でも、特に有名なのは、庄司天明さんの故郷の東根市であり、この地を主産地とする<さくらんぼ>や<ラ・フランス>は、東京市場の人気を独占しているのである。
 それにしても、JR東日本の奥羽本線の駅名が、いつの間にか「さくらんぼひがしね」になっていたのには、呆れてものが言えない。
  〔返〕 駅の名は<さくらんぼひがしね>乗客は両手に花の佐藤錦持ち   鳥羽省三


○ 夕陽背に犬引く影が畦わたるジャコメッティの「歩く男」が

 「夕陽背に犬引く影が畦わたる」とは、夕方、犬の散歩かたがた稲田の見回りをしている年老いた農夫の姿を写したものであろう。
 その農夫の姿が余りにも痩せこけていて、骨と皮ばかりで出来ているように思われたから、それを、手足や胴体が針金のように異常に細い、<アルベルト・ジャコメッティ>の彫刻作品に見立て、下の句で「ジャコメッティの『歩く男』が」と詠んだのでありましょう。
 <アルベルト・ジャコメッティ>はスイス出身の20世紀の彫刻家であり、具象彫刻から出発した彼が、数年の習作期間を経て第二次世界大戦後に創り始めた、<手足や胴体が針金のように極端に細く、異常に長く引き伸ばされた人物彫刻>は、「現代に於ける人間の実存を表現した抽象芸術」として、フランスの実存主義の哲学者<J・P・サルトル>によって高く評価されるなどして、世界的な人気を得た。
 それにしても、<人間の実存を抽象的に表現した>彫刻家・ジャコメッティに関心を抱く歌人が、<さくらんぼひがしね>という、現実的、即物的な駅名を持つ駅の在る田舎町に居住して、人付き合いして行くことは、なかなかの力業でありましょう。
 わずか十年足らずではあるが、庄司天明さんと同様に、お米や果物の生産地に暮らし、夕方になると、犬にこそ牽かれないが、妻に牽かれて稲田の畦道を散歩することを、雪が消えてから雪が降るまでの間の日課としていた評者にとっては、「夕陽背に犬引く影が畦わたる」という上の句の措辞に詠まれた風景は、涙無しには読めないような、懐かしく切ない風景である。
 「夕陽」を「背」に受けて、稲田の「畦」を渡るのは犬を連れた人では無く、犬に牽かれた人の「影」なのである。
 その「影」とは、他ならぬ庄司天明さんご自身の「影」なのかも知れない。
 北東北地方に於いては、犬の散歩のお供をしている人間の殆んどは、「ジャコメッティの『歩く男
』」のように、老いさらばえ、骨と皮ばかりになってしまった<後期高齢者>であり、彼らは、犬を牽いてと言うよりも、犬に牽かれて、田圃の畦道に「影」を落としてとぼとぼと歩いているのである。
 ところで、かく言う私は、病み上がりの身の上とは言え、決して「ジャコメッティの『歩く男』」のような痩身では無い。
 昨日の昼過ぎ、この頃の日課の一つとして、毎日出掛けている温泉施設の浴室で体重測定をしたら、何と64㎏も有ったのである。
 これでは幾らなんでもあんまりである。
 「ジャコメッティの『歩く男』」程には痩せたくないが、最低でも、もう6kgないしは7kg程度は体重を落としたい。
  〔返〕 愛妻に牽かれ水田に影落としそれが日課の散歩にぞ行く   鳥羽省三


○ この世には居るはずのなき友ひとりふたりが加わる還暦の会

 昭和三十四年に高三か高二であったとすれば、作者の今の年齢は、六十八歳か六十九歳でありましょう。
 したがって、本作は、数年前に行われた作者らの「還暦の会」を回想して詠んだ作品かと思われる。
 「この世には居るはずのなき友ひとりふたりが加わる」とは、その時の「還暦の会」が、その日が来るのを唯一の楽しみとして待っていながら、その日を迎えないままに亡くなってしまった同級生、「ひとりふたり」の話題で持ちきりとなったからであり、彼らの不幸な人生に同情する余り、その話に熱中し、いつの間にか、彼らが生きて居て、その「会」に出席しているようなかのような気分に、作者ご自身が陥ったからでありましょう。
 「良馬と晋作が死んだなんて信じられないなあ。中学時代、人一番元気だった彼らが黄泉路を行く人となって、彼らに苛められて小さくなっていたこの私が、ジャコメッティの『歩く男』のように痩せこけながらも生きているなんて、誰が思っただろうか。今日、この祝宴に来ている者の誰一人として、そんなことは思わなかったに違わない。ああ、彼らが生きていれば、この祝宴もどんなに盛り上がったことか。どんなに楽しかったことか」などと、お人良しの本作の作者・庄司天明さんが言えば、「野球少年、なにを言うか。今さら死んだ者の話をしたって、しょーがねーだろう。それに何だ、おめーの話に出て来る『ジャコメッティ』ちゅうヤツは。<ざっこ蒸し>なら、おらも知ってるけど、『ジャコメッティ』など誰も知らねーど。おめーは、何処の大学に入ったか知らねーが、時どき訳の分からないことを言うから、未だに人に嫌われていて、市会議員にもなれないで居るのだ。この俺だって、<どんべ大学>ぐらいは三回も入ってるど。そんな訳の分からない話ばかりしてねーで、先ず、飲め、飲め、この旨い酒を。俺の盃を受けられねーが、この馬鹿の差し出す酒など飲まれねーが」などと、その昔、クラスでげっぴりだったが、今では<ラ・フランス>作りの名人と言われている田仲一郎さんが、声を荒らげて言う。
 その隣席では、田仲一郎さんの家に手間取りに行って稼いでいる鷹嘴登さんが、田仲一郎さんの言葉に、しきりに相槌を打っている。
 「還暦の会」の下準備を殆んど一人でし、当日の宴会の司会者でもあった高階肇さんは、「いつ<中締め>をしようか。校長を定年退職した蠣崎栄作さんにいつ挨拶させようか」と、気が気で無いような状態に陥っている。
 宴会はいよいよ盛り上がり、いつ果てるとも知れない。
 そのうちに、ゲロを吐く者や宴席に居ながらおしっこを洩らしてしまう者などもいて、元の美少女たちが甲斐甲斐しくお世話をするのであるが、元の美少女たちの中には、甲斐甲斐しくも甲斐甲斐しく無くもお世話をしない<つわ者>が二、三人いて、彼女らはめぼしき男にダンスをせがんだり、宴果ててからの行動をしめし合わせたりもしているのである。
 田舎住まいの人々の<還暦祝い>に賭ける情熱はすさまじいものがある。
 彼らはその数年前から下準備に掛かり、当日の朝には、参加者全員が夏の熱い盛りに一張羅を羽織ってお宮参りをし、それと並行して、生存者と同数の昼花火を揚げ、それが終わると、死者への手向けと称して、一尺球や二尺球と言った、馬鹿でかい音響を伴った大花火を揚げるのである。
  〔返〕 亡くなった関晋作のカラオケでいよよ酣<還暦の会>   鳥羽省三


○ 葬列は本道歩み訣別す帰路は裏路わらぢ脱ぎ捨て

 本作は、例えば実の父母など、作者に極めて近い関係の者の葬式の次第をお詠みになったのでありましょうか?
 亡骸を棺に納め、火葬場に運んで行って荼毘に付し、骨上げをし、<三十五日>と称する<飲食の供>に至るまでの次第には、全国各地、様々の習俗が在るという事であるが、本作の作者が居住する山形県東根地方に於いては、亡骸を火葬場に送って行く際に、喪主などの主だった者が草鞋履きで行き、行きと帰りでは道を変え、草鞋履きの者は帰りの道の途中の何処かでその草鞋を捨てて、下駄や靴などに履き替えてから帰宅する、という習俗が、今でも行われているものと思われる。
 そうした習俗は、死者がこの世との繋がりの一切を断ち切り、迷わずに成仏するように、との願いを込めてのことだと言われている。
 「葬列は本道歩み訣別す」とは、「亡骸」を火葬場まで運んで行き、荼毘に付すまでの次第を説明したものである。
 「帰路は裏路わらぢ脱ぎ捨て」とは、火葬が終り、骨上げをして、死者に追いつかれないようにと、行きとは別の道、即ち「裏道」を選んで帰り、その「裏道」の途中で、さり気無くそれまで履いていた「わらじ」を脱ぎ捨て、靴か下駄か他の履物に履き替えたことを指して言うのでありましょう。
 庄司天明さんの居住地の辺りでは、火葬場へ向かう道を「本道」と称し、火葬場からの帰りの道を「裏路」と称しているのかも知れません。
  〔返〕 しずしずと歩むは行きで荼毘終えて帰る裏路すたこらさっさ   鳥羽省三


○ しがみつき急かされ進むおもむろに棺は出口で黄泉こばむ

 鑑賞者泣かせの一首である。
 先ず、詠い出しに「しがみつき」とあるが、これは、「誰が何にしがみつく」と言うのであろうか?
 これに続く言葉と合わせて考えると、「しがみつき急かされ進む」のは、作者たち、亡骸の近親者たちが、亡骸を納めた「棺」に「しがみつき」、予定時間に「急かされ」ながらも、火葬場への道を「おもむろ」に進んで行く、という意味ではないかと思われる。
 ここの辺りの表現には、「亡骸とは言え、自分たちがしがみつくようにしている「棺」の中に納められている者は、自分と血の繋がりを持つ者であるから、なるべくならば簡単には別れたくない。しかし、この葬式に関わって下さる、血縁者以外の方々のご迷惑を考えたら、葬式は予定時間通りに、いや、予定時間よりも速やかに進行させなければならない」といったようなジレンマに立たされた作者の、微妙な心理が反映されているものと思われる。
 此処までのところは何と無く解るが、その後の表現については判断に苦しむのである。
 「棺は出口で黄泉こばむ」とあるが、「棺」に納められている亡骸は、どうして「入り口」では無く「出口で黄泉」に行くことを「こばむ」のであろうか?
 事ここに至っては、今更じたばたしたって仕方が無いではないか。
 それも、「入り口」でなら未だしも、火葬場の「出口」でじたばたしてまで「黄泉」に赴くのを「こばむ」のは、所詮、無駄な抵抗と言うべきではありませんか。
 思うに、「棺」は竈の入り口で「黄泉」に行くのを「こばむ」としないで、「棺は出口で黄泉」に行くのを「こばむ」としたのは、焼き上がって消火された後、お骨が竈から出て来るまでの間の時間の長さを言ったものであり、死者がお骨になってからまでも無駄な抵抗を試みているものと思ってのことかとも思われる。
 早々に別れたくないのは、使者のみならず、生きて息をしている近親者の於いても同じことだろうと思われる。
  〔返〕 しがみ付き別れ難きは生者にて骨の熱さに命感じる   鳥羽省三


○ 人だれもわれといふ名の迷子連れひとり歩めり哀しさに堪へ

 本作の作者は、一首目から五首目までの作品の背景となった出来事を経験して、「『人』は『だれもわれといふ名の迷子』を『連れ』て、たった『ひとり』で『哀しさに堪へ』ながら、この世の道を歩いているのだ」と、感じるところがあったのでありましょう。
 「人だれもわれといふ名の迷子連れひとり歩めり哀しさに堪へ」。
 全くその通りである。
 「重箱の隅」に残った「草石蚕だけ」が「ふるさと産のおせち」の「食材」だなどと、下らないことを言って嘆いている者は、「われといふ名の迷子」を「連れ」て、「ひとり」「哀しさに堪へ」ながら、あの世に続くこの世の道を彷徨い歩いている者である。
 ジャコメッテイの『歩く男』のように痩せこけながら、「夕陽」を「背に」して「犬」に牽かれる自分の「影」を畦道に落として歩いている者は、「われといふ名の迷子」を「連れ」て、「ひとり」「哀しさに堪へ」ながら、あの世に続くこの世の道を彷徨い歩いている者である。
 「還暦」の祝宴の賑わいに酔えずに居る者も、酔っている者も、「われといふ名の迷子」を「連れ」て、「ひとり」「哀しさに堪へ」ながら、あの世に続くこの世の道を彷徨い歩いている者である。
 火葬場からの帰り道の途中で「わらぢ」を下駄に履き替えて、「ああ、これで喪主としての責任を無事に果たした」と、ほっと胸を撫で下ろしている者は、「われといふ名の迷子」を「連れ」て、「ひとり」「哀しさに堪へ」ながら、あの世に続くこの世の道を彷徨い歩いている者である。
 火葬場の竈から、身内のお骨がなかなか出て来ないことを気にしている者は、「われといふ名の迷子」を「連れ」て、「ひとり」「哀しさに堪へ」ながら、あの世に続くこの世の道を彷徨い歩いている者である。
  本作の作者ばかりか、評者である私もまた、「われといふ名の迷子」を「連れ」て、「ひとり」「哀しさに堪へ」ながら、あの世に続くこの世の道を彷徨い歩いている者である。 
 その孤独の道、彷徨いの道は、遠く遠く何処までも続くのである。
  〔返〕 人はみな犬に牽かれて杖突いて田圃の畦を歩むとは知る   鳥羽省三      


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