○ 少年は海獺のごとく背で泳ぎ日に仰け反りて喉仏見す (高石市) 木本康雄
馬場あき子選の一席作品である。
背泳ぎをしている様を「海獺」に例えた作品は、以前にも何度か読んだことがあるが、「『少年』は『仰け反りて喉仏見す』」と、「少年」が背泳ぎをしながら未だそれほど成熟しているとは思われない<男性・性>を誇示している様を描写した作品は初見である。
先日、大阪の単身赴任先から一時的に帰宅していた長男から、「小学校三年と幼稚園の年長の二人の(孫)娘を近所のプール施設に連れて行くから、成長振りを見に来たらどうだ」と電話が入った。
そこで、私と妻は、「あいつの娘自慢にも付き合い切れないな。でも、今日はあいつの誕生日だから、孫の顔というよりも、あいつの顔を見て置くのもなんらかの罪滅ぼしになるのかな」などと零しながら出掛けた。
私と妻とは水着も着ないで、彼ら三人が水と戯れている様子をプールサイドで見ているだけだったが、終わり頃になると、上の孫娘が背泳ぎをしながらプールを数回往復して見せた。
それを目にしていると、「この孫は父親が単身赴任赴任している間にずいぶん成長したな」などと思われて、「わざわざバス賃を掛けてやって来たことも無駄ではなかった」という気がした。
この孫娘がクロールや平泳ぎをしている時には、そんな気はしなかったのであるが、背泳ぎをし始めたら、俄然、そんな気になったのである。
背泳ぎをすることは、少年にとっては、<男性・性>を誇示することであり、少女にとってと、<女性・性>を誇示することであるのかも知れない。
〔返〕 少年は胸に貝殻抱かずに喉仏見せ背泳ぎをする 鳥羽省三
孫・雪菜祖父母われらに笑み見せてプールを泳ぐ背中で泳ぐ 々
○ 山荘を脱走せし犬「モル、モル」と呼べば狐がひょっこり顔出す (鎌倉市) 正田敬子
「山荘」という言葉を用いている点などは、いかにも鎌倉在住者の作品らしい。
「脱走」した「犬」に呼び掛けようとして「『モル、モル』と呼べば狐がひょっこり顔出す」とは、なかなかの意外性である。
〔返〕 犬の名は<モルモル>でなく<モル>である「モルモル」と呼べば狐顔出す 鳥羽省三
評者は川崎市に居住しているから、鎌倉市在住の作者に対して少しぐらいは嫉妬心を感じている。 したがって、この<返歌>は、評者から作者に対してのささやかな意趣返しである。(笑)
○ 早苗饗の庭に捌きし手許より鰻攫ひぬ鳶あざやかに (四万十市) 島村宣暢
「鰻」を捌いた場が「早苗饗の庭」とあるから、この「早苗饗」とは、農家個人が田植えの後で行った饗宴を指して言ったのでは無く、四万十市の何処かの地域で伝統的に行っている、本格的な神事としての「早苗饗」でありましょう。
<神事>たる「早苗饗」に於いて、神聖な「庭」という場で捌いて、神にお供えする供物としての「鰻」を攫って行ったのは、一羽の「鳶」である。
しかし、神への供物を横取りした、その「鳶」のお手並みが余りにも見事であったから、本作の作者と、ただ「あざやか」と感嘆しているのである。
〔返〕 神様の饗を攫った鳶なれど手並みあざやか憎む気もせず 鳥羽省三
○ げた箱に入りきらない長靴が横向きで待つ下校の時刻 (広島県) 底押悦子
連日の豪雨続きに対処するため、普段は物置の隅に置かれている「長靴」が、急遽登板の段に至ったのでありましょう。
学校の「げた箱」は、非常事態用の履物を入れることを想定して作られてはいないから、「長靴」を履いて登校した学童たちは、それぞれ自分の「長靴」を「横向き」にして「げた箱」に入れて置くしか無いのである。
昨夜来の雨がすっかり上がった「下校の時刻」、その「長靴」たちが、それぞれ「横向き」のままで、ご主人様たる学童たちを出迎えるのである。
〔返〕 横向きで長靴は児を待っている梅雨の上がった下校時刻に 鳥羽省三
○ 鏨と槌と楔持ち四百粁金山掘りし鉱夫ら短命 (名古屋市) 諏訪兼位
「鏨と槌と楔」を「持ち」、「四百粁」の長距離をものともせずに「金山掘り」に歩いた「鉱夫ら」の「短命」振りは、江戸時代の<鉱山町・院内銀山>の記録などで夙に知られていることである。
鉱塵に肺をやられてしまうのである。
〔返〕 鉱塵で肺をやられた鉱夫らの墓累々と院内銀山 鳥羽省三
○ 校庭で君のハンカチ拾いしは翡翠の鳴く分校の夏 (横浜市) 芝 公男
素朴な詠風ながら、切なくも爽やかな思い出を詠んでいるのである。
〔返〕 校庭で拾ひし君のハンカチに微かに残るレモンの匂ひ 鳥羽省三
○ 四足をふんばり親は雨に耐え子は流される川の猪 (神戸市) 有馬純子
実景なのか?
テレビ画面で視た風景なのか?
〔返〕 四足でふんばるばかりで子をば看ず激流中の猪の親 鳥羽省三
馬場あき子選の一席作品である。
背泳ぎをしている様を「海獺」に例えた作品は、以前にも何度か読んだことがあるが、「『少年』は『仰け反りて喉仏見す』」と、「少年」が背泳ぎをしながら未だそれほど成熟しているとは思われない<男性・性>を誇示している様を描写した作品は初見である。
先日、大阪の単身赴任先から一時的に帰宅していた長男から、「小学校三年と幼稚園の年長の二人の(孫)娘を近所のプール施設に連れて行くから、成長振りを見に来たらどうだ」と電話が入った。
そこで、私と妻は、「あいつの娘自慢にも付き合い切れないな。でも、今日はあいつの誕生日だから、孫の顔というよりも、あいつの顔を見て置くのもなんらかの罪滅ぼしになるのかな」などと零しながら出掛けた。
私と妻とは水着も着ないで、彼ら三人が水と戯れている様子をプールサイドで見ているだけだったが、終わり頃になると、上の孫娘が背泳ぎをしながらプールを数回往復して見せた。
それを目にしていると、「この孫は父親が単身赴任赴任している間にずいぶん成長したな」などと思われて、「わざわざバス賃を掛けてやって来たことも無駄ではなかった」という気がした。
この孫娘がクロールや平泳ぎをしている時には、そんな気はしなかったのであるが、背泳ぎをし始めたら、俄然、そんな気になったのである。
背泳ぎをすることは、少年にとっては、<男性・性>を誇示することであり、少女にとってと、<女性・性>を誇示することであるのかも知れない。
〔返〕 少年は胸に貝殻抱かずに喉仏見せ背泳ぎをする 鳥羽省三
孫・雪菜祖父母われらに笑み見せてプールを泳ぐ背中で泳ぐ 々
○ 山荘を脱走せし犬「モル、モル」と呼べば狐がひょっこり顔出す (鎌倉市) 正田敬子
「山荘」という言葉を用いている点などは、いかにも鎌倉在住者の作品らしい。
「脱走」した「犬」に呼び掛けようとして「『モル、モル』と呼べば狐がひょっこり顔出す」とは、なかなかの意外性である。
〔返〕 犬の名は<モルモル>でなく<モル>である「モルモル」と呼べば狐顔出す 鳥羽省三
評者は川崎市に居住しているから、鎌倉市在住の作者に対して少しぐらいは嫉妬心を感じている。 したがって、この<返歌>は、評者から作者に対してのささやかな意趣返しである。(笑)
○ 早苗饗の庭に捌きし手許より鰻攫ひぬ鳶あざやかに (四万十市) 島村宣暢
「鰻」を捌いた場が「早苗饗の庭」とあるから、この「早苗饗」とは、農家個人が田植えの後で行った饗宴を指して言ったのでは無く、四万十市の何処かの地域で伝統的に行っている、本格的な神事としての「早苗饗」でありましょう。
<神事>たる「早苗饗」に於いて、神聖な「庭」という場で捌いて、神にお供えする供物としての「鰻」を攫って行ったのは、一羽の「鳶」である。
しかし、神への供物を横取りした、その「鳶」のお手並みが余りにも見事であったから、本作の作者と、ただ「あざやか」と感嘆しているのである。
〔返〕 神様の饗を攫った鳶なれど手並みあざやか憎む気もせず 鳥羽省三
○ げた箱に入りきらない長靴が横向きで待つ下校の時刻 (広島県) 底押悦子
連日の豪雨続きに対処するため、普段は物置の隅に置かれている「長靴」が、急遽登板の段に至ったのでありましょう。
学校の「げた箱」は、非常事態用の履物を入れることを想定して作られてはいないから、「長靴」を履いて登校した学童たちは、それぞれ自分の「長靴」を「横向き」にして「げた箱」に入れて置くしか無いのである。
昨夜来の雨がすっかり上がった「下校の時刻」、その「長靴」たちが、それぞれ「横向き」のままで、ご主人様たる学童たちを出迎えるのである。
〔返〕 横向きで長靴は児を待っている梅雨の上がった下校時刻に 鳥羽省三
○ 鏨と槌と楔持ち四百粁金山掘りし鉱夫ら短命 (名古屋市) 諏訪兼位
「鏨と槌と楔」を「持ち」、「四百粁」の長距離をものともせずに「金山掘り」に歩いた「鉱夫ら」の「短命」振りは、江戸時代の<鉱山町・院内銀山>の記録などで夙に知られていることである。
鉱塵に肺をやられてしまうのである。
〔返〕 鉱塵で肺をやられた鉱夫らの墓累々と院内銀山 鳥羽省三
○ 校庭で君のハンカチ拾いしは翡翠の鳴く分校の夏 (横浜市) 芝 公男
素朴な詠風ながら、切なくも爽やかな思い出を詠んでいるのである。
〔返〕 校庭で拾ひし君のハンカチに微かに残るレモンの匂ひ 鳥羽省三
○ 四足をふんばり親は雨に耐え子は流される川の猪 (神戸市) 有馬純子
実景なのか?
テレビ画面で視た風景なのか?
〔返〕 四足でふんばるばかりで子をば看ず激流中の猪の親 鳥羽省三