臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

結社誌「かりん」10月号より(作品ⅠB欄抜粋)

2016年12月02日 | 結社誌から
○ 熊谷守一の猫の形に猫眠る形はかくも単純にして (広島)正藤陽子

 「熊谷守一の猫の形に猫眠る」とは、目前の光景であり、「猫眠る形はかくも単純にして」とは、目前の光景から得られた認識であるが、「猫」にしろ人間にしろ、生き物が「眠る形はかくも単純」なのである。
 こうした「単純」な「形」は「眠る形」のみならず、ありとあらゆる生き物の生きる「形」にも通じるのでありましょう。
 いろいろと示唆するところが多い作品であり、結社誌「かりん」10月号の「作品ⅠB欄」中の傑作中の傑作である。 
 広島市にお住まいの「かりん」会員の正藤陽子さんの作品には、これからも注視して行かなければなりません。


○ 「困っていることはありませんか」と見回りの隊員は孫のような若者 (阿蘇)中川 実

 本作の作者・中川実さんは熊本県阿蘇市にお住まいとのこと。
 阿蘇市と言えば、過日発生した熊本地震の被災地である。
 作中の「見回りの隊員」とは、日本全国から被災地救援の為に駆けつけたボランティアの若者の一人でありましょうか?
 作者の中川実さんは、その「見回りの隊員」を「孫のような若者」と仰って居られますが、そのように仰る時の中川実さんのお気持ちの程や如何?


○ 投票にゆく妻と吾常日頃かくあるごとく和みつつ行く (船橋)和木英哲

 「投票にゆく妻と吾」とは、「常日頃かくあるごとく和みつつ行く」とのことでありましょうが、「『常日頃』の作者と作者の奥様との間には厚い鉄のカーテンが結い廻されて、冷たい戦争が行われているのでありましょうか」といった、この作品に対する私の〈読み〉は、あまりにも偏った深読みでありましょうか?


○ 原爆忌 敗戦記念日 吾の生れし八月垣根をヤブカラシ覆う (川崎)広沢攸子

 広島長崎の「原爆忌」と我が国の「敗戦記念日」が重なる「八月」に、本作の作者の広沢攸子さんは、この世に生を享けたのでありましょうが、その「八月」に広沢攸子のご自宅の「垣根をヤブカラシ」が「覆う」とは如何なる凶事の前兆でありましょうか?
 それとも、これは彼女が今年の〈マージャンボ宝くじ〉の七億円の当選者となる前兆でありましょうか?


○ めうがの子採らんともぐる青藪にからだ透かしてつるむ舞舞 (佐渡)佐山加寿子

 佐渡市にお住まいの佐山加寿子さんが、佐渡見物に訪れる歌仲間にご馳走しようとして、お吸い物の具にする「めうがの子」を「採らんと」して「青藪」に「もぐる」と、「からだ」を「透かしてつるむ舞舞」が目についたとの内容の一首でありましょう。
 それにしても、件の「舞舞」どもは、真に以て運が宜しくありません。
 何故ならば、歌人なる人種は、目についたところ手当たり次第に短歌の題材として取り上げ、結社誌などを通じて日本中に喧伝してしまうような徒輩なのだからである。
 自らの性行為を短歌の題材にされてしまった、件の「舞舞」の前途に幸あらんことを祈る!
 

○ 肉付きが智恵子像のようだけど片胸たりない我の裸身は (青森)柴崎宏子

 「肉付きが智恵子像のようだけど」との自己認識は己惚れであり、「(肉付きが智恵子像のようだけど)片胸たりない我の裸身は」とは、あまりにも悲惨で厳しい現実的な自己認識でありましょう。
 しかしながら、人間の価値、なかんずく女性の価値は、「片胸たりない」云々で決められるような、単純なものではありません。
 青森市にお住まいの柴崎宏子さんよ、これからは「我の裸身」に「片胸」が「たりない」をことを励みとして、詠歌にご努力なさって下さい。
 とは申せ、私は何も、貴女に〈己が身体の欠陥を不幸と感じ、被害者意識丸出しの短歌を詠みなさい〉などと申し上げている訳ではありません。
  

○ 大癋見小癋見のごと朝なさな髭ととのへて祖父にあふ (川崎)塩野頼秀

 作中の「祖父」とは、今は亡き人でありましょうか?
 だとしたら、本作の作者の塩野頼秀さんは、いかにも厳しそうなそのご氏名に相応しい威厳を保持するべく、「朝なさな」、「大癋見小癋見のごと」く、殊更に「髭」を「ととのへて」、仏壇の前に膝まづくのでありましょう。
 私・鳥羽省三は、真に不可思議なるご縁で以て、本作の作者の塩野頼秀さんのご美髭を拝し奉ったことがありますが、それだけに、件のご美髭のオーナーの歌詠み・塩野頼秀さんが、ご自慢のご美髭に殊更に櫛をお入れになられて、「朝なさな」、ご自宅の仏壇の前に膝まづいて居られるとは、何ともまあ、滑稽極まりない図柄であり、〈能面の大癋見とは、その時、その場の彼のお姿に似せて、能面打ちの某が精魂込めてお打ちになられたのでありましょうか〉などと、思われてならないのであります。
 歌詠み塩野頼秀さんの畢生の傑作かと拝し奉り候。


○ 草野より出でし蝸牛は勝興寺の「越中国廰跡」の碑を這ひにじる (埼玉)江平幸子

 「草野より出でし蝸牛」が、あろうことか、恐れ多くも、阿弥陀如来をご本尊として奉る、富山県高岡市の古刹「勝興寺」の「『越中国廰跡』の碑を這ひにじる」有様に取材した一首であるが、本作を鑑賞する際に忘れてならないのは、件の健気な「蝸牛」に注がれる、本作の作者・江平幸子さんの、恰も阿弥陀如来の如き優しい眼差しである。
 私・鳥羽省三は、この一首に接して、思わず「やれ打つな蠅が手をする足をする」という小林一茶の名吟を口遊んでしまいました。     


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