臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今日の清水房雄鑑賞(其の4)

2010年11月13日 | 今日の短歌
○  この世代の斯かる団結の意味するもの怖れて思ふときも過ぎたり

 『風谷』所収、昭和四十六年作である。
 詠い出しに「この世代の斯かる団結」とあるが、「この世代」とはどんな「世代」を指し、「斯かる団結」とはどんな「団結」を指すのか、作者と無縁の人間としての私には、それを知る何の手立ても無い。
 しかし、短歌史を紐解いてみると、それまで新しい時代の『アララギ』のエースたらんとしていた近藤芳美(1913生)氏を中心に「未来短歌会」が結成され、その結社誌『未来』が創刊されたのは1951年(昭和26年)の6月であり、その創刊メンバーは、近藤芳美氏と志を共にする岡井隆(1928年生)氏、吉田漱(1922年生)氏、細川謙三(1924年生)氏、後藤直二(1926年生)氏、相良宏(1924年生)氏、田井安曇(193年生)氏・河野愛子(1922年生)氏など、本作の作者・清水房雄氏の一世代後の青年たちであった。
 1913年生まれの近藤芳美氏は、1915年生まれの清水房雄氏とほぼ同世代であるから別としても、近藤芳美氏以外の『未来』の創刊メンバーは、清水房雄氏の次の世代のアララギ派の歌人として大いに嘱望されていた若手歌人であったから、彼ら一同の「アララギ」からの大挙脱退は、彼らを信頼すべき仲間として頼む一方、彼らを密かにライバル視していた清水房雄氏にとっては大きなショックであり、自分に大きなショックを与えた彼らを一括りにして、「この世代」と呼ぶことは大いに在り得ることなのである。
 しかも、彼ら「この世代」の者たちの「アララギ」からの脱退理由が、その頃、東京都世田谷区奥沢の自宅を「アララギ発行所」とされ、その当時の『アララギ』の実質的な責任者とも目されていた、五味保義(1901年生)氏の独裁的なやり方に反発したからであるとの噂も立っていたから、その五味保義氏を先輩として仰ぎ、兄事していた清水房雄氏にとっては、その痛手は決して小さくは無かった筈であり、そうした彼らの挙を「この世代の斯かる団結」という言葉で以って表現することも、大いに考えられ得ることである。
 しかし、本作をお詠みになられた昭和四十六年当時は、清水房雄氏も既に還暦近いご年齢になって居られ、今更、『未来』創刊に掛けた彼らの「団結」を「怖れ」るような心境では無くなっていたものと思われる。
 作者ご自身が自分の年齢を自覚すると共に、その年齢に至る以前に体験した手痛い出来事について、「あの時は本当にびっくりしたなー。本当に身が縮まる思いをしたものだ」などと思うことは、清水房雄氏に限らず、何方にでも在り得ることなのである。 
  〔返〕 鳩山や菅や仙谷世代など怖るに足らずと石原ジュニアー   鳥羽省三


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