○ 知らなくていいのよ世界は薄紙の袋の中に枇杷熟れてゆく (徳島市) 武市尋子
自家消費されるのは別であるが、販売用の「枇杷」は、摘果が済んだ時期に、一顆一顆、薄様紙という「薄紙」で作った小さな「袋の中」で栽培されるのである。
本作の作者は、そうした「薄紙の袋の中」で日に日に大きくなり、次第に「熟れてゆく」「枇杷」に対して呼び掛けているのでありましょう。
「あなたたちは、ついこないだまであんなに小さくて、可愛い産毛を生やしていたのに、今はもう、この『薄紙の袋の中』からはみ出してしまいそうになるくらい大きくなってしまったのね。でも、あなたたちが、今、外の『世界』に出たって、何のいいこともありませんよ。今は未だ、『袋』の外の『世界』のことなんて『知らなくていいのよ』。あなたたちを守ってくれるのは、その『薄紙の袋』だけなんですよ。あなたたちは、その『薄紙の袋の中に』居る間だけは、そうしてみんな揃って元気に居られるけど、一端、それを破って、外の『世界』に出たら最後、それから後は、百姓という名の馬鹿で間抜けなくせして、目の前の利益にだけはすばしこく走る連中の手によって農協に出荷され、その百姓の上前を撥ねる破廉恥な農協の手によって知らない街の市場に出荷されて行き、やがては、あの人間どもの汚らわしい口の中に入ってしまうのよ。それなのにも関わらず、あなたたちは、今にもその『薄紙の袋の中』からはみ出しそうになるくらい大きくなり、『熟れて』しまったのですね。可哀想な『枇杷』さんたちよ」と。
本作の作者・武市尋子さんは花見百姓の御妻女なのでありましょうか?
特選一席。
〔返〕 初夏を軽トラックに載せられて熟れたる枇杷は捌かれて行く 鳥羽省三
○ 紙で切る指の痛さはふいにくる夜のさみしさそれに似ている (茅ヶ崎市) 木下 奏
本作は、四句目の「夜のさみしさ」で一端切れ、それから改めて、「紙で切る指の痛さはふいにくる夜のさみしさ」に「似ている」と、収束されているのである。
したがって、「紙で切る指の痛さ」と「ふいにくる夜のさみしさ」とは、比喩関係を成すのであり、その後の「それに似ている」という五句目は、単なる語調を整える役目しか果たしていないとも思われるのである。
しかしながら、この一首を短歌たらしめるのは、一見すると不要とも思われる、その五句目なのである。
コピー用紙などで「指を切る」時がある。
そうした時は、痛さも痛しであるが、それが思ってもみない事故であっただけに、自分という存在そのものが、ふと寂しくも感じられる。
そうした微妙な心の推移が、「紙で切る指の痛さはふいにくる夜のさみしさそれに似ている」という、文学的認識を齎したのであろうか?
特選二席。
〔返〕 人を斬る痛さ堪へて風に立つ宮本武蔵を鴉は笑ふ 鳥羽省三
○ おじいちゃんの紙ヒコーキがよく飛んで園(クラス)のみんながぼくを見ている (大津市) 佐藤菜花
作中の「ぼく」と作者とは異なる。
本作に於いては、本来、第一人称単数(自称)を表わすべき「ぼく」が、第二人称単数(他称)を表わしているのである。
ところで、現代社会に於いては、幼稚園と雖も、その実情はいろいろ様々であるから、「おじいちゃんの紙ヒコーキがよく飛んで園(クラス)のみんながぼくを見ている」と言っても、その後が、必ずしもハッピーエンドになるとは限らない。
特選三席。
〔返〕 祖父・吾のヨン様に似た美顔ゆへ園児仲間にいびらるる芽衣 鳥羽省三
○ 四月より無人を告げる貼り紙の白く揺れおり紀伊清水駅 (橋本市) 原 鉄也
作中の「紀伊清水駅」とは、和歌山県橋本市清水に在る、南海電気鉄道高野線の駅であり、大阪・難波駅から高野山駅に向かう途中駅である。
「四月より無人を告げる貼り紙の白く揺れおり」という、しらけ切ったような、冷め切ったような表現からすると、本作の作者・原鉄也さんは、「紀伊清水駅」の利用客の一人ではありましょうが、利用頻度はそれほど高く無いのかも知れません。
〔返〕 一日の利用客数五百余と統計にあり紀伊清水駅 鳥羽省三
○ 割勘の紙幣・硬貨を集めつつ下戸の幹事が二次会誘ふ (高槻市) 山田幸一
「下戸の幹事が二次会誘ふ」が泣かせる。
しかし、私の経験からすると、「下戸」でありながら、忘年会や新年会の「幹事」を買って出、先輩や上司の家で不孝があったような場合には、いち早く手伝いを申し出る人間が同期の出世頭になったりするものであるから、世の中は面白く、かつ油断がならないものである。
〔返〕 割り勘は面倒臭くて嫌だから今夜は部長に任せろと言ふ 鳥羽省三
○ 母の日にレポート用紙にくるまれた海と息子の写真が届く (京都市) 大石悦子
息子さんは、何処かの誰かみたいに、自称<プロ・サーファー>だったりして。
〔返〕 母の日に息子の呉れた写メールの砂に描いたノリピーとふ名 鳥羽省三
○ 赤紙がキヨシといふ名の母に来て我が名に和の文字入れしと聞きぬ (新潟市) 金子和子
その昔は、「キヨシ」という名の女性が沢山居て、その中の数人に「赤紙」が来たことは十分に在り得ることである。
だが、だからといって、そうしたミスを防ぐ為に、「我が名に和の文字入れし」という、この一首の展開は、今ひとつ説得力に欠けると思われる。
〔返〕 男ながら春美とふ名が幸ひし召集令状逃れた者も 鳥羽省三
○ ひとつだけ台詞もらへる劇にして紙吹雪づくりを孫にたのまる (大田区) 須敏士
特選三席の作品にしろ、この作品にしろ、お「孫」さんが通っている幼稚園や小学校の催し物には、御祖父殿がよく駆り出されるものである。
でも、本作のお「孫」さんは、「ひとつだけ台詞もらへる劇に」出るだけだから、その御祖父殿が「紙吹雪づくり」に熱中したからといって、後々になって、お「孫」さんが仲間から苛められることも無いだろうから、好しとしなければならない。
〔返〕 セリフ言う口に詰まって時々は事故に繋がる紙吹雪かな 鳥羽省三
○ 頬杖は脳のどこぞにある筈の語彙にお出ましねがうポーズよ (上尾市) 林 邦雄
この一首に接して、私は、あの見延典子さん作のベストセラー小説「もう頬づえはつかない」を思い出しました。
あの小説は、2010年1月に、東陽一監督、桃井かおり主演で映画化されましたが、あれ以来、私の中の桃井かおりのイメージは、いつも<頬杖をついている>のです。
〔返〕 ロダン作『地獄の門』の天辺に頬杖ついて『考える人』 鳥羽省三
○ 紙ならば表が駄目でも裏がある眠れぬ夜を重ねてひとり (春日部市) 土屋和子
「紙ならば表が駄目でも裏が」書けるのであるが、私は「紙」では無く、人間であるから「裏」が掻けない。
「紙」と違って「裏」が掻けない私が、「眠れぬ夜」を「紙」のように「重ねて」「ひとり」何を悩むのか、と言うのでありましょうか?
言葉遊びとしては、少々念が入ってる一首ではある。
〔返〕 表着て裏も着られるリバーシブルならぬあの世に帷子着て逝く 鳥羽省三
○ 紙くずと妻にも見せぬ辞令さえいざ破るときためらう不思議 (下妻市) 神郡 貢
文意に沿って解釈すれば、「ただの『紙くず』に過ぎないと思って『妻にも見せぬ辞令』であったが、その『辞令さえいざ破るとき』になると『ためらう』のは『不思議』なことである。」ということになりましょう。
それでも尚かつ解ったような解らないような内容の一首である。
本作の作者・神郡貢さんは、定年退職後も、在勤中に受け取った「辞令」を保存して置いたが、ある時、思い立って、それを全部破り棄てようとなさったのでありましょうか?
〔返〕 紙屑と破り棄てたる歌稿さへ昨夜(よべ)我が見たる夢に顕ち来る 鳥羽省三
○ ひとつほめふたつは注意三人児に置き手紙書く夜勤につく日 (札幌市) 高橋妙子
本作の作者・高橋妙子さんのご職業は看護士さんででもありましょうか?
「ひとつほめふたつは注意」という、お母さんから「三人児」たちへの「置き手紙」の内容をいろいろと想像してみるのが楽しい一首ではある。
〔返〕 注意した二つのうちの一つだけ気がかりになり気の急く夜勤 鳥羽省三
自家消費されるのは別であるが、販売用の「枇杷」は、摘果が済んだ時期に、一顆一顆、薄様紙という「薄紙」で作った小さな「袋の中」で栽培されるのである。
本作の作者は、そうした「薄紙の袋の中」で日に日に大きくなり、次第に「熟れてゆく」「枇杷」に対して呼び掛けているのでありましょう。
「あなたたちは、ついこないだまであんなに小さくて、可愛い産毛を生やしていたのに、今はもう、この『薄紙の袋の中』からはみ出してしまいそうになるくらい大きくなってしまったのね。でも、あなたたちが、今、外の『世界』に出たって、何のいいこともありませんよ。今は未だ、『袋』の外の『世界』のことなんて『知らなくていいのよ』。あなたたちを守ってくれるのは、その『薄紙の袋』だけなんですよ。あなたたちは、その『薄紙の袋の中に』居る間だけは、そうしてみんな揃って元気に居られるけど、一端、それを破って、外の『世界』に出たら最後、それから後は、百姓という名の馬鹿で間抜けなくせして、目の前の利益にだけはすばしこく走る連中の手によって農協に出荷され、その百姓の上前を撥ねる破廉恥な農協の手によって知らない街の市場に出荷されて行き、やがては、あの人間どもの汚らわしい口の中に入ってしまうのよ。それなのにも関わらず、あなたたちは、今にもその『薄紙の袋の中』からはみ出しそうになるくらい大きくなり、『熟れて』しまったのですね。可哀想な『枇杷』さんたちよ」と。
本作の作者・武市尋子さんは花見百姓の御妻女なのでありましょうか?
特選一席。
〔返〕 初夏を軽トラックに載せられて熟れたる枇杷は捌かれて行く 鳥羽省三
○ 紙で切る指の痛さはふいにくる夜のさみしさそれに似ている (茅ヶ崎市) 木下 奏
本作は、四句目の「夜のさみしさ」で一端切れ、それから改めて、「紙で切る指の痛さはふいにくる夜のさみしさ」に「似ている」と、収束されているのである。
したがって、「紙で切る指の痛さ」と「ふいにくる夜のさみしさ」とは、比喩関係を成すのであり、その後の「それに似ている」という五句目は、単なる語調を整える役目しか果たしていないとも思われるのである。
しかしながら、この一首を短歌たらしめるのは、一見すると不要とも思われる、その五句目なのである。
コピー用紙などで「指を切る」時がある。
そうした時は、痛さも痛しであるが、それが思ってもみない事故であっただけに、自分という存在そのものが、ふと寂しくも感じられる。
そうした微妙な心の推移が、「紙で切る指の痛さはふいにくる夜のさみしさそれに似ている」という、文学的認識を齎したのであろうか?
特選二席。
〔返〕 人を斬る痛さ堪へて風に立つ宮本武蔵を鴉は笑ふ 鳥羽省三
○ おじいちゃんの紙ヒコーキがよく飛んで園(クラス)のみんながぼくを見ている (大津市) 佐藤菜花
作中の「ぼく」と作者とは異なる。
本作に於いては、本来、第一人称単数(自称)を表わすべき「ぼく」が、第二人称単数(他称)を表わしているのである。
ところで、現代社会に於いては、幼稚園と雖も、その実情はいろいろ様々であるから、「おじいちゃんの紙ヒコーキがよく飛んで園(クラス)のみんながぼくを見ている」と言っても、その後が、必ずしもハッピーエンドになるとは限らない。
特選三席。
〔返〕 祖父・吾のヨン様に似た美顔ゆへ園児仲間にいびらるる芽衣 鳥羽省三
○ 四月より無人を告げる貼り紙の白く揺れおり紀伊清水駅 (橋本市) 原 鉄也
作中の「紀伊清水駅」とは、和歌山県橋本市清水に在る、南海電気鉄道高野線の駅であり、大阪・難波駅から高野山駅に向かう途中駅である。
「四月より無人を告げる貼り紙の白く揺れおり」という、しらけ切ったような、冷め切ったような表現からすると、本作の作者・原鉄也さんは、「紀伊清水駅」の利用客の一人ではありましょうが、利用頻度はそれほど高く無いのかも知れません。
〔返〕 一日の利用客数五百余と統計にあり紀伊清水駅 鳥羽省三
○ 割勘の紙幣・硬貨を集めつつ下戸の幹事が二次会誘ふ (高槻市) 山田幸一
「下戸の幹事が二次会誘ふ」が泣かせる。
しかし、私の経験からすると、「下戸」でありながら、忘年会や新年会の「幹事」を買って出、先輩や上司の家で不孝があったような場合には、いち早く手伝いを申し出る人間が同期の出世頭になったりするものであるから、世の中は面白く、かつ油断がならないものである。
〔返〕 割り勘は面倒臭くて嫌だから今夜は部長に任せろと言ふ 鳥羽省三
○ 母の日にレポート用紙にくるまれた海と息子の写真が届く (京都市) 大石悦子
息子さんは、何処かの誰かみたいに、自称<プロ・サーファー>だったりして。
〔返〕 母の日に息子の呉れた写メールの砂に描いたノリピーとふ名 鳥羽省三
○ 赤紙がキヨシといふ名の母に来て我が名に和の文字入れしと聞きぬ (新潟市) 金子和子
その昔は、「キヨシ」という名の女性が沢山居て、その中の数人に「赤紙」が来たことは十分に在り得ることである。
だが、だからといって、そうしたミスを防ぐ為に、「我が名に和の文字入れし」という、この一首の展開は、今ひとつ説得力に欠けると思われる。
〔返〕 男ながら春美とふ名が幸ひし召集令状逃れた者も 鳥羽省三
○ ひとつだけ台詞もらへる劇にして紙吹雪づくりを孫にたのまる (大田区) 須敏士
特選三席の作品にしろ、この作品にしろ、お「孫」さんが通っている幼稚園や小学校の催し物には、御祖父殿がよく駆り出されるものである。
でも、本作のお「孫」さんは、「ひとつだけ台詞もらへる劇に」出るだけだから、その御祖父殿が「紙吹雪づくり」に熱中したからといって、後々になって、お「孫」さんが仲間から苛められることも無いだろうから、好しとしなければならない。
〔返〕 セリフ言う口に詰まって時々は事故に繋がる紙吹雪かな 鳥羽省三
○ 頬杖は脳のどこぞにある筈の語彙にお出ましねがうポーズよ (上尾市) 林 邦雄
この一首に接して、私は、あの見延典子さん作のベストセラー小説「もう頬づえはつかない」を思い出しました。
あの小説は、2010年1月に、東陽一監督、桃井かおり主演で映画化されましたが、あれ以来、私の中の桃井かおりのイメージは、いつも<頬杖をついている>のです。
〔返〕 ロダン作『地獄の門』の天辺に頬杖ついて『考える人』 鳥羽省三
○ 紙ならば表が駄目でも裏がある眠れぬ夜を重ねてひとり (春日部市) 土屋和子
「紙ならば表が駄目でも裏が」書けるのであるが、私は「紙」では無く、人間であるから「裏」が掻けない。
「紙」と違って「裏」が掻けない私が、「眠れぬ夜」を「紙」のように「重ねて」「ひとり」何を悩むのか、と言うのでありましょうか?
言葉遊びとしては、少々念が入ってる一首ではある。
〔返〕 表着て裏も着られるリバーシブルならぬあの世に帷子着て逝く 鳥羽省三
○ 紙くずと妻にも見せぬ辞令さえいざ破るときためらう不思議 (下妻市) 神郡 貢
文意に沿って解釈すれば、「ただの『紙くず』に過ぎないと思って『妻にも見せぬ辞令』であったが、その『辞令さえいざ破るとき』になると『ためらう』のは『不思議』なことである。」ということになりましょう。
それでも尚かつ解ったような解らないような内容の一首である。
本作の作者・神郡貢さんは、定年退職後も、在勤中に受け取った「辞令」を保存して置いたが、ある時、思い立って、それを全部破り棄てようとなさったのでありましょうか?
〔返〕 紙屑と破り棄てたる歌稿さへ昨夜(よべ)我が見たる夢に顕ち来る 鳥羽省三
○ ひとつほめふたつは注意三人児に置き手紙書く夜勤につく日 (札幌市) 高橋妙子
本作の作者・高橋妙子さんのご職業は看護士さんででもありましょうか?
「ひとつほめふたつは注意」という、お母さんから「三人児」たちへの「置き手紙」の内容をいろいろと想像してみるのが楽しい一首ではある。
〔返〕 注意した二つのうちの一つだけ気がかりになり気の急く夜勤 鳥羽省三