臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日俳壇から(5月26日掲載・其のⅢ・日曜日特集)

2014年06月08日 | 今週の朝日俳壇から
[長谷川櫂選]

(燕市・高橋芦人)
〇  掛けられし袋の中に桃の夢

 「私の手に拠って『掛けられ』た『袋の中に桃の夢』がある」とは、極めて文学的かつロマンチックな発想のように思われるが、その実は、営利本位の桃栽培農家の主人特有の現実的かつ打算的かつ手前勝手な発想であると言わなければなりません(笑)。
 〔返〕  身を蔽ふ袋の中で白桃は食はるることも知らずに熟す


(秦野市・熊坂淑)
〇  矢車のときには哭くよ恋の風

 「恋」をしている女性にとっては、朝の庭に雪が降り積もっていれば、その雪は取りも直さず「恋の雪」であり、宵空に月が昇れば、その月は取りも直さず「恋の月」であり、千鳥ヶ淵の桜が咲けば、その桜はとりも直さず「恋の桜」なのである。
 時恰も風薫る五月晴れの子供の日。
 神奈川県秦野市の熊坂淑さんのお宅の表庭には幟杭が直立していて、その先端に据えられた「矢車」が五月の風のまにまに凛々と音を立てて廻っているのである。
 それを聞き逃さなかったのは掲句の作者の熊坂淑さんである。
 その頃の彼女は不倫の恋に悩み、ご夫君や二人のご子息を棄てて相手の男性の許に走るか否かとの選択を迫られていたのである。
 そうした状態に置かれていた彼女は、表庭に直立した幟杭の先端で凛々と廻っている「矢車」の音に耳を澄ましながら、「心という厄介なものを持たないあの『矢車』さえも『ときには哭くよ』」と感じ、彼の「矢車」をかくまでも哭かしむる五月の風を「恋の風」と感じたのでありましょう。
 〔返〕  矢車の時には暴れ哭き喚く恋風魔風しばらく吹くな


(横浜市・込宮正一)
〇  夏めいて今日のこの日のかをりかな

 季節は未だ葉桜の頃なのに、抱き締めてみたらどんなに心地良いだろうと思わせる胸の谷間を思いっ切り魅せる胸空きのワンピで豊満な肉体を包んだ女性の手を携えて、掲句の作者・込山正一さんは、今しも横浜の日本大通りを山下公園方面へと足を運んでいるのである。
 その行先にどんな出来事が待ち構えているが、その時の込宮正一さんにはまるで分からない。
 昨夜、能楽鑑賞帰りのタクシーの中で、彼女がふと漏らした言葉、即ち「明日の日曜は晴天みたいだから、貴方と山下公園にでも行ってみたいわ。ここしばらくの間、私はあまりにも仕事が忙しくて、海の匂いを嗅いでいないから」という、何気ない言葉の裏に秘められた女性特有の魂胆、即ち、山下公園を散歩して海の匂いを嗅ぎたいというのは、あまりにも見え透いた口実であり、その実は、山下公園の先に在る元町ショッピングストリートの高級ブランドショップで十八金の鎖付きハート型の「ガディノ・バッグ」を買わせようとする悪辣な魂胆を知覚するには、今の込宮正一さんはあまりにも鈍感過ぎたのである。
 それでも尚且つ、毎週一回のネイルサロン通いを欠かさずにして十本の指の先の爪を残らず虹色に彩色した彼女の手を携えながら、我らが込宮正一さんは、必ずしも長いとは言えないおみ足を山下公園方面へと運んで行くのである。
 その時、彼の周りに一陣の涼風が吹き起り、それと共に彼女の豊満な胸の谷間からは、「今日のこの日のかをり」が漂って来たのである。
 〔返〕  夏めいた絹のワンピに包まれた胸の谷間に流れる汗よ
 

(相模原市・阿久津シメノ)
〇  花疲れたがを外して皆横臥

 さすがは相模原市にご在住の阿久津シメノさんである。
 「箍を外す」などという、今となっては骨董品級の極めて珍しい言葉を御存じでいらっしゃるのである。
 その昔、掲句の作者の阿久津シメノさんの母方の御祖父殿は、はるばると故郷の新潟から灘の酒蔵まで出稼ぎにお出掛けになられ、箍の嵌った巨大な桶を日夜掻き回して、灘の生一本の醸造にご努力なさったのでありましょうか?
 〔返〕  花疲れ箍を外して寝てみたが鼾激しく安寝もならず


(松江市・三方元)
〇  爛漫の花は裸の女身仏

 昨日、連れ合いと一緒に、東京・六本木の国立新美術館で行われている「イメージの力」という企画展を鑑賞した後、東京ミッドタウン内の「とんかつと豚肉料理の平田牧場・東京ミッドタウン店」を気張って「三元豚のとんかつ」を食べてみましたが、値段のわりには美味しくありませんでした。
 突然、埒も無い事を言い出したりしてご免なさい。
 掲句の作者の御氏名が「三方元」さんであることを知った瞬間、つい昨日のことを思い出してしまい、ふと、口にしてみたまでの事でありますから、掲句の作者の三方元さん及び本ブログの読者の方々、何卒、ご許容の程、宜しくお願い申し上げます。
 それにしても、「爛漫の花」を「裸の女身仏」に見立てるとは、三方元さんという俳人は、あれでなかなかのHな男性と思われるのである。
 〔返〕  爛漫のテレビコマーシャルに出るのだけは止めて下さい吉永小百合さん


(日立市・國分貴博)
〇  さつと来てさつとやむ雨初鰹
(金沢市・今村征一)
〇  もつともつとやんちやに育て菖蒲の湯

 「さっと来てさっとやむ」と書けばいいのに「さつと来てさつとやむ」と書いたりする。
 また、「もっともっとやんちゃに育て」と書けばいいのに「もつともつとやんちやに育て」と書いたりする。
 揃いも揃って、俳人たちはどうしてこんなに気取り屋ばっかりなんだろうな?
 「現代仮名遣い」が施行されてから六十年以上経つ今日、こんな訳の解らないことばかりしていると、そのうち、誰にも振り向かれなくなってしまいますよ!
 〔返〕  もっともっと素直な気持ちで詠むがいい!さっと行きさっと詠め吟行!
 

(坂戸市・浅野安司)
〇  日本一でかい湖夕霞

 掲句の創作意図は、「近江八景」にもう一景を加えて「近江九景」にしようとする試みでありましょうか?
 だとしたら、新しく加わったこの景色の名称を、私は勝手に「雄琴夕霞(おごとのせきか)」とさせていただきます。
 ところで、掲句の作者の浅野安司さんは埼玉県坂戸市にお住いの男性。
 掲句を鑑賞するに際して検索したところ、浅野安司さんがお住いの埼玉県で最もでかい水たまりは「狭山湖(正式名称は山口貯水池)」であり、その広さは、7・2平方キロメートルである。
 その一方、我が国で最も湖として知られる琵琶湖の広さは、670・4平方キロメートルである。
 更に詳しく検索してみたところ、浅野安司さんがお住いの埼玉県の総面積は、3797平方キロメートルであり、その中の坂戸市の総面積は、40・97平方キロメートルである。
 と、言うことは、仮に琵琶湖水の中に浅野安司さんのお住いの在る埼玉県坂戸市を浮かべたとしたら、この度、浅野安司さんがご入浴なさった琵琶湖岸の雄琴温泉のお風呂の中に、他ならぬ浅野安司さんご自身の肉体を浮かべた程度のものでしかない、ということにもなり、びっくりしたのなんのって、それはあまりにも驚嘆に値する事実なのである。
 その超広大な琵琶湖面をすっぽり包むようにして出現する夕霞。
 掲句の作者・浅野安司さんが、この度、宿泊先の雄琴温泉の湯舟の中から望んだ夕霞は、かくも雄大なのである。
 〔返〕  我がものを蔽へるものと較べたらあまりにでかい琵琶の夕霞

  
(大阪市・森田幸夫)
〇  くびれたる胴にあらねど踊子草

 大阪市にお住いの森田幸夫さんは、この度、福島県は常磐ハワイアンセンターまでお出掛けになられ、その帰途に、五色沼の畔で「踊子草」を御目文字なさったご様子。
 でも、常磐ハワイアンセンターのフラ嬢ではありませんから、「踊子草」の「胴」が括れている訳はありませんよ!
 そう言えば、今から3年前の秋の一夜、私は、大阪府高槻市の実弟宅のご祝儀に出席した後に、寄せばいいのに助平根性丸出しで、遥々と阪急電車に乗っかって大阪一番に胡散臭い下町として知られる十三まで出掛け、その当時評判の「十三ミュージック」に入り、「くびれたる胴」をくねくねさせて踊るストリップショーに現を抜かしたことがありました。
 それからしばらくして後に、彼の舞台に大阪府警の警官どもが泥足を踏み入れたとの情報に接しましたが、あの「胴」が括れたダンサーたちは、今頃、何処でどんな暮らしをしているのでありましょうか?
 あの時、あの「胴」の括れた踊り子たちと私の間に何があったという訳ではありませんが、彼女らの御立派な裸体を拝ませて頂いたのも、それはそれで「一夜の恩」には違いがありませんから、少しく心配な気がする、今日この頃の私なのである。
 〔返〕  括れたる胴の下から覗かせる黒猫みたいな愛しきものよ


(横浜市・神野志季三江)
〇  幸せになろうとしてた春だった

 横浜市にお住いの神野志季三江さんと言えば、私たち朝日歌壇の読者にとっては、かつてはマドンナのような存在でありました。
 その神野志季三江さんのお名前を、今頃になって、どんな訳で、朝日歌壇の末席で拝見しなければならないのでありましょうか?
 本日付けの朝日新聞第一面に掲載されたカラー写真入りの記事を拠ると、「記録的な豪雨にも関わらず、東京都下調布市の≪味の素スタジアム≫に蝟集した、老若男女、七万人のファンの見守る中で昨夜強行された今年度の≪AKB48≫の総選挙に於いて、人気抜群、しかもある投企筋からの大量投票が噂されていた指原莉乃嬢が、善戦虚しくライバルの渡辺麻友嬢の前に膝を屈して、そのセンターの位置から退くことを余儀なくされた」とか。
 ということになりますと、私たち短歌ファンのかつてのマドンナ・神野志季三江さんが、節を屈して短歌から俳句へと転向したのも、寄る年波を考慮すると、已む無き事とは存じますが、それにしても、この度の彼女の転向は、評者の私にとってはあまりにも残念なことである。
 ところで、本句は読んで字の如く「幸せになろうとしてた春だった」ということでありましょうが、あの神野志季三江さんが、このような老いの繰り言を口から出だすまでに至るには、その背後に何らかの哀しい出来事が出来していたのかも知れません。
 或いは、掲句の作者・神野志季三江さんの出生地は被災地・福島県であり、彼の地には、未だ彼女の縁者がお住いなのかも知れません。

 〔返〕  いましばし『時差をください』これからが神野志季三江の青春なんです
 上掲の返歌中の『時差をください』とは、2005年4月に神野志季三江さんが上梓した歌集の名称である。(「梧葉出版」刊)

〇  ストーブに埃焦げる香、冬はいつも記憶をたぐるように始まる(神野志季三江作・2000年11月26日・朝日歌壇入選作)
 この度の神野志季三江さんの俳句への転向に伴って、私たちは短歌の世界から永久にこの一首に見られるような静寂と記憶とを失ってしまうのである。

〇  罰のごとく八月であるこれでもか暑いか独りかまだうた詠むかと(神野志季三江作・2004年9月6日・朝日歌壇入選作)

〇  でこぼこのまんまで生きてゆくわたしでこにもぼこにも磨きをかけて(神野志季三江作・2014年3月25日・朝日歌壇入選作)

 尚、1995年1月に青弓社から刊行された『死刑囚監房』(マイク・ジェイムズ編/神野志季三江訳)も、なかなかの名著である。         


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