臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(7月12日掲載・其のⅢ・訂正版)

2011年07月17日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

○  亡き父の遺ししものの数多あり庭飛ぶ蛍も形見のひとつ  (松阪市) こやまはつみ

 「亡き父の遺しし」「数多」の「もの」の「ひとつ」として「庭」を「飛ぶ蛍」を数え上げたい 、ということであり、取り合わせの良さとその風情に騙されてしまいがちである。
 しかし、「遺ししもの」と言ったうえで「形見」と重ねていうなど、まだまだ推敲の余地の在る作品である。
 
 〔返〕  新盆の闇に飛び交ふ蛍さへ父の形見の一つに数ふ
 ところで、これは私事でありますが、「庭」を「飛ぶ」場合でも、「新盆の闇に飛び交ふ」場合でも、「蛍」という風情の有るものの場合は、「父」の「形見のひとつ」としたくはなりましょうが、長患いした挙句に亡くなった父が、六千万円の借財と、母親の違う妹の認知証と、廃屋同然の二戸の葛屋であったりしたような場合は、それはそれで歌材となるのでありましょうか?
 〔返〕  腹違い顔も見知らぬ妹も父の形見に相違なからむ   鳥羽省三
      借財と崩れ落ちたる草屋根を父の遺産の一つに数ふ   


○  寝袋に横たわるホテル床ゴーゴーバリバリ余震六強石巻  (鳥取県) 高塚一雄

 「ホテル床」とし、「ゴーゴーバリバリ」という擬音語を用いるなど、題材に面白さは在るが、所詮はそれだけのことである。
 それにしても、本作の作者は、鳥取県から東北の被災地まで、はるばるボランティアの為にお出掛けになられたのでありましょうか?
 だとすれば、それはそれで真にご奇特な志と申せましょう。
 〔返〕  「デリバリーもやってます」との看板が宅配ピザ屋が何のデリバリー   鳥羽省三  


○  雨の日は体育館が使えずに音無く廊下走る体育  (岩沼市) 山田洋子

 なにしろ、史上空前の大震災であり、国家存亡の危機でありますから、「音無く廊下走る体育」も致し方無きところでありましょう。
 本作の作者・山田洋子さんの居住地である、宮城県の岩沼という地名に私が初めて接したのは、小学校3年時に読んだ学習雑誌の記事でのことでした。
 その記事には、「七夕と言えば、仙台市の七夕が有名ですが、その仙台市の在る宮城県に、仙台市の七夕の一月遅れで仙台市の七夕のそっくりさんの七夕を行う町が在ります。その町の名は岩沼町。一月遅れで行われる岩沼町の七夕が仙台の七夕のそっくりさんなのは、一月前に仙台で飾られた七夕の飾りが、一月後の岩沼町の七夕でまた再利用されるからなのです」との趣旨の内容でありました。
 かつての岩沼町にも今では市制が布かれておりますが、仙台の七夕のそっくりさんの岩沼の七夕は、今でもご健在でありましょうか?
 〔返〕  七夕もこの頃元気がありませんなにしろ不況加えて震災   鳥羽省三


○  大震災に健気にのこるわが家を写真にとりて一時帰宅終る  (東京都) 半杭螢子

 「健気にのこる」とありますから、壁一枚、柱一本欠けていなかったのでありましょう。
 それでも、東電の福島第一原発のメルトダウン騒ぎで、立ち入り禁止区域に指定されているのでありましょう。
 〔返〕  健気にも大東京の人となり半杭さんはたびたび登場   鳥羽省三


○  自らの色で濃くなる苺ジャム私は私でありつづけよう  (広島県) 大堂洋子

 今ひとつ作者の心の在り所が分からない作品である。
 作者の大堂洋子さんは、「自らの色で濃くなる苺ジャム」を好きなのでありましょうか?
 それとも、嫌いなのでありましょうか?
 〔返〕  触媒の力を借りて藍になる人は一人で生きられないよ   鳥羽省三


○  午前五時雨戸繰れば目交いに今日を選んだ杜若の青  (町田市) 大西亜進

 「今日を選んだ杜若の青」という考え方が大変素晴らしい。
 そうです。
 町田市の大西亜進さんのお宅の青い「杜若」も、我が家の庭の紫の朝顔も、菅総理の官邸の白い胡蝶蘭も、みな全て「今日を選」び、その場所を「選ん」で、それぞれの色に咲いたのでありましょう。
 〔返〕  まなかひの鏡に映る我が鼻は己が場所を選び鎮座す   鳥羽省三


○  夜遅く降り立つ駅の潮の香が海開く日の近きを教ふ  (逗子市) 荒木陽一郎

 それ以前に、住民総出の海岸掃除が行われ、海の家を組み立てる金槌の音が、付近一帯に響いているのではありませんか?
 そうと知りながら、「夜遅く降り立つ駅の潮の香が海開く日の近きを教ふ」などと仰る、荒木陽一郎さんの芸の細かさよ。
 〔返〕  広報で海開きの日を知りながら潮の香で知ると言う歌びと   鳥羽省三


○  生と死の境になにがあるだらう花枝たわむ雨のあぢさゐ  (須崎市) 森 美沢

 「生と死の境になにがあるだらう」などと、深刻めいたことを「花枝たわむ雨のあぢさゐ」に語り掛けながら、自分自身は「雨」の中の「あぢさゐ」の美しさに見惚れているのでありましょう。
 昔から「あぢさゐ」に長雨は付き物である。
 「眺める」という言葉の意味の一つとして、「(もの思いにふけりながら)ぼんやりと見る・また傍観する」(『大辞林』より)と意味が在りますが、本作の作者の場合は、長雨の中を色が変わり行く「あぢさゐ」の色に身を入れて見惚れているのでありましょうから、「眺める(眺む)」という言葉には該当しないのである。
 〔返〕  長雨に色移り行く紫陽花を眺め居ること「眺め」とぞ言ふ   鳥羽省三 


○  甲羅もつおまえいいなあ首、四肢をひっこめ亀は全宇宙絶つ  (和泉市) 長尾幹也

 「甲羅もつおまえいいなあ首、四肢をひっこめ」までの叙述は素晴らしい。
 だが、それに続く「亀は全宇宙絶つ」という断定に対する評価はさまざまでありましょう。
 因みに、評者は全然買いません。
 特に「全宇宙」という虚仮脅かし的な語に対しては反感すら覚えます。
 〔返〕  銭亀は首と手足を引っ込めて我ら濁世と没交渉なり   鳥羽省三


○  たんとたんと召し上がりゃぁせと垣越しに茗荷団子(ぶんたこ)湯気立てて来ぬ  (岐阜県) 棚橋久子

 岐阜地方の方言で「団子」のことを「ぶんたと」と言うと聴いたのも初めてのことであり、「茗荷団子」というお菓子があることも全く知りませんでした。
 ところで、何方かご存じの方にお尋ね致しますが、「茗荷団子」とは、野菜の茗荷を原料とした「団子」では無く、「茗荷」の葉っぱの上に乗せるか、「茗荷」の葉っぱで包むかした「団子」ではありませんか。
 もし、そうだとしたら、私の郷里に、青い笹の葉の上に黄色い団子状の餅菓子を乗せた素朴な和菓子が在り、“なると”という名で販売されておりますが、作中の「茗荷団子」と“なると”とは、お菓子が乗った葉っぱの違いに過ぎないのではありませんでしょうか?
 〔返〕  じっぱりといただぎましてありがどう。お礼に“なると”を食べてたんせ。   鳥羽省三


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