入選者(年齢順)
愛知県・伊藤正彦さん(83)
〇 いなづまのまたひらめきし静かなる窓ひとつあり夜をひとりあり
短歌とは、わずか「三十一音」から成る短詩型文学である。
したがって、一首の作品の中に詠み得る事柄は、自ずから限られていると言わなければなりません。
一首の作品の中に「あれも詠みたい、これも詠みたい」という事になれば、余りにも多くの事項を詰め込んでしまう結果となり、何が何だか解らない作品になってしまうのである。
伊藤正彦さんの場合も亦、多分にそうした欲張った気持ちで掲歌をお詠みになったように思われる。
伊藤正彦さんが上掲の短歌を詠もうとした時に目にした光景は、「晩秋の一夜、独り暮らしの私の視線の先に一軒の家が在り、折からの稲妻の閃めきにつれて、その一軒の家の窓が先刻からしばしば閃いている」といった、よく在る光景であったのかも知れません。
だとすれば、作者は「稲妻のまた閃ける窓みつめ独り身われは眠らずに居り」といった、極めて単純明解な内容の一首を詠んだのかも知れません。
然るに、伊藤正彦さんには、かねがね「歌会始の儀」に詠進歌を投稿しようとする固いご意志が有り、それを貫徹する為には、この元歌に今年の兼題の「静」の一字を盛り込まなければならない、という事になりましょう。
と、すると、結果的には「いなづまのまたひらめきし静かなる窓ひとつあり夜をひとりあり」という、極めて意味不分明な一首が出来上がる事にもなるのでありましょう。
二句目、「またひらめきし」の「し」が、過去回想の助動詞「き」の連体形であることに留意する必要がありましょう。
副詞「また」が「ひらめきし」という述語を修飾していることから判断しても、「現在時点に於いて自分が目前にしている光景と、それに対する自分の心境を詠んでいる」という一首全体の意味内容から判断しても、この場面で過去回想の助動詞を用いることは適切とは言えません。
あれこれと述べさせていただきましたが、作者が八十三歳という高齢者であることを考慮しても、この作品を「歌会始めの儀」の入選作とするのには、かなりの無理がありましょう。
我が国が世界一の高齢化社会と化してしまった今日、一人暮らしの高齢者への福祉行政の冷たさが、社会問題化している今日、掲歌を通じて作者の伊藤正彦さんが、広い世の中に訴え掛けようとした事柄の重さや、作者ご自身の心境の暗さは、私・鳥羽省三にも、決して解らない訳ではありませんが、表現上に重大な欠陥を持っている本作を、敢えて「歌会始の儀」の入選歌とした点に就いては、選者諸氏の識見が疑われるのである。
山口県・中西輝磨さん(82)
〇 目の生れし魚の卵をレンズもて見守る実験室の静けさ
作者の中西輝磨さんは、山口県下関市にお住まいになられ、水族館などの水棲生物の研究施設に長年ご勤務された方であり、「歌会始の儀」には三回目の入選とのこと。
掲歌は、ご職業柄、魚卵の細胞分裂の有り様を顕微鏡で以って観察していた時の経験に基づいて詠んだのでありましょう。
「目の生れし魚の卵をレンズもて見守る実験室」と、かつての自分自身の職業に取材した事項を記した後に、「(実験室の)静けさ」と纏めた辺りのお手並みはなかなかのものであり、この場合の「静けさ」という語は動かし難い語である。
徳島県・藤本和代さん(65)
〇 おほいなる愛のこもれる腎ひとつ静かに収まる弟の身に
作者の藤本和代さんは、徳島県吉野川市鴨島町牛島で農業に従事なさっているとのこと。
最愛の肉親の弟さんに移植された腎臓であれば「おほいなる愛のこもれる腎ひとつ」とお詠みになるのも当然のことでありましょう。
「腎ひとつ静かに収まる弟の身に」という三句には、移植手術が無事に終わったことに拠って生じた、作者・藤本和代さんの安堵感が余すところ無く表現されている、と言えましょう。
北海道・佐藤真理子さん(64)
〇 プレートよ静かにしづかに今しがた生まれたひとりが乗ろうとしてゐる
作者の佐藤真理子さんは、元・保育士とか。
作中の「プレート」とは、難しい言葉を使って言えば「地球表層部を形成する厚さ100キロ前後の硬い岩板」ということになりましょうが、この場面に於いては、単純に「地球」といった意味に解釈しておいた方が宜しいのかも知れません。
だとしたら、掲歌の作者の佐藤真理子さんは、元・保育士というご職業に相応しく、お孫さんに当たる、赤ちゃんの誕生の場に臨んで、「私たちの地球よ、未来永劫に静かに静かにしていて下さい。何故ならば、今しがた生まれたばかりの一人の赤ちゃんが、あなたの上に乗ろうとしているからである」と、「未来永劫に亘って震災よ無かれ」との強い意志を込めて、掲歌をお詠みになったのでありましょう。
今年の入選作中の第一の傑作と申し上げるべき作品でありましょう。
群馬県・山口啓子さん(60)
〇 ひとり住む母の暮しの静かなり父のセーター今日も着てをり
作者の山口啓子さんは、「前橋市にお住いの元・群馬県職員である」とか。
「父親の良一さんが一九九八年に七十八歳で急逝した後、一人暮らしになってしまった母親のハツさんは、しばらくの間ひどく落ち込み、塞ぎ込んでいたのであるが、その後、徐々に元気を取り戻し、最近に於いては、自分の身の周りの事は、自分でするようになった」とのこと。
掲歌は、そんな暮しの母親・ハツさんの最近の元気な姿を詠んだのでありましょう。
「ひとり住む母の暮しの静かなり」という上の句の中の「静かなり」には、「この頃は塞ぎ込むことも無くなって静かな暮しを取り戻した母・ハツさんの暮らしに対する、娘・啓子さんの万感の思い」が込められていることでありましょう。
「父のセーター今日も着てをり」という下の句のユーモアセンスもまた佳し。
大阪府・前田直美さん(52)
〇 嫁ぐ日の朝に母は賑やかに父は静かに食卓囲む
作者の前田直美さんは、「大阪市平野区にお住いのの会社員。お仕事の内容は、大丸松坂屋百貨店で人材教育を担当している」とのこと。
「今から二十九年前に、姉が嫁いだ日の両親の様子を歌に綴った」とのこと。
作中の「母は賑やかに父は静かに食卓囲む」とは、如何にも「さもありなん」といった感じのユーモラスな表現である。
福島県・冨塚真紀子さん(32)
〇 吾の名をきみが小さく呼捨てて静かに胸が揺らいでしまふ
作者の冨塚真紀子さんは、「福島県の旧・長沼町(現・須賀川市)出身で、旧安積女子高(現安積黎明高)を卒業後、首都圏の大学に進学したが、人間関係に悩み3カ月で中退。苦しい思いを表現するため短歌を始め、平成10年、福井県越前市などでつくる実行委員会が募集した『万葉の里・短歌募集~あなたを想う恋のうた』に初めて応募し佳作を受賞。その後しばらく短歌から離れていたが、約10年後、人間関係などで再び深く悩む。救ってくれたのは、やはり短歌だった。インターネットのサイトに投句し、心の均衡を保った。平成21年には、県文学賞短歌部門で『棘が刺さったままの指』と題した五十首が奨励賞に選ばれた」とのこと。
また、「母親の友人の勧めで、歌会始の儀に応募した。恋人同士の相手の呼び方が、あだ名から名前の呼び捨てに変わった瞬間を詠んだ作品だ。園芸のアルバイトや車の運転中などに思いついた作品を書き留めたノートの中から気に入った一首を選んだ」とのこと。
一月二十日(月)付けの『福島民報』に拠ると、この一首は「恋愛をテーマに恋人同士の心の距離が徐々に縮まる様子を詠んだ」とのことであるが、「静かに胸が揺らいでしまふ」という七七句を、「恋人同士の心の距離が徐々に縮まる様子を詠んだ」ものと解して宜しいのでありましょうか?
「静かに胸が揺らいでしまふ」とは、余りにも漠然とした言い方でありましょう!
東京都・樋口盛一さん(29)
〇 静けさを大事にできる君となら何でもできる気がした真夏
作者の樋口盛一さんは、「法政大学文学部で日本文学を専攻した後、広告会社に勤務している」とか。
「静けさを大事にできる君となら何でもできる気がした真夏」という、穏かな内容の一首は、広告マンらしく(と謂うか、表面の温和な性格とは別に計算尽くの側面も見られる現代社会の若者らしく、と謂うか)、「歌会始の儀」の選者の選歌傾向を読み切った作品である、とも言えましょう。
それにしても、末尾の一語「真夏」は、村の鎮守の祭の夜店の的屋の飴細工の蛇に付けた脚のような語である。
東京都・中島梨那さん(20)
〇 二人分焼いてしまつた食パンと静かな朝の濃いコロンビア
作者の中島梨那さんは、「跡見学園高校から皇后・美智子様の母校・聖心女子大学に進学し、現在・二年生」とか。
作者に拠ると「自分にとって、大切な人を失ってしまったときのさみしさを歌った歌です。家族だったり、恋人だったり、それは詠んでいただく方に想像していただけるようにつくりました」とのことである。
と、すると、掲歌は、「歌会始の儀」の入選歌としては極めて珍しい仮想恋愛の歌であり、また、「歌会始の儀」の当日、皇后・美智子様は、後輩の中島梨那さんにお言葉をお掛けになり「美智子様が(当時)着ていた制服に、私(中島さん)が今着ている制服が似ている、といった意味のお話をなさった」とのことでもあるが、いずれにしろ、「お聖心」の在学生が話すに相応しい、別世界の話題と言うべきでありましょう。
新潟県・加藤光一さん(16)
〇 続かない話題と話題のすきまには君との距離が静かにあつた
私がたまたま目にしたブログに、「でました、今年最年少の高校生!書道の授業を機に短歌が趣味に。今回は携帯電話のコミュニケーションに疑問を抱いた歌だそうです。LINEとか出ちゃったりする!?いかにスマホ世代の『静』が読み込まれるのか。将来の夢は高校教師。『得意な数学か生物に関する言葉を使って短歌を作りたい』そうです。それだよ!僕らが聞きたいのは!がんばれ!」とありました。
入選作十首の中には、兼題の「静」がほとんど活かされていない作品が在ったり、それが一首の成立の邪魔をしているような作品も在ったりするのであるが、掲歌、即ち「続かない話題と話題のすきまには君との距離が静かにあつた」などは、比較的に兼題が活かされている作品と言えましょう。
愛知県・伊藤正彦さん(83)
〇 いなづまのまたひらめきし静かなる窓ひとつあり夜をひとりあり
短歌とは、わずか「三十一音」から成る短詩型文学である。
したがって、一首の作品の中に詠み得る事柄は、自ずから限られていると言わなければなりません。
一首の作品の中に「あれも詠みたい、これも詠みたい」という事になれば、余りにも多くの事項を詰め込んでしまう結果となり、何が何だか解らない作品になってしまうのである。
伊藤正彦さんの場合も亦、多分にそうした欲張った気持ちで掲歌をお詠みになったように思われる。
伊藤正彦さんが上掲の短歌を詠もうとした時に目にした光景は、「晩秋の一夜、独り暮らしの私の視線の先に一軒の家が在り、折からの稲妻の閃めきにつれて、その一軒の家の窓が先刻からしばしば閃いている」といった、よく在る光景であったのかも知れません。
だとすれば、作者は「稲妻のまた閃ける窓みつめ独り身われは眠らずに居り」といった、極めて単純明解な内容の一首を詠んだのかも知れません。
然るに、伊藤正彦さんには、かねがね「歌会始の儀」に詠進歌を投稿しようとする固いご意志が有り、それを貫徹する為には、この元歌に今年の兼題の「静」の一字を盛り込まなければならない、という事になりましょう。
と、すると、結果的には「いなづまのまたひらめきし静かなる窓ひとつあり夜をひとりあり」という、極めて意味不分明な一首が出来上がる事にもなるのでありましょう。
二句目、「またひらめきし」の「し」が、過去回想の助動詞「き」の連体形であることに留意する必要がありましょう。
副詞「また」が「ひらめきし」という述語を修飾していることから判断しても、「現在時点に於いて自分が目前にしている光景と、それに対する自分の心境を詠んでいる」という一首全体の意味内容から判断しても、この場面で過去回想の助動詞を用いることは適切とは言えません。
あれこれと述べさせていただきましたが、作者が八十三歳という高齢者であることを考慮しても、この作品を「歌会始めの儀」の入選作とするのには、かなりの無理がありましょう。
我が国が世界一の高齢化社会と化してしまった今日、一人暮らしの高齢者への福祉行政の冷たさが、社会問題化している今日、掲歌を通じて作者の伊藤正彦さんが、広い世の中に訴え掛けようとした事柄の重さや、作者ご自身の心境の暗さは、私・鳥羽省三にも、決して解らない訳ではありませんが、表現上に重大な欠陥を持っている本作を、敢えて「歌会始の儀」の入選歌とした点に就いては、選者諸氏の識見が疑われるのである。
山口県・中西輝磨さん(82)
〇 目の生れし魚の卵をレンズもて見守る実験室の静けさ
作者の中西輝磨さんは、山口県下関市にお住まいになられ、水族館などの水棲生物の研究施設に長年ご勤務された方であり、「歌会始の儀」には三回目の入選とのこと。
掲歌は、ご職業柄、魚卵の細胞分裂の有り様を顕微鏡で以って観察していた時の経験に基づいて詠んだのでありましょう。
「目の生れし魚の卵をレンズもて見守る実験室」と、かつての自分自身の職業に取材した事項を記した後に、「(実験室の)静けさ」と纏めた辺りのお手並みはなかなかのものであり、この場合の「静けさ」という語は動かし難い語である。
徳島県・藤本和代さん(65)
〇 おほいなる愛のこもれる腎ひとつ静かに収まる弟の身に
作者の藤本和代さんは、徳島県吉野川市鴨島町牛島で農業に従事なさっているとのこと。
最愛の肉親の弟さんに移植された腎臓であれば「おほいなる愛のこもれる腎ひとつ」とお詠みになるのも当然のことでありましょう。
「腎ひとつ静かに収まる弟の身に」という三句には、移植手術が無事に終わったことに拠って生じた、作者・藤本和代さんの安堵感が余すところ無く表現されている、と言えましょう。
北海道・佐藤真理子さん(64)
〇 プレートよ静かにしづかに今しがた生まれたひとりが乗ろうとしてゐる
作者の佐藤真理子さんは、元・保育士とか。
作中の「プレート」とは、難しい言葉を使って言えば「地球表層部を形成する厚さ100キロ前後の硬い岩板」ということになりましょうが、この場面に於いては、単純に「地球」といった意味に解釈しておいた方が宜しいのかも知れません。
だとしたら、掲歌の作者の佐藤真理子さんは、元・保育士というご職業に相応しく、お孫さんに当たる、赤ちゃんの誕生の場に臨んで、「私たちの地球よ、未来永劫に静かに静かにしていて下さい。何故ならば、今しがた生まれたばかりの一人の赤ちゃんが、あなたの上に乗ろうとしているからである」と、「未来永劫に亘って震災よ無かれ」との強い意志を込めて、掲歌をお詠みになったのでありましょう。
今年の入選作中の第一の傑作と申し上げるべき作品でありましょう。
群馬県・山口啓子さん(60)
〇 ひとり住む母の暮しの静かなり父のセーター今日も着てをり
作者の山口啓子さんは、「前橋市にお住いの元・群馬県職員である」とか。
「父親の良一さんが一九九八年に七十八歳で急逝した後、一人暮らしになってしまった母親のハツさんは、しばらくの間ひどく落ち込み、塞ぎ込んでいたのであるが、その後、徐々に元気を取り戻し、最近に於いては、自分の身の周りの事は、自分でするようになった」とのこと。
掲歌は、そんな暮しの母親・ハツさんの最近の元気な姿を詠んだのでありましょう。
「ひとり住む母の暮しの静かなり」という上の句の中の「静かなり」には、「この頃は塞ぎ込むことも無くなって静かな暮しを取り戻した母・ハツさんの暮らしに対する、娘・啓子さんの万感の思い」が込められていることでありましょう。
「父のセーター今日も着てをり」という下の句のユーモアセンスもまた佳し。
大阪府・前田直美さん(52)
〇 嫁ぐ日の朝に母は賑やかに父は静かに食卓囲む
作者の前田直美さんは、「大阪市平野区にお住いのの会社員。お仕事の内容は、大丸松坂屋百貨店で人材教育を担当している」とのこと。
「今から二十九年前に、姉が嫁いだ日の両親の様子を歌に綴った」とのこと。
作中の「母は賑やかに父は静かに食卓囲む」とは、如何にも「さもありなん」といった感じのユーモラスな表現である。
福島県・冨塚真紀子さん(32)
〇 吾の名をきみが小さく呼捨てて静かに胸が揺らいでしまふ
作者の冨塚真紀子さんは、「福島県の旧・長沼町(現・須賀川市)出身で、旧安積女子高(現安積黎明高)を卒業後、首都圏の大学に進学したが、人間関係に悩み3カ月で中退。苦しい思いを表現するため短歌を始め、平成10年、福井県越前市などでつくる実行委員会が募集した『万葉の里・短歌募集~あなたを想う恋のうた』に初めて応募し佳作を受賞。その後しばらく短歌から離れていたが、約10年後、人間関係などで再び深く悩む。救ってくれたのは、やはり短歌だった。インターネットのサイトに投句し、心の均衡を保った。平成21年には、県文学賞短歌部門で『棘が刺さったままの指』と題した五十首が奨励賞に選ばれた」とのこと。
また、「母親の友人の勧めで、歌会始の儀に応募した。恋人同士の相手の呼び方が、あだ名から名前の呼び捨てに変わった瞬間を詠んだ作品だ。園芸のアルバイトや車の運転中などに思いついた作品を書き留めたノートの中から気に入った一首を選んだ」とのこと。
一月二十日(月)付けの『福島民報』に拠ると、この一首は「恋愛をテーマに恋人同士の心の距離が徐々に縮まる様子を詠んだ」とのことであるが、「静かに胸が揺らいでしまふ」という七七句を、「恋人同士の心の距離が徐々に縮まる様子を詠んだ」ものと解して宜しいのでありましょうか?
「静かに胸が揺らいでしまふ」とは、余りにも漠然とした言い方でありましょう!
東京都・樋口盛一さん(29)
〇 静けさを大事にできる君となら何でもできる気がした真夏
作者の樋口盛一さんは、「法政大学文学部で日本文学を専攻した後、広告会社に勤務している」とか。
「静けさを大事にできる君となら何でもできる気がした真夏」という、穏かな内容の一首は、広告マンらしく(と謂うか、表面の温和な性格とは別に計算尽くの側面も見られる現代社会の若者らしく、と謂うか)、「歌会始の儀」の選者の選歌傾向を読み切った作品である、とも言えましょう。
それにしても、末尾の一語「真夏」は、村の鎮守の祭の夜店の的屋の飴細工の蛇に付けた脚のような語である。
東京都・中島梨那さん(20)
〇 二人分焼いてしまつた食パンと静かな朝の濃いコロンビア
作者の中島梨那さんは、「跡見学園高校から皇后・美智子様の母校・聖心女子大学に進学し、現在・二年生」とか。
作者に拠ると「自分にとって、大切な人を失ってしまったときのさみしさを歌った歌です。家族だったり、恋人だったり、それは詠んでいただく方に想像していただけるようにつくりました」とのことである。
と、すると、掲歌は、「歌会始の儀」の入選歌としては極めて珍しい仮想恋愛の歌であり、また、「歌会始の儀」の当日、皇后・美智子様は、後輩の中島梨那さんにお言葉をお掛けになり「美智子様が(当時)着ていた制服に、私(中島さん)が今着ている制服が似ている、といった意味のお話をなさった」とのことでもあるが、いずれにしろ、「お聖心」の在学生が話すに相応しい、別世界の話題と言うべきでありましょう。
新潟県・加藤光一さん(16)
〇 続かない話題と話題のすきまには君との距離が静かにあつた
私がたまたま目にしたブログに、「でました、今年最年少の高校生!書道の授業を機に短歌が趣味に。今回は携帯電話のコミュニケーションに疑問を抱いた歌だそうです。LINEとか出ちゃったりする!?いかにスマホ世代の『静』が読み込まれるのか。将来の夢は高校教師。『得意な数学か生物に関する言葉を使って短歌を作りたい』そうです。それだよ!僕らが聞きたいのは!がんばれ!」とありました。
入選作十首の中には、兼題の「静」がほとんど活かされていない作品が在ったり、それが一首の成立の邪魔をしているような作品も在ったりするのであるが、掲歌、即ち「続かない話題と話題のすきまには君との距離が静かにあつた」などは、比較的に兼題が活かされている作品と言えましょう。