渡辺松男第8歌集 『きなげつの魚』
ひまはりの種テーブルにあふれさせまぶしいぢやないかきみは癌なのに
手をたれて(いま手をたれて病むひとの手の数に慄然と)われあり
幾山河花の承けたる足のうら靴下はかず焼かれたりけり
てのひらのぬくみつたふるためにのみ永遠のきよりよをなきひとは来る
あしあとのなんまん億を解放しなきがらとなりしきみのあなうら
わがいまのすべてはきみの死後なればみる花々にかげひとつなし
亡き妻の素肌のやうな雲海をベッドとおもふ曙光を受けて
亡き妻は牡丹となりぬみづからを隠す牡丹のたれにも見えぬ
をみなてふあをいかがみに逢ひにけりおもてながるるせせらぎのおと
死にしゆゑわれより自在なるきみのけふたえまなくつばなとそよぐ
なき妻もこはるびよりにぴんぽんの球ほどとなりかるらかに跳ね
うづ銀河うづまくかなたいづみありくりすたるりんごを妻ともふとき
みえぬところはいかなるところ亡妻を恋ひみえぬひばりをまぬる口笛
世にたつたいちまいの空ひるがへり黒あげはみゆ君なきわれに
亡ききみへプレゼントだよ鶯を藪にしまひて藪ごとあげる
亡ききみのまなつのゑみのすがしさのみえて湖畔にやなぎらんゆる
なきひとのあなたとゐると落ちつきて透きとほつた池は底のもみぢ葉
耳のおくのみづうみ荒れてゐるけふはまゐつたな死が憎くてならず
かなしみは深空となりてあが瑠璃のかがみのからだヒマラヤ映す
みづからを花とし知らぬ花あまたまひあがらせてこの世の無人
墓石は群れつつもきよりたもちゐてしんしんと雪にうもれてゆくも
あさやけとゆふやけ孤悲の両翼をたたみてterraに添ひ寝をせむや
千年の牧場はたえず牛の雲おりきて牛となりて草はむ
無力はもいかなるちからすずしさをおもひぬシラネアフヒのいろの
こほりたる枯蓮の沼日のさせば氷のしたを機関車がゆく
あたたかにひと浮かぶれば木瓜の咲き庭の隅からあからみてきし
葉桜となりて道ゆくひと減れどあるくひとみな歩きうるひと
あはれみな名づけられたるものは死す いちえふらん こんな深山の花も
鈴がなり河骨咲きぬおもひでになるまえのここ水惑星に
蟬しぐれまひるあかるき球なれば蟬しぐれのなか木々くわいてんす
蟬が松おほひつくしてはげしかるゆふまぐれどき首の重たき
樹は港しらざるままに逝くべきを鳥は港とおもひて樹に来
おほきなるめまひのなかのちひさなるめまひかなこのあさがほのはな
みえぬみづながれてゐたり竹伐りてあかるくなりし分のせせらぎ
ちかごろ視野にむらさきゆたゆたゆれゐしがはつと気づけば藤もなにもなし
あぢさゐのみえざるひかりうけて咲みひかりさやげばあぢさゐのきゆ
おそろしきことながら紅葉ちりゆくはむしろ歓喜として個をもたず
ひえびえと紅葉のひと葉わがうちに立ちぬればそのひと葉がすべて
だんだんとわたしに占むる死者の量ふえきて傘にはりつくさくら
円墳にかかりしわづかなるかげの円墳すべておほふ掌となる
タイルの目朝のひかりにうきあがりタイルひとつにわれはをさまる
押上につまやうじ建つと聞きたればつまやうじの影に泣くひとあらめ
いろいろのこゑのなかみづいろのこゑのやがて死ぬ子のちゑのわあそび
がうがうたる華厳滝をおもへども滝を背負ひてゐる山しづか
をりづるの鶴のきらひなわれなればすさまじき西日ベッドにあびす
蹠の虚空にくひこむかんしよくをあぢはひにつつくわんおんあゆむ
なまづの肉いただきましたやがて無とならむといはれこさめふるひに
繊い枝にも蔓にも草にもつかまりて鳥類の趾のやうに不安だ
タイルの目朝のひかりにうきあがりタイルひとつにわれはをさまる
足の爪ふかくこごみて切りながら小雨と気づきてゐたり背後は
歯をみがき歯のかがやきをいかにせむ除夜の鐘鳴りをはるころなり
地下ふかくある美術館振子の絵いちまいありて振子の静思
とうざいなんぼく一月一日この世などうそのやうなあの世のやうなあめつち
白昼そのものをおとなしくみてゐしはまなつもふゆもガスタンクの目
寝釈迦また死者のひとりかあしもとにすみれの咲きて時のながれず
こくこくとあとのまつりのくりかへし火のゆれは火のかぜにおくれて
絶滅といふことは最後のオホカミがあつたのだ、その死後の銀漢
一生のあつみに似たるいちまいのうすら氷のうらおもての宇宙
いちぬけしときゆなんばんぎせる愛しやまひえて天球秘曲もきこゆ
いくど日は弧をゑがききやわうごんのその弧のなかに一本の松
臼ここにあるゆゑなんのわけもなくかなしいここにあるといふこと
われはわれ以外にあらずとめちやくちやなことおもへる日臼は石臼
臼をただ臼とし永くみてをれば臼のかたちの無のあらはるる
たれからも理解されざる哲学はわれひとりのとき臼はばけもの
青空は大莫迦だから頭入れあたまは五月の空の大きさ
ぢつとしてゐる石臼に追ひつけぬわれのあせりは木の葉ちりやまず
タイルの目朝のひかりにうきあがりタイルひとつにわれはをさまる
てのひらのあらざる鳩は手をかさねあふこともなく雪に二羽ゐる
てのひらにおほみづたまりあるゆふべてのひらを吾は逆さにしたり
むきだしのそんざいならぬもののなき炎昼をつりがねの撞かるる
めじろ眼を閉ぢておちけりわがいのちひとひのびなば鳥いくつおつ
ただ死ねばいいだけのこととどろける夕焼け空に大車輪みゆ
ひとに見せなば壊るるこころと知りながらときどきは人に見せては壊す
むかう岸へとどかむとする橋なればむかう岸からいとどしぐるる
くだけしはきなげつの魚 しろがねのクリップ都市に散乱したり
あッあッとかすかなるこゑ切株の銀河にのまれゆける蜻蛉の
旻天に遠くちひさく一生の反射のやうな銀のひかう機
たましひのありか教ふる雨音にこんなにうすく鼓膜はありて
われの呼気われともいへぬそよかぜのえながやまがらこならとあそぶ
みじかかる世を鳴きたてし春蟬のすべてがわれかおちて仰臥す
くうかんを ちぢめ くうかんを ひろげ 銀河に芥子にわがみひびく身
春昼といふおほけむりたちぬればたゆたひてたれもゆめのうちがは
日ごと鐘空に澄めどもわがやまひきのふよりけふよくなるはなき
はるかなるみづうみにこころ置きながらすすりてゐたり薄霧の粥
どろりとせるなみだなかなかおちざれば初日といふに世界のゆがむ
あはれ蚊のしよぎやうむじやうのひらめきは掌につぶされしかたちとなりぬ
ひまはりの種テーブルにあふれさせまぶしいぢやないかきみは癌なのに
手をたれて(いま手をたれて病むひとの手の数に慄然と)われあり
幾山河花の承けたる足のうら靴下はかず焼かれたりけり
てのひらのぬくみつたふるためにのみ永遠のきよりよをなきひとは来る
あしあとのなんまん億を解放しなきがらとなりしきみのあなうら
わがいまのすべてはきみの死後なればみる花々にかげひとつなし
亡き妻の素肌のやうな雲海をベッドとおもふ曙光を受けて
亡き妻は牡丹となりぬみづからを隠す牡丹のたれにも見えぬ
をみなてふあをいかがみに逢ひにけりおもてながるるせせらぎのおと
死にしゆゑわれより自在なるきみのけふたえまなくつばなとそよぐ
なき妻もこはるびよりにぴんぽんの球ほどとなりかるらかに跳ね
うづ銀河うづまくかなたいづみありくりすたるりんごを妻ともふとき
みえぬところはいかなるところ亡妻を恋ひみえぬひばりをまぬる口笛
世にたつたいちまいの空ひるがへり黒あげはみゆ君なきわれに
亡ききみへプレゼントだよ鶯を藪にしまひて藪ごとあげる
亡ききみのまなつのゑみのすがしさのみえて湖畔にやなぎらんゆる
なきひとのあなたとゐると落ちつきて透きとほつた池は底のもみぢ葉
耳のおくのみづうみ荒れてゐるけふはまゐつたな死が憎くてならず
かなしみは深空となりてあが瑠璃のかがみのからだヒマラヤ映す
みづからを花とし知らぬ花あまたまひあがらせてこの世の無人
墓石は群れつつもきよりたもちゐてしんしんと雪にうもれてゆくも
あさやけとゆふやけ孤悲の両翼をたたみてterraに添ひ寝をせむや
千年の牧場はたえず牛の雲おりきて牛となりて草はむ
無力はもいかなるちからすずしさをおもひぬシラネアフヒのいろの
こほりたる枯蓮の沼日のさせば氷のしたを機関車がゆく
あたたかにひと浮かぶれば木瓜の咲き庭の隅からあからみてきし
葉桜となりて道ゆくひと減れどあるくひとみな歩きうるひと
あはれみな名づけられたるものは死す いちえふらん こんな深山の花も
鈴がなり河骨咲きぬおもひでになるまえのここ水惑星に
蟬しぐれまひるあかるき球なれば蟬しぐれのなか木々くわいてんす
蟬が松おほひつくしてはげしかるゆふまぐれどき首の重たき
樹は港しらざるままに逝くべきを鳥は港とおもひて樹に来
おほきなるめまひのなかのちひさなるめまひかなこのあさがほのはな
みえぬみづながれてゐたり竹伐りてあかるくなりし分のせせらぎ
ちかごろ視野にむらさきゆたゆたゆれゐしがはつと気づけば藤もなにもなし
あぢさゐのみえざるひかりうけて咲みひかりさやげばあぢさゐのきゆ
おそろしきことながら紅葉ちりゆくはむしろ歓喜として個をもたず
ひえびえと紅葉のひと葉わがうちに立ちぬればそのひと葉がすべて
だんだんとわたしに占むる死者の量ふえきて傘にはりつくさくら
円墳にかかりしわづかなるかげの円墳すべておほふ掌となる
タイルの目朝のひかりにうきあがりタイルひとつにわれはをさまる
押上につまやうじ建つと聞きたればつまやうじの影に泣くひとあらめ
いろいろのこゑのなかみづいろのこゑのやがて死ぬ子のちゑのわあそび
がうがうたる華厳滝をおもへども滝を背負ひてゐる山しづか
をりづるの鶴のきらひなわれなればすさまじき西日ベッドにあびす
蹠の虚空にくひこむかんしよくをあぢはひにつつくわんおんあゆむ
なまづの肉いただきましたやがて無とならむといはれこさめふるひに
繊い枝にも蔓にも草にもつかまりて鳥類の趾のやうに不安だ
タイルの目朝のひかりにうきあがりタイルひとつにわれはをさまる
足の爪ふかくこごみて切りながら小雨と気づきてゐたり背後は
歯をみがき歯のかがやきをいかにせむ除夜の鐘鳴りをはるころなり
地下ふかくある美術館振子の絵いちまいありて振子の静思
とうざいなんぼく一月一日この世などうそのやうなあの世のやうなあめつち
白昼そのものをおとなしくみてゐしはまなつもふゆもガスタンクの目
寝釈迦また死者のひとりかあしもとにすみれの咲きて時のながれず
こくこくとあとのまつりのくりかへし火のゆれは火のかぜにおくれて
絶滅といふことは最後のオホカミがあつたのだ、その死後の銀漢
一生のあつみに似たるいちまいのうすら氷のうらおもての宇宙
いちぬけしときゆなんばんぎせる愛しやまひえて天球秘曲もきこゆ
いくど日は弧をゑがききやわうごんのその弧のなかに一本の松
臼ここにあるゆゑなんのわけもなくかなしいここにあるといふこと
われはわれ以外にあらずとめちやくちやなことおもへる日臼は石臼
臼をただ臼とし永くみてをれば臼のかたちの無のあらはるる
たれからも理解されざる哲学はわれひとりのとき臼はばけもの
青空は大莫迦だから頭入れあたまは五月の空の大きさ
ぢつとしてゐる石臼に追ひつけぬわれのあせりは木の葉ちりやまず
タイルの目朝のひかりにうきあがりタイルひとつにわれはをさまる
てのひらのあらざる鳩は手をかさねあふこともなく雪に二羽ゐる
てのひらにおほみづたまりあるゆふべてのひらを吾は逆さにしたり
むきだしのそんざいならぬもののなき炎昼をつりがねの撞かるる
めじろ眼を閉ぢておちけりわがいのちひとひのびなば鳥いくつおつ
ただ死ねばいいだけのこととどろける夕焼け空に大車輪みゆ
ひとに見せなば壊るるこころと知りながらときどきは人に見せては壊す
むかう岸へとどかむとする橋なればむかう岸からいとどしぐるる
くだけしはきなげつの魚 しろがねのクリップ都市に散乱したり
あッあッとかすかなるこゑ切株の銀河にのまれゆける蜻蛉の
旻天に遠くちひさく一生の反射のやうな銀のひかう機
たましひのありか教ふる雨音にこんなにうすく鼓膜はありて
われの呼気われともいへぬそよかぜのえながやまがらこならとあそぶ
みじかかる世を鳴きたてし春蟬のすべてがわれかおちて仰臥す
くうかんを ちぢめ くうかんを ひろげ 銀河に芥子にわがみひびく身
春昼といふおほけむりたちぬればたゆたひてたれもゆめのうちがは
日ごと鐘空に澄めどもわがやまひきのふよりけふよくなるはなき
はるかなるみづうみにこころ置きながらすすりてゐたり薄霧の粥
どろりとせるなみだなかなかおちざれば初日といふに世界のゆがむ
あはれ蚊のしよぎやうむじやうのひらめきは掌につぶされしかたちとなりぬ