臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

「歌会始の儀(平成二十九年)の御製など」に就いて

2017年01月18日 | ビーズのつぶやき
天皇陛下
 邯鄲の鳴く音(ね)聞かむと那須の野に集ひし夜をなつかしみ思ふ

 「邯鄲」とは、「直翅目カンタン科の昆虫であり、秋に鳴く虫の代表種で、コオロギの一種であるが、コオロギの中では例外的な淡黄緑色ないし淡黄褐色をしており,雄は昼間からルルルルル……という繊細であまり強くない連続音を出して鳴く。」
 「邯鄲の鳴く音聞かむ」と秋の一夜に「那須の野に集ひし」とは、さすがにご皇族の方々ならではの優雅さである。
 同じ昆虫の鳴く音をお聞きになられるにしても、それが蟬や轡虫やオケラや地虫では無くて、「邯鄲」である点が頗る奥ゆかしいところであり、同じコオロギの仲間であっても、ツヅレサセ
コオロギの場合は、その名前からして貧乏たらしいし、タンボコオロギの場合は、「ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ」 と蛙のような声で鳴くので、ご皇族様の集いの場で鳴く昆虫の音色としては、かなり下卑た声というべきでありましょう。
 ところで、作中に「集ひし夜をなつかしみ思ふ」とありますが、天皇陛下と皇后様と、他に何方様がいらっしゃったのかしら?ご皇族からご離脱なさったご息女様はいらっしゃったのかしら?
 一介の庶民に過ぎない私ではありますが、斯かる事柄に就いては、頗る興味の湧くところではあります。
 [反歌] 邯鄲の夢の枕に過ぎざればしもじも吾の労苦は言はじ


皇后さま
 土筆摘み野蒜を引きてさながらに野にあるごとくここに住み来し

 「土筆」は「摘み」、「野蒜」は「引く」ものである、との、日本語の言葉使いのテキストの如き表現は、さすがに美智子皇后様ならではの一首である。
 少し冗談を言わせていただきますが、「さながらに野にあるごとくここに住み来し」とありますが、「野」と言っても様々の「野」があり、私たち庶民の棲む「野」は、アベノミクスの暴風が吹き荒れている「野」であることを、美智子皇后様はご承知でいらっしゃいましょうか?
 冗談です!冗談ですから、皇后様には、何卒、お気遣いなさらないになさって下さいませ。
 [反歌] 野花摘み草を食ひつつ永らへて喜寿を迎へる吾にかあらむ


皇太子さま
 岩かげにしたたり落つる山の水大河となりて野を流れゆく

 一首全体の、奥行が深くゆったりした趣と歌柄の大きさは、さすがに皇太子さまの御作である。
 [反歌] 岩陰にしたたり落つる清き水やがて庶民の暮らしを潤す  


皇太子妃雅子さま
 那須の野を親子三人で歩みつつ吾子に教ふる秋の花の名

 「こんな時代もありましたか!」という気持ちになった一首である。
 「吾子」さま共々ご療養なさっておられるかと拝察致しますが、歌会始の儀の会場・皇居宮殿松の間に、そのお美しくもご聡明なるお姿がお見えにならなかった事は、一国民としての私・鳥羽省三にとっては、とてもとてもとてもとても残念な事でありました。


秋篠宮さま
 山腹の野に放たれし野鶏らは新たな暮らしを求め飛び行く

 「山腹の野に放たれし野鶏ら」と異なり、「新たな暮らしを求め飛び行く」ことが出来ないのが皇族の方々でありましょうか?
 でも、秋篠宮様に於かれましては、結構のびのびとなさって居られるようにお見受けしますが、その点に就いては如何でありましょうか!
 [反歌] 山腹の野に放たれし猪の新田四郎に名を成さしめき


秋篠宮妃紀子さま
 霧の立つ野辺山のあさ高原の野菜畑に人ら勤しむ

 私ども庶民のよく行くスーパーの牛乳売り場の一郭に「野辺山牛乳」という銘柄の特売牛乳が山を成して積み上げられている事を、本作の作者の紀子さまはご存知でありましょうか?
 また、野辺山高原産の大根は「沢庵漬け」として出荷され、私たち庶民にとってのお馴染みの味になっているのであり、野辺山高原産のレタスやキャベツやトウモロコシなども、今となっては欠かすことの出来ない黄緑野菜として、私たち庶民の食卓を朝な夕なに賑わわせて居ります。
 あれもこれも、秋篠宮妃・紀子様のご清潔及びご聡明の余慶なのかも知れません。
 [反歌] 霜冷ゆる朝の道ゆく昆布屋の「こんぶ、こんぶ」の振れ声わびし


秋篠宮家長女眞子さま
 野間馬の小さき姿愛らしく蜜柑運びし歴史を思ふ

秋篠宮家次女佳子さま
 春の野にしろつめ草を摘みながら友と作りし花の冠

常陸宮妃華子さま
 野を越えて山道のぼり見はるかす那須野ヶ原に霞たなびく

 皇族の方々は、皆様それぞれ「歌会始の儀」の場でご披露なさるに相応しい御作をお詠みになって居らっしゃるものと思いつつ拝読させていただきました。
 「歌会始の儀」でご披露になられる皇族の方々の御作は、本質的には、この年一年の世界平和と我が国国民の生活の穏やかならん事を祈願する御歌、即ち・祝詞に近いような性質を帯びたお言葉でありましょうから、その出来如何に関わらず、それぞれおめでたく有り難いお言葉として、私・鳥羽省三は拝し奉りました。


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