私が下掲の記事「歌手・飛柿マチカさんの消息(noahさんからのコメントに寄せて)」を当ブログに記したのは、去る2011年4月16日のことでありました。
その後、私は、健康上の事情やその他の諸々の事情に因って、当ブログの更新さえも思うままにならないような状態に追い込まれておりまして、、数多くの愛読者の方々からは、厳しくも温かいお叱りや激励を頂戴していた次第でありました。
然るに、つい先日、大凡数ヶ月ぶりに当ブログのコメント欄を開いてみたところ、往年のクラブ歌手・飛柿マチカさんのお孫さんと称する方から、下掲の記事に関する大変有り難いコメントを頂戴致しておりましたことを知りましたので、この機会に、下掲の通り、同記事を再掲させていただきまして、飛柿マチカさんのお孫さんに御礼を申し上げたいと思います。
歌手・飛柿マチカさんの消息(noahさんからのコメントに寄せて)
2011年04月16日 | ビーズのつぶやき
起き抜けに“コメント一覧”を開いたところ、“noah”さんと仰る方からの「幼馴染」というタイトルのコメントが寄せられていたにも関わらず、私の怠慢が原因で、昨日の午後から保留状態のままになっていたのに気がつきました、遅まきながらここに公開させていただきます。
取り敢えずは、“noah”さんからのコメントを、原文のままに、此処に転載させていただき、その下に、“noah”さんが当該コメントを本ブログにお寄せになられた動機を為したと思われる拙文をも再録させていただき、併せてそれらについての私自身の感想を述べ、コメントの発信者“noah”さんへの謝辞とさせていただきます。
「“noah”さんからのコメント」
「幼馴染・・・ (noah)/2011-04-15 15:45:07/
初めまして、/突然ですが・・・/あの飛柿マチカさんと仰るポップス系の女性歌手は・・・/小学校3年~4年生のときの、クラスメイトでした。/とっても、歌の上手い子でした。/お寿司屋さんの娘さんで、明朗活発な子でした。/中学、高校と、別々になってしまい、疎遠になってしまいましたが/大好きな友達でした。/池田市にまだ、実家があるのでしょうか?」
「“noah”さんが、上掲のコメントをお寄せになられた発端となったと思われる拙文」
○ 今週の第一位はと言ったのちデデデデデデとひびく太鼓よ 夏実麦太朗
今から30年以上も前のことを回想しての作品でありましょうか?
司会者が「今週の第一位は」と叫んだ後、思わせ振りにわざとらしい数秒の間隔を置き、そして再び「今週の第一位は“サン・トワ・マミー”を歌われた飛柿マチカさんでした」と叫ぶと、テレビ画面一杯に「太鼓」が「デデデデデデ」と鳴り響くのでありました。
で、あの飛柿マチカさんと仰るポップス系の女性歌手は、一体、今頃、何処で何をして暮していらっしゃるのでありましょうか?
数年前までは、クラブ歌手として、ジャズのスタンダードナンバーを歌って、人気を博していらっしゃるとお聴きして居りましたが、その後絶えて彼女に関する情報は耳にしません。
彼女が“全日本歌謡選手権”という、その頃の人気番組の優勝者となったのは1970年代でありましょうか?
同じ時期に、後年「雨雨降れ降れ、もっと降れ」と歌った、あの超有名女性歌手も亦、それと同じ番組の優勝者になったのでありました。
〔返〕 「今週のブービー賞は菅改造内閣の与謝野大臣でした」と叫ぶ 鳥羽省三
「上掲二項に関わる私の感想及び“noah”さんへのお礼の言葉」
上掲の拙文を記したのは今年の1月15日のことでしたのに、その内容についてはすっかり忘れておりました。
わずか三ヶ月前に綴ったばかりの文章の内容をすっかり忘れてしまうのですから、今の私にとっては、当ブログの更新を毎日行うことが、自分自身の果てし無い“老い”や“呆け”との戦いみたいなものなのかも知れません。
発端は、昨年行われた「題詠2010」のお題「079:第」への夏実麦太朗さんのご投稿作でありました。
夏実麦太朗さんの作品自体は、作者ご自身が格別にお力を注いでお詠みになったとも思われないような、ごく軽めの作品のようにお見受けしたのでありましたが、私としては、その題材について思い当たることがありましたので、鑑賞対象の作品とさせていただいた次第でありました。
思うに、作者の夏実麦太朗さんは、私と同世代の男性なのでありましょうか、「今週の第一位はと言ったのちデデデデデデとひびく太鼓よ」という当該作品の題材となっているのは、1970年代の日本テレビ系列の人気番組「全日本歌謡選手権」のことかと思われます。
「全日本歌謡選手権」とは、新人歌手発掘の為の“オーディション番組”の一つであり、見事十人勝ち抜きに成功し、その後、歌手としてデビューして名を成した人の名前を列挙すると、「五木ひろし(出場当時の芸名は三谷謙)・天童よしみ・八代亜紀・中条きよし・真木ひでと(GSのオックスの野口ヒデト)・山本譲二」などのそうそうたる有名歌手の名が上げられるし、十人勝ち抜きこそならなかったが、「井沢八郎・南こうせつ・青山ミチ・ウイリー沖山・林家パー子・芦屋小雁・石野真子・片平なぎさ」などの有名人も数多くの出場者の一人であったのでありました。
拙文中の「今週の第一位は“サン・トワ・マミー”を歌われた飛柿マチカさんでした」という表現中の「飛柿マチカさん」も亦、見事十人勝ち抜きに成功した歌い手の一人でありましたが、このフレーズは、「今週の第一位は“リンゴ追分”を歌われた天道よしみさんでした」とか「今週の第一位は“ヨコハマたそがれ”を歌われた山本譲二さんでした」などとする手もあり、いろいろ迷いましたが、私は、その時その場の思いつきで、“天童よしみさん”や“山本譲二さん”を捨てて“飛柿マチカさん”を選んだ次第でありました。
その時、その場の思いつきとは言え、後年名を成した有名歌手を選ばずに、敢えて無名に近い“飛柿マチカさん”を選んだ理由はそれなりに在るはずであり、それらの一端を上げると、私の記憶の中では、彼女が十人勝ち抜きに成功した時期が、後の国民的大歌手・八代亜紀さんが十人勝ち抜きに成功した時期と重なっていたこと、彼女の歌った曲目が、その番組の一般的な傾向とは大きく異なったジャズ・ポップス系であったこと。
更にもう一つ言えば、八代亜紀さんとほぼ同世代と思われる彼女のイメージが、“全身これ演歌歌手”“ザ・芸能人”といった感じの八代亜紀さんとは明らかに異なり、やや影を帯びていて、決して華やかと言えるような顔では無いが何処かにバタ臭さも感じさせるような顔、もう少し言わせていただければ、そのバタ臭さの中に普通の主婦としても十分にやって行けるような可能性をも覗かせないでもないようなイメージ、ご結婚なさってご主人との間に出来た娘さん二人を大阪教育大学付属池田小学校に入学させて、ご自身はプラダのハンドバックの中にハイカラなスリッパ一足と化粧道具を入れて、一週間に三度もPTAマダムの会合にご出席なさっていても、少しも不思議でないようなイメージだったからでありましょうか?
合格後一年ぐらい経過した頃、同じ番組のゲストとして、八代亜紀さんと一緒に彼女が出演していたことが、私の微かな記憶の中にあります。
その頃の八代亜紀さんは、プロの演歌歌手として、その後の大活躍を予見させるような順調な歩みを見せていただけに、私は、彼女・飛柿マチカさんのその後の活躍振りに大いに期待しておりました。
しかし乍ら、司会者の長沢純さんの質問に答えて、「八代亜紀さんとは違って、今の私は、クラブ歌手としてそれなりに充実した歌手活動をしています」などと答え、私をがっかりさせたようにも記憶しております。
彼女についての記憶はそれまでであり、その後の彼女の消息については、私には皆目見当がつきませんでした。
それなのに、夏実麦太朗さんのあの作品に接した瞬間、私の頭の中に彼女の記憶が突如甦ったのは、真に不思議なこととも申せましょう。
そうそう、たった今、気がついたことですが、夏実麦太朗さん作の短歌の題材となったのは、私が本稿で採り上げている「全日本歌謡選手権」ではなく、同傾向の番組ながら、それより若い世代を出場対象とした「スター誕生!」、或いは、私の知らない全く別の番組であったのかも知れません。
いや、「今週の第一位はと言ったのちデデデデデデとひびく太鼓よ」という表現内容から判断すると、夏実麦太朗さんの作品は、明らかに「全日本歌謡選手権」とは異なるテレビ番組から取材したものに違いありません。
だとしたら、私がこれまで記して来た文章は、私の記憶違いに基づいて書かれた“砂上の楼閣”の如き文章ということになりましょうが、それはそれとして、以後、夏実麦太朗さん作の短歌とは関わりのないような関わりのあるような形で、歌手・飛柿マチカさんの消息に関わる本稿をこのまま書き続けさせていただきます。
“noah”さんからのコメントに拠りますと、「飛柿マチカさんと仰るポップス系の女性歌手」と“noah”さんとは「小学校3年~4年生のときの、クラスメイトでした」とのことであり、また、その当時の飛柿マチカさんは、「とっても、歌の上手い子」で「お寿司屋さんの娘さんで、明朗活発な子」でしたが、彼女と“noah”さんとは、「中学、高校と、別々になってしまい、疎遠になってしまいました」が、“noah”さんにとっての彼女は「大好きな友達でした」とのことでもあり、「池田市にまだ、実家があるのでしょうか?」とのことでもあります。
インターネットの検索窓に「飛柿マチカ」と入力して、検索ボタンを押してみると、彼女に関する情報が幾つか検索できます。
その中でも特筆するべきことは、彼女が赤坂のクラブ「月世界」の専属歌手であったこと。また、テレビ東京系列の連続テレビドラマ『純愛山河・愛と誠』(池上季実子・夏夕介主演)に“デビ”という愛称のスケバンとしてレギュラー出演していたこと。ドーナツ版のシングルレコードを何枚か出したものの、あまり売れなかったように思われることなどである。
だが、それらのいずれもが、「全日本歌謡選手権」に出場したから間も無くのことであり、最近の彼女に関する情報は、何ひとつ手に入らないのが実情である。
ところで、今更こんなことを申すのも恥ずかしいのであるが、インターネットというものはなかなか興味深く、便利な通信手段である。
一人の暇人が自分の管理するブログの中に書き流した、一首の短歌の鑑賞記事の中に、ほんの思いつきで、今となっては無名とも言うべき一人の女性歌手の名を書き記す。
それは、ほんの気紛れの行為であり、書き記した当人にとっても、翌日になれば忘れてしまいそうにもなる行為に過ぎなかったのである。
それなのにも関わらず、それから三ヶ月も過ぎた頃に、たまたまその記事を目にした一人の女性が、その無名の女性歌手が、かつての自分のクラスメイトであったことを思い出し、ブログの管理者に、その女性歌手と自分との関わりを説明したコメントを寄せるのである。
かくして、ブログの管理者にとっては、消閑の道具の一つでしか無かったブログの記事が、俄然生きたものとして立ち上がり、意味のあるものとして立ち上がり、その命の輝きを増すのである。
印刷媒体での作品発表とは異なった、インターネット媒体での作品発表の利点とは、こうした点に在るのではないでしょうか?
インターネットの双方向性とは、こうした現象を指して謂うのではないでしょうか?
“ノワ”さんとお読みするのでしょうか?
“noah”さん、この度は大変ありがとうございました。
フリーライターとは名ばかりで、その実情は、暇を持て余している年金生活者の一人でしかない私は、このブログの更新を毎日の生活の要として居りますが、グーグル社から寄せられる情報に拠ると、私のこの拙いブログにアクセスされる回数は、連日二千回余りに達し、読者と呼べるような方々も、五百人余りもいらっしゃるということであります。
だが、その管理者たる私には、当記事の執筆者たる私には、何処の何方がどういうお気持ちで、私の書き殴った記事をお読みになって居られるのか、さっぱり見当がつきません。
したがって、私の毎日のそうした営みは、まるで暗黒の曠野を独り歩きしているような空しく当ての無い行為に過ぎません。
そうした折に、私が過去に書き流した記事に関しての真摯なるコメントに接することが出来たことは、何物にも替え難い楽しみであり、励ましともなりましょう。
つきましては、今後とも何卒宜しくご愛読賜りたくお願い申し上げます。
お暇がございましたら、またコメントをお寄せ下さい。
その後、私は、健康上の事情やその他の諸々の事情に因って、当ブログの更新さえも思うままにならないような状態に追い込まれておりまして、、数多くの愛読者の方々からは、厳しくも温かいお叱りや激励を頂戴していた次第でありました。
然るに、つい先日、大凡数ヶ月ぶりに当ブログのコメント欄を開いてみたところ、往年のクラブ歌手・飛柿マチカさんのお孫さんと称する方から、下掲の記事に関する大変有り難いコメントを頂戴致しておりましたことを知りましたので、この機会に、下掲の通り、同記事を再掲させていただきまして、飛柿マチカさんのお孫さんに御礼を申し上げたいと思います。
歌手・飛柿マチカさんの消息(noahさんからのコメントに寄せて)
2011年04月16日 | ビーズのつぶやき
起き抜けに“コメント一覧”を開いたところ、“noah”さんと仰る方からの「幼馴染」というタイトルのコメントが寄せられていたにも関わらず、私の怠慢が原因で、昨日の午後から保留状態のままになっていたのに気がつきました、遅まきながらここに公開させていただきます。
取り敢えずは、“noah”さんからのコメントを、原文のままに、此処に転載させていただき、その下に、“noah”さんが当該コメントを本ブログにお寄せになられた動機を為したと思われる拙文をも再録させていただき、併せてそれらについての私自身の感想を述べ、コメントの発信者“noah”さんへの謝辞とさせていただきます。
「“noah”さんからのコメント」
「幼馴染・・・ (noah)/2011-04-15 15:45:07/
初めまして、/突然ですが・・・/あの飛柿マチカさんと仰るポップス系の女性歌手は・・・/小学校3年~4年生のときの、クラスメイトでした。/とっても、歌の上手い子でした。/お寿司屋さんの娘さんで、明朗活発な子でした。/中学、高校と、別々になってしまい、疎遠になってしまいましたが/大好きな友達でした。/池田市にまだ、実家があるのでしょうか?」
「“noah”さんが、上掲のコメントをお寄せになられた発端となったと思われる拙文」
○ 今週の第一位はと言ったのちデデデデデデとひびく太鼓よ 夏実麦太朗
今から30年以上も前のことを回想しての作品でありましょうか?
司会者が「今週の第一位は」と叫んだ後、思わせ振りにわざとらしい数秒の間隔を置き、そして再び「今週の第一位は“サン・トワ・マミー”を歌われた飛柿マチカさんでした」と叫ぶと、テレビ画面一杯に「太鼓」が「デデデデデデ」と鳴り響くのでありました。
で、あの飛柿マチカさんと仰るポップス系の女性歌手は、一体、今頃、何処で何をして暮していらっしゃるのでありましょうか?
数年前までは、クラブ歌手として、ジャズのスタンダードナンバーを歌って、人気を博していらっしゃるとお聴きして居りましたが、その後絶えて彼女に関する情報は耳にしません。
彼女が“全日本歌謡選手権”という、その頃の人気番組の優勝者となったのは1970年代でありましょうか?
同じ時期に、後年「雨雨降れ降れ、もっと降れ」と歌った、あの超有名女性歌手も亦、それと同じ番組の優勝者になったのでありました。
〔返〕 「今週のブービー賞は菅改造内閣の与謝野大臣でした」と叫ぶ 鳥羽省三
「上掲二項に関わる私の感想及び“noah”さんへのお礼の言葉」
上掲の拙文を記したのは今年の1月15日のことでしたのに、その内容についてはすっかり忘れておりました。
わずか三ヶ月前に綴ったばかりの文章の内容をすっかり忘れてしまうのですから、今の私にとっては、当ブログの更新を毎日行うことが、自分自身の果てし無い“老い”や“呆け”との戦いみたいなものなのかも知れません。
発端は、昨年行われた「題詠2010」のお題「079:第」への夏実麦太朗さんのご投稿作でありました。
夏実麦太朗さんの作品自体は、作者ご自身が格別にお力を注いでお詠みになったとも思われないような、ごく軽めの作品のようにお見受けしたのでありましたが、私としては、その題材について思い当たることがありましたので、鑑賞対象の作品とさせていただいた次第でありました。
思うに、作者の夏実麦太朗さんは、私と同世代の男性なのでありましょうか、「今週の第一位はと言ったのちデデデデデデとひびく太鼓よ」という当該作品の題材となっているのは、1970年代の日本テレビ系列の人気番組「全日本歌謡選手権」のことかと思われます。
「全日本歌謡選手権」とは、新人歌手発掘の為の“オーディション番組”の一つであり、見事十人勝ち抜きに成功し、その後、歌手としてデビューして名を成した人の名前を列挙すると、「五木ひろし(出場当時の芸名は三谷謙)・天童よしみ・八代亜紀・中条きよし・真木ひでと(GSのオックスの野口ヒデト)・山本譲二」などのそうそうたる有名歌手の名が上げられるし、十人勝ち抜きこそならなかったが、「井沢八郎・南こうせつ・青山ミチ・ウイリー沖山・林家パー子・芦屋小雁・石野真子・片平なぎさ」などの有名人も数多くの出場者の一人であったのでありました。
拙文中の「今週の第一位は“サン・トワ・マミー”を歌われた飛柿マチカさんでした」という表現中の「飛柿マチカさん」も亦、見事十人勝ち抜きに成功した歌い手の一人でありましたが、このフレーズは、「今週の第一位は“リンゴ追分”を歌われた天道よしみさんでした」とか「今週の第一位は“ヨコハマたそがれ”を歌われた山本譲二さんでした」などとする手もあり、いろいろ迷いましたが、私は、その時その場の思いつきで、“天童よしみさん”や“山本譲二さん”を捨てて“飛柿マチカさん”を選んだ次第でありました。
その時、その場の思いつきとは言え、後年名を成した有名歌手を選ばずに、敢えて無名に近い“飛柿マチカさん”を選んだ理由はそれなりに在るはずであり、それらの一端を上げると、私の記憶の中では、彼女が十人勝ち抜きに成功した時期が、後の国民的大歌手・八代亜紀さんが十人勝ち抜きに成功した時期と重なっていたこと、彼女の歌った曲目が、その番組の一般的な傾向とは大きく異なったジャズ・ポップス系であったこと。
更にもう一つ言えば、八代亜紀さんとほぼ同世代と思われる彼女のイメージが、“全身これ演歌歌手”“ザ・芸能人”といった感じの八代亜紀さんとは明らかに異なり、やや影を帯びていて、決して華やかと言えるような顔では無いが何処かにバタ臭さも感じさせるような顔、もう少し言わせていただければ、そのバタ臭さの中に普通の主婦としても十分にやって行けるような可能性をも覗かせないでもないようなイメージ、ご結婚なさってご主人との間に出来た娘さん二人を大阪教育大学付属池田小学校に入学させて、ご自身はプラダのハンドバックの中にハイカラなスリッパ一足と化粧道具を入れて、一週間に三度もPTAマダムの会合にご出席なさっていても、少しも不思議でないようなイメージだったからでありましょうか?
合格後一年ぐらい経過した頃、同じ番組のゲストとして、八代亜紀さんと一緒に彼女が出演していたことが、私の微かな記憶の中にあります。
その頃の八代亜紀さんは、プロの演歌歌手として、その後の大活躍を予見させるような順調な歩みを見せていただけに、私は、彼女・飛柿マチカさんのその後の活躍振りに大いに期待しておりました。
しかし乍ら、司会者の長沢純さんの質問に答えて、「八代亜紀さんとは違って、今の私は、クラブ歌手としてそれなりに充実した歌手活動をしています」などと答え、私をがっかりさせたようにも記憶しております。
彼女についての記憶はそれまでであり、その後の彼女の消息については、私には皆目見当がつきませんでした。
それなのに、夏実麦太朗さんのあの作品に接した瞬間、私の頭の中に彼女の記憶が突如甦ったのは、真に不思議なこととも申せましょう。
そうそう、たった今、気がついたことですが、夏実麦太朗さん作の短歌の題材となったのは、私が本稿で採り上げている「全日本歌謡選手権」ではなく、同傾向の番組ながら、それより若い世代を出場対象とした「スター誕生!」、或いは、私の知らない全く別の番組であったのかも知れません。
いや、「今週の第一位はと言ったのちデデデデデデとひびく太鼓よ」という表現内容から判断すると、夏実麦太朗さんの作品は、明らかに「全日本歌謡選手権」とは異なるテレビ番組から取材したものに違いありません。
だとしたら、私がこれまで記して来た文章は、私の記憶違いに基づいて書かれた“砂上の楼閣”の如き文章ということになりましょうが、それはそれとして、以後、夏実麦太朗さん作の短歌とは関わりのないような関わりのあるような形で、歌手・飛柿マチカさんの消息に関わる本稿をこのまま書き続けさせていただきます。
“noah”さんからのコメントに拠りますと、「飛柿マチカさんと仰るポップス系の女性歌手」と“noah”さんとは「小学校3年~4年生のときの、クラスメイトでした」とのことであり、また、その当時の飛柿マチカさんは、「とっても、歌の上手い子」で「お寿司屋さんの娘さんで、明朗活発な子」でしたが、彼女と“noah”さんとは、「中学、高校と、別々になってしまい、疎遠になってしまいました」が、“noah”さんにとっての彼女は「大好きな友達でした」とのことでもあり、「池田市にまだ、実家があるのでしょうか?」とのことでもあります。
インターネットの検索窓に「飛柿マチカ」と入力して、検索ボタンを押してみると、彼女に関する情報が幾つか検索できます。
その中でも特筆するべきことは、彼女が赤坂のクラブ「月世界」の専属歌手であったこと。また、テレビ東京系列の連続テレビドラマ『純愛山河・愛と誠』(池上季実子・夏夕介主演)に“デビ”という愛称のスケバンとしてレギュラー出演していたこと。ドーナツ版のシングルレコードを何枚か出したものの、あまり売れなかったように思われることなどである。
だが、それらのいずれもが、「全日本歌謡選手権」に出場したから間も無くのことであり、最近の彼女に関する情報は、何ひとつ手に入らないのが実情である。
ところで、今更こんなことを申すのも恥ずかしいのであるが、インターネットというものはなかなか興味深く、便利な通信手段である。
一人の暇人が自分の管理するブログの中に書き流した、一首の短歌の鑑賞記事の中に、ほんの思いつきで、今となっては無名とも言うべき一人の女性歌手の名を書き記す。
それは、ほんの気紛れの行為であり、書き記した当人にとっても、翌日になれば忘れてしまいそうにもなる行為に過ぎなかったのである。
それなのにも関わらず、それから三ヶ月も過ぎた頃に、たまたまその記事を目にした一人の女性が、その無名の女性歌手が、かつての自分のクラスメイトであったことを思い出し、ブログの管理者に、その女性歌手と自分との関わりを説明したコメントを寄せるのである。
かくして、ブログの管理者にとっては、消閑の道具の一つでしか無かったブログの記事が、俄然生きたものとして立ち上がり、意味のあるものとして立ち上がり、その命の輝きを増すのである。
印刷媒体での作品発表とは異なった、インターネット媒体での作品発表の利点とは、こうした点に在るのではないでしょうか?
インターネットの双方向性とは、こうした現象を指して謂うのではないでしょうか?
“ノワ”さんとお読みするのでしょうか?
“noah”さん、この度は大変ありがとうございました。
フリーライターとは名ばかりで、その実情は、暇を持て余している年金生活者の一人でしかない私は、このブログの更新を毎日の生活の要として居りますが、グーグル社から寄せられる情報に拠ると、私のこの拙いブログにアクセスされる回数は、連日二千回余りに達し、読者と呼べるような方々も、五百人余りもいらっしゃるということであります。
だが、その管理者たる私には、当記事の執筆者たる私には、何処の何方がどういうお気持ちで、私の書き殴った記事をお読みになって居られるのか、さっぱり見当がつきません。
したがって、私の毎日のそうした営みは、まるで暗黒の曠野を独り歩きしているような空しく当ての無い行為に過ぎません。
そうした折に、私が過去に書き流した記事に関しての真摯なるコメントに接することが出来たことは、何物にも替え難い楽しみであり、励ましともなりましょう。
つきましては、今後とも何卒宜しくご愛読賜りたくお願い申し上げます。
お暇がございましたら、またコメントをお寄せ下さい。