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宮島さんのお話

2015-10-27 | 日記

10月27日(火)

 

柔和な笑顔で、子どもたちに気さくに声をかけられているのは、宮島清一さん。

宮島醤油(株)の社長さんです。

 

 

5年生のまつかぜタイムの時間に、お話をしていただいたのです。

ここ数年間、5年生のまつかぜタイムの時間では、郷土の先人の生き方に学ぶ学習を進めてきました。

今年度は、唐津の近代化に大きな貢献をした、大島小太郎(1859~1947)の生き方を学び、その生涯をまとめて絵本を作ろうと考えています。

 

 

それで、社長としてバイオテクノロジーで会社を発展させた方である一方で、文化人としても著名であり、唐津の明治・大正期の歴史にも精通しておられる宮島さんに、お話いただくことになったのです。

 

 

大島小太郎は、この大志小学校が建っている場所に屋敷を構えていました。

旧大島邸と呼ばれるのがそれで、今の5年生が入学する前に解体されてしまいました。

解体される前の写真を見て、見覚えがあると言った子どもたちもいました。

 

 

大島小太郎は、唐津の町の発展のために、数々の新しい仕組みを整え、会社を興しました。

特に、次の3つのことが、唐津の近代化を大きく推し進めることとなりました。

①鉄道を敷き、石炭を唐津港から大量に積み出せるようにしたこと

②銀行を設立し、多くの起業家を支え、唐津の経済を発展させたこと

③火力発電所を作り、唐津の町に電灯を灯し、鉄鋼業を発展させたこと

 

 

この大島小太郎が唐津で勉学に励んだのは、「耐恒寮」と呼ばれる唐津藩の洋学校で、その英語の先生はのちの内閣総理大臣高橋是清だったことや、共に学んだ仲間として、東京駅などの建築を手がけた辰野金吾や、早稲田大学の第2代学長となった法学者天野為之など、錚々たるメンバーがいたという話も聞きました。

 

 

しっかりメモを取りながら話を聞いた子どもたち。

これから、今日の話をもとにして、大島小太郎の生涯や彼の生きた時代のことを詳しく調べ、まとめます。

そして、絵本作り。

絵本を作る時には、唐津市内の美術部の高校生15名ほどが、応援に駆けつけてくれることも決まりました。

 

こうした学習を進めるために、講師の先生を探したり、高校との連絡調整をとったりと、いろいろなお世話をしていただいている、「まちはミュージアムの会」や唐津市文化振興課の皆さんにもお出でいただきました。

 

 

コミュニティ・スクール大志小学校だからこそ、唐津を愛し、唐津の素晴らしさを次世代を担う子どもたちに伝えたいと願う多くの方々を巻き込んで、このような学習を仕組むことができるのです。

学習の進捗状況を、また紹介していきます。

 

子どもたちを支えてくれる方々のことを伝えるサイトを紹介しますので、こちらもご覧ください。

 

宮島清一さんのブログを読みたい方は 「去華就実と郷土の先覚者たち」 (宮島醤油HPから)

まちはミュージアムの会のサイトを見たい方は 「まちはミュージアムの会」 (facebook/2年前の5年生の学習の様子がわかります)

河内野信恒さん(まちはミュージアムの会)の記事が詠みたい方は 「曳山んまちに生きる(5)」(佐賀新聞電子版/2014.11.01)

 



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