サザンオールスターズは、美しいバラッドを数多く送り出しているグループとしても評価される
べき存在でしょう。この名曲シリーズでもこの曲およびこの曲を取り上げていますが、
今回は隠れた名曲的な意味合いを持つであろう「ラチエン通りのシスター」を記すことにします。
この曲が登場したのは1979年のこと。今からもう、ほぼ30年前の話なんですね。しかしながら、
今この曲を聞いても、全く古めかしさを感じない。さすがは桑田圭祐氏というべきでしょう。
この曲が登場した当時の僕はまだ小学生であり、世に出た当初にこの曲を知ったわけでは
ありません。この曲に関心を覚えたのはもう少し後の時代になります。ではシングルカットされた
わけでもなく、アルバムの中の1曲に過ぎないこの曲に、なぜ関心を覚えたのか。それは、
ラチエン通りのシスターというタイトルそのものに魅かれたためです。
有名な話かとは思いますが、ラチエン通りとは神奈川県茅ヶ崎市にある通りの名称。
桑田氏の地元かつ、桑田氏の初恋の人がここに住んでいたことから、この名曲が生まれたとか。
またラチエンという言葉がちょっと珍しい響きと感じますが、ラチエン通りとはこのあたりに
住んでいたドイツ人のラチエンさんにちなんでつけられた名称だそうで。ラチエン氏が
お住まいだった時期がいつ頃なのかは僕は知りませんが、まあ20世紀前半あたりぐらい
のことなのかなと想像しています。少なくともつい最近ということはないでしょう。
桑田氏の初恋の人がラチエン通りに住んでいたわけですから。そう考えると、ラチエン氏が
お住まいだった頃は外国人が日本に居住ということ自体がまだまだ少なかったのでしょう。
そのために普通の民間人にすぎないはずのラチエン氏の名前が、わざわざ通りを表す名前として
十分に通じたのでしょうね。古き良きおおらかな時代というか。
「呼べばすぐに会える でも見つめるだけで もうだめシスター」
「忘れずにいつか どこかで会える 思い出にやさしく酔える」
いいですねぇ。この詞の世界。このような思い出の世界に強い共感を覚えるようになった、
それは裏返して言えばトシを取ったということなのかもしれませんが…(笑)。
ラチエン通りという言葉に強い共感を覚えながら、実はまだラチエン通りに足を運んだことは
ありません。なんとなく、自分の心の中での美化したままのイメージに浸っていたいような
気もして。ただ、近々ラチエン通りに足を向けてみようかとは思っています。一番スムーズな
流れとしては、湘南ベルマーレの試合観戦前後に足を運ぶという動きなんですが。
茅ヶ崎と平塚は隣の駅でもありますし(笑)。
その地に在住していた外国人の名前を地名(通称としての)に用いたのは、神戸のジェームス山も
そうですね。僕は兵庫県に在住していた時期がありますが、塩屋駅近辺を通り抜けるあたりの
ジェームス山付近の風景を見るのは楽しみでした。また山陽電鉄の滝の茶屋駅もわりと
近いと思いますが、滝の茶屋駅はこのような美しい眺望を持つ駅です。僕もMASARUさんの
リンク先のエントリーを見て、この駅を訪れたことがありますが、素晴らしい眺望でした。
駅周辺の何もなさも印象的でしたが(笑)。
名曲シリーズでサザンの歌を取り上げるのは、これで3度目。その割に僕は特別にサザン好きと
いえるほどではありません。それでも強い印象が残る楽曲が多いのは、やはりサザンの凄さ
ゆえだと思いますね。
べき存在でしょう。この名曲シリーズでもこの曲およびこの曲を取り上げていますが、
今回は隠れた名曲的な意味合いを持つであろう「ラチエン通りのシスター」を記すことにします。
この曲が登場したのは1979年のこと。今からもう、ほぼ30年前の話なんですね。しかしながら、
今この曲を聞いても、全く古めかしさを感じない。さすがは桑田圭祐氏というべきでしょう。
この曲が登場した当時の僕はまだ小学生であり、世に出た当初にこの曲を知ったわけでは
ありません。この曲に関心を覚えたのはもう少し後の時代になります。ではシングルカットされた
わけでもなく、アルバムの中の1曲に過ぎないこの曲に、なぜ関心を覚えたのか。それは、
ラチエン通りのシスターというタイトルそのものに魅かれたためです。
有名な話かとは思いますが、ラチエン通りとは神奈川県茅ヶ崎市にある通りの名称。
桑田氏の地元かつ、桑田氏の初恋の人がここに住んでいたことから、この名曲が生まれたとか。
またラチエンという言葉がちょっと珍しい響きと感じますが、ラチエン通りとはこのあたりに
住んでいたドイツ人のラチエンさんにちなんでつけられた名称だそうで。ラチエン氏が
お住まいだった時期がいつ頃なのかは僕は知りませんが、まあ20世紀前半あたりぐらい
のことなのかなと想像しています。少なくともつい最近ということはないでしょう。
桑田氏の初恋の人がラチエン通りに住んでいたわけですから。そう考えると、ラチエン氏が
お住まいだった頃は外国人が日本に居住ということ自体がまだまだ少なかったのでしょう。
そのために普通の民間人にすぎないはずのラチエン氏の名前が、わざわざ通りを表す名前として
十分に通じたのでしょうね。古き良きおおらかな時代というか。
「呼べばすぐに会える でも見つめるだけで もうだめシスター」
「忘れずにいつか どこかで会える 思い出にやさしく酔える」
いいですねぇ。この詞の世界。このような思い出の世界に強い共感を覚えるようになった、
それは裏返して言えばトシを取ったということなのかもしれませんが…(笑)。
ラチエン通りという言葉に強い共感を覚えながら、実はまだラチエン通りに足を運んだことは
ありません。なんとなく、自分の心の中での美化したままのイメージに浸っていたいような
気もして。ただ、近々ラチエン通りに足を向けてみようかとは思っています。一番スムーズな
流れとしては、湘南ベルマーレの試合観戦前後に足を運ぶという動きなんですが。
茅ヶ崎と平塚は隣の駅でもありますし(笑)。
その地に在住していた外国人の名前を地名(通称としての)に用いたのは、神戸のジェームス山も
そうですね。僕は兵庫県に在住していた時期がありますが、塩屋駅近辺を通り抜けるあたりの
ジェームス山付近の風景を見るのは楽しみでした。また山陽電鉄の滝の茶屋駅もわりと
近いと思いますが、滝の茶屋駅はこのような美しい眺望を持つ駅です。僕もMASARUさんの
リンク先のエントリーを見て、この駅を訪れたことがありますが、素晴らしい眺望でした。
駅周辺の何もなさも印象的でしたが(笑)。
名曲シリーズでサザンの歌を取り上げるのは、これで3度目。その割に僕は特別にサザン好きと
いえるほどではありません。それでも強い印象が残る楽曲が多いのは、やはりサザンの凄さ
ゆえだと思いますね。