NHKBS1で放送されている
証言ドキュメント 日本サッカーの50年。連日の見応えある内容に楽しく
また胸を熱く、時には苦しく(笑)しているところです。昨日5月4日は3回目として新世代の台頭と題する
内容が放送されました。ドーハ後からW杯初出場までを追った構成でしたが、やはりこの中には
97年9月28日のフランスW杯最終予選日本-韓国戦が登場してきました。この試合を取り上げるのは
まあ当然のことではありますし、僕もダイジェスト版ならば今でもたまに見返しているのですが、
この番組内で見直すと改めて当時のことが思い出されてきたところです。そこであの試合についての
個人的な思い出を記してみることにします。
あの試合は国立開催の4試合中、唯一のデイマッチでした。僕はアウェー側ゴール裏、通常ならば
ウルトラス・ニッポンの面々が陣取るあたりに席を確保しました。ただこの日は周囲にウルトラスの
面々がいない。それはなぜかといえば、この試合はウルトラスがホームゴール裏でサポートを行ったから。
韓国サポーターもそれなりの人数が来るため、アウェー側のある程度のエリアを確保する必要があり、
ウルトラスがこの試合はホーム側に回るというかたちになったのでした。そのため僕らがいたあたりでは
組織的な応援はなかったと記憶していますが、さすがにこの試合ですから戦闘能力の高い人が
集まっているわけで(笑)、僕らのいたあたりは非常にいい雰囲気だったと記憶しています。
この試合で呂比須が、初登場即初スターティングとなりました。呂比須がスターティングに入るだろうという
観測はありましたが、実際に呂比須の名前がアナウンスされた時は、盛り上がりましたね。
ベルマーレで活躍もしていましたし、また帰化が認められていよいよという期待感もありましたから。
実際、この試合の呂比須はいい動きを見せていました。その彼が途中交代となったことが、
この試合を大きく左右したわけですが…。
0-0で終えた前半。韓国が非常に手堅く来たという印象は持ちましたね。それが韓国代表監督
車範根の作戦であったことは間違いないですが、僕としてはいけるぞという思いは抱いていた。
そして後半開始、日本の惜しいシュートもあれば、崔龍洙のスリリングなヘッドもあるなど、
0-0の状況が続く。そして67分山口のあの芸術的なループ。僕の知り合いに、あの山口のループを
「人生で一番興奮したゴール」と表現した人がいましたが、その気持ちは分かりますよ。
そして僕は、もう1点取れる、取ろうと思ってもいた。あのゴールのあと、韓国は明らかに
動揺していましたから。2点目を奪えば、もう一気に試合を決定づけられるとね。またこの流れを
手放す必要はないとも感じましたし。
しかしながらもう1点は取れず、迎えた73分。呂比須out、秋田in。僕は一緒に観戦していた友人に
こう語りかけました。「5分早い」と。ただこれも気を遣っての発言だったことを認めねばならない。
本当は「10分早い」と言いたかったのだと。ただ10分早いという言葉は、あまりにも消極的というか、
それこそ日本リードのいい流れを消してしまうような気がして、折衷案として5分早いという言い回しを
使ったんですね。何に対しての折衷案なのか、まるで分かりませんけど(笑)。
84分に同点とされたあとは、本音としてもう勝てるとは思えなかった。もちろん口にはしませんでしたが。
とにかく勝ち点1でいい、1を確保しよう。ホームで0はヤメテくれ、という思いでしたね。しかしながら
その思いを打ち砕く87分李敏成の見事なミドルシュート。1-2、逆転負けとなったのでした。
今でもはっきり記憶していますが、キックオフ時は太陽も出ていたのに、試合終盤には雲が国立上空を覆い、
そして試合終了後まだ多くの観客がスタンドに残っているような時間帯に、ついに雨が落ちてきたのでした。
敗戦のショックを感じるなかで雨に打たれながら、思いましたよ。涙雨というものが本当にあるのだな、とね。
九月の雨があれほどツラいものだと、僕は初めて知りました(笑)。
僕はこの試合を複数の友人と一緒に見ていたのですが、敗戦のショックのあまり、試合後僕は
一時的に友人と離れ国立周辺を一人で歩いていたんですね。携帯もまだ普及していないなか、
そんな状況からよく再合流できたなと思いますけど(苦笑)。国立から日本青年館に向かう道あたりを
歩いていたところ、韓国人サポーターが一人で歩いていく姿に遭遇しました。おそらく日本青年館ホテルが
彼の宿泊先だったのでしょう。そりゃ悔しかったですが、ここは一声かけようと思い彼の肩に
手をかけたところ、彼が明らかに身体を硬くし緊張の色を顕わにしたんですね。まあそれはそうでしょう。
逆の立場だったなら、僕も怖い(笑)。そこで僕はこう語りかけました。「コングラチュレイション」と。
その言葉を聞いた時の彼の安堵感、忘れられないですね(苦笑)。その後彼と握手も交わし別れましたが、
自分自身嬉しかったですよ。あの悔しさのあとに、相手サポーターに祝福の言葉をかけられたことがね。
自分で言うのも変ですが、あれは嬉しかった。もちろんヤセ我慢ではありますが(笑)。
(02:05追記、携帯はありました。携帯で連絡を取り合ったことを、思い出しました(笑)。)
仲間の輪から一時的に離れた非を詫びた後(笑)、改めて感想戦の一杯に向かうことに。
ただ国立周辺からは離れようと意見が一致しましてね。だって国立周辺ならどこのお店に入っても、
絶対に日韓戦の話が耳に入ってくるはずだから。自分たちは日韓戦の感想を語り合おうと思っているのに、
ヒトの話は聴きたくないなんて、なんとも勝手ですけど(笑)。
結局落ち着いた先は、小田急線の代々木八幡か代々木上原のどちらかの駅。どちらだったか
はっきりとは覚えてはいないのですが、いずれにせよ結構な距離を歩きました。ただそれが
適度なクールダウンにはなったのでしょう。お店に入った時点では、とりあえず落ち着いた状況には
なっておりました。ただ、ここまで来れば試合の余韻は薄れているだろうと思ったのに、
お店に入った瞬間店員のお姉さんから「残念でしたねぇ」と声をかけられたのには苦笑しましたが(笑)。
ドーハ、日韓戦、ジョホールバル。90年代後半の僕らは、W杯をかけた日本代表の試合に落胆と歓喜を
本気で味わっていたものでした。まあ90年代後半だけでなく、少なくとも2002年までは
その意識を強く持てていたことは間違いない。それだけに、今の代表を取り巻く雰囲気の悪さが
残念な気はしますね。僕自身、代表よりもクラブだよという言葉を一時期は口にしていました。
クラブでのサッカーこそが日常であるわけで、日常により多くの思いを馳せるのが自然だとは思います。
ただ、代表を軽視するような言葉をわざわざ口にする必要はないはずですわね。僕も今は、
代表を軽視するような発言を控えています。あの頃のような思いで代表を見ることは、
もうないだろうなとは感じつつも…。