私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『安土往還記』 辻邦生

2011-12-12 20:45:38 | 小説(歴史小説)

争乱渦巻く戦国時代、宣教師を送りとどけるために渡来した外国の船員を語り手とし、争乱のさ中にあって、純粋にこの世の道理を求め、自己に課した掟に一貫して忠実であろうとする“尾張の大殿(シニョーレ)”織田信長の心と行動を描く。ゆたかな想像力と抑制のきいたストイックな文体で信長一代の栄華を鮮やかに定着させ、生の高貴さを追究した長編。
出版社:新潮社(新潮文庫)




戦国時代を描いた作品は小説に限らず、映画、テレビ、マンガ、雑学本など多くあるわけで、その中でも織田信長を取り上げたものはかなりのウェイトを占める。
本書もある意味ではその系譜に乗っかる作品なのだろう。

だが本書は、信長そのものを直接描くのではなく、ヨーロッパ人の船員の目を通して描いている。
他者の目を通して、一人の人間の内面をあぶりだすという手法は、歴史小説でありながら、純文学の香気も漂っていて、なかなか心地よい。


そこで描かれる信長は、かなり魅力的だ。
好奇心旺盛で、柔軟な思考を持ち、大胆な行動力をも兼ね備えている信長は、「理にかなった」ことのみを追い求め、「事が成る」ことに重点を置く人物でもある。
そしてそのためなら、苛酷なほどの意志の力をもって、ことに当たる人物でもあるのだ。

だがそれは裏を返せば、行動の非情さにもつながってくるのだろう。
長島の一向門徒を虐殺したのは、そんな信長の非情さと苛酷さとを体現しているとも言える。
理にかなったことを極端に求め、意志の力で行動しようとするがゆえに、徹底的に物事を成し遂げようとする。その峻厳さには目を見張るばかりだ。

しかしながら、行動が苛酷であるにもかかわらず、信長本人には気品すら感じられる。
それは彼が、いろんな意味で、人よりも高い位置にいる人物だからかもしれない。


実際、信長は孤独な、というか孤高という言葉が適切な人でもある。
それは、信長が自らに戒律を課す傾向にあり、同時にそれを他人にも求める人だからだろう。
家臣たちの多くからは、そんな信長の考えは理解されず、徹底的に畏怖されるばかりなのだ。

言うなれば、信長はニーチェ風に言うならば、超人なのだ。
『ツァラトゥストラ』を思わせる綱渡りの比喩があったが、意志の力をもって、人間の極限に向かって進む彼の姿に、多くの凡人はついていくことができない。


だからこそ、宣教師たちといるとき、信長は安らぎを感じられたのだ。
それは彼らが家臣たちと違い、ありのままの信長と接したということもある。
だがそれ以上に宣教師たちに共感を持ったのが大きい。

宣教師たちは意志の力で、日本までやって来て布教活動を始めた。
そんな宣教師たちに、信長は意志の力で行動する自分と同じものを見たのかもしれない、と語り手は述べている。

荒木村重をはじめ、多くの武将は信長の真意をほとんど理解できなかった。信長はそんな自分の意志を、自分に従っている者たちに理解してほしかったと、語り手は推察している。
けれど、多くの場合彼の思いは届かなかった。それは信長が、あまりに偉大すぎるがゆえだろう。
だからこそ、共感という感情を向けた宣教師たちを大切にしているのだ。


だが共感という感情を持ったのは、何も信長だけではないのだ。
たぶん信長が宣教師たちに向けた以上の共感を、この語り手は信長に向けている。
そもそもこの語り手の文章は、あまりにも信長に好意的でもあるのだ。

もちろんここに描かれた、信長の孤独も、信長の意志の力も、宣教師たちに好意的だった理由も、語り手の主観とは言え、あながちまちがったものとは思わない。
だが信長の心情を可能な限り推し測り、彼の行動を弁護し、彼のすばらしさを控えめながらもしっかりと主張し、多くの推察をここまでほどこせたのは、語り手の信長に対する強い共感がなければ、成し遂げられなかったものなのだろう。

もうそれはほとんど恋と言ってもいいくらいの強さがある。
そしてそれゆえに、本書の信長はここまで気高く、美しい存在となっているのだろう。


信長の事跡を楽しめるという点で歴史小説的なおもしろみはあるし、テクストの構成には純文学的な企みがあって、いろいろな楽しみ方ができる。
非常に高いレベルにある作品と思った次第だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

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