私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

「崖の上のポニョ」(鑑賞2回目)

2010-02-06 08:24:52 | 映画(か行)

2008年度作品。日本映画。
海を臨む崖の一軒家に住む5歳の少年・宗介は、瓶に入り込んで動けなくなっていたさかなの子・ポニョを助けた。一緒に過ごすうちにお互いのことを好きになる2人だが、ポニョの父親・フジモトによってポニョは海へ連れ戻されてしまう。それでも宗介を想い、人間になりたいと願うポニョは、妹たちの力を借りてフジモトの蓄えた魔法の力を盗み出し、再び宗介の元を目指すが……。(崖の上のポニョ - goo 映画より)
監督は宮崎駿。



以前映画館で見たのだが、金曜ロードショーでやっていたので、改めて見てみる。

やっぱりこの映画は、意味がわからなくて、監督の独りよがりに堕している感が強く、つっこみどころも多いよな、という印象を受けてしまう。
だけど、久しぶりに見てみると、案外おもしろく、いい面を再確認、あるいは再発見することができた。ちょっと意外な気分である。


たとえば絵なんかは、何度見てもいいよな、と再確認できる。
アニメーションの絵や動きなどは本当に美しく、画風自体も味わい深くて、雰囲気もいい。
ジブリの絵は基本的にすばらしいのだが、いままでとはちがった新たな個性が感じられ、見ていて惹かれるものがある。

また物語の端々にあふれるイマジネーションの豊富さも忘れがたい。
特に家のすれすれまで海の水がくるところなんかは、見ていてもドキドキしてしまう。ありふれた道路に、古代の魚が泳いでいるところなどは、個人的には結構おもしろいと思った。
こういう発想の豊かさは、なかなか楽しい。


だが、そのあまりに豊かな発想は、物語の主筋を逆にわかりにくくしているのだろう、とも感じられるのだ。
正確に言うと、あまりにイマジネーションが豊富なために、監督はその想像力の説明をすることを放棄している。それが映画がわかりにくくなった原因と僕は思う。

また今回見て気づいたのだが、この映画はあまりに多くのメタファーを含んでいる。
そもそも、メインキャラクターであるポニョの存在自体が、一つのメタファーとも言えよう。
メタファーなんて、簡単に理解できるような類のものではない。そんなものを、主人公が担っている時点で、わかりにくい物語がよけいややこしくなるだけだ。
しかも個人的な解釈では、ポニョに与えられるメタファーは一つではなく、複数あるから、物語は一層複雑になってしまう。


僕個人の考えによると、ポニョが担うメタファーは、およそ2つほどになる。
表面的な役割は、宗介に恋をし、人間になりたいと憧れる魚の女の子としての役割である。
だがポニョに与えられたメタファーは、1つは自然の驚異の象徴と感じた。
そして2つ目は、太初より生命を育んできた、生命力の源たる海の象徴であると受け取った。よりシンプルに言うなら、ポニョ自体が生命力そのものを象徴していると言った方がいい。

この物語は単純に見れば、宗介とポニョのラブストーリーであろう。
だが同時に、これは自然の驚異と、宗介(人間)とが結ばれる話であり、人間が元来持っている生命力と、宗介(人間)とが手を握る話とも、僕には判断された。

人間は津波に翻弄され、街も沈むような形で、自然に打ちのめされることもあるかもしれない。
けれど、それなりにそんな自然とも共存していけるということを、象徴的に描いているように、僕には見える。

また、ぶすっとした赤ちゃんが笑ったり、歩けない老人が元気に走り回ったりするように、何かのきっかけで、人間は生命力を獲得し強く生きていくことができるのだ、ということを謳った話でもあるように、僕には見えるのだ。
まあ百パーセント、僕の思い込みなのだけど。

真偽はともかくとして、物語にはいろいろな深読みが可能で、多くのことを思わずにいられない。


何かごちゃごちゃ書いた。ともかく、悪い部分はあれ、いい部分も多く、想像力や個人的な空想を刺激してくれる作品ということだ。
ジブリの作品と見れば、微妙だが、それなりの佳品である。

評価:★★★(満点は★★★★★)



以前に書いた「崖の上のポニョ」の感想
 「崖の上のポニョ」(初回鑑賞時)

そのほかのスタジオジブリ作品感想
 「おもひでぽろぽろ」
 「ゲド戦記」
 「千と千尋の神隠し」
 「となりのトトロ」

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