私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『楽園への道』 バルガス=リョサ

2009-02-19 20:44:12 | 小説(海外作家)

ラテンアメリカ文学巨匠の待望の新作を本邦初紹介。画家ゴーギャンと、その祖母で革命家のフローラ・トリスタンの激動の生涯を、異なる時空をみごとにつなぎながら編み上げた壮大な物語。
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-02
田村さと子 訳
出版社:河出書房新社



この作品では、後期印象派の画家ゴーギャンと、その祖母で社会活動家のフローラ・トリスタンという、二人の主人公の人生が交互に語られる。


その一方の主人公、怒りんぼ夫人、こと、フローラ・トリスタンが本当にすばらしいのだ。
彼女ほどキュートで、うざくて、はた迷惑で、人間としての活力と魅力に富んだ人はいまい。

フローラは行動的で、情熱に満ちている。
彼女の行動理由は、労働者を、そして女性を、不利な立場から解放しようという、利他的なものだ。
彼女は労働者を(留保をつけながらも)信じ、労働者の側から労働組合をつくるべきだ、と下からの改革を訴え、社会変革を試みようとしている。

そのためなら、教会の人間や、ほかの社会活動家と渡り合うことも辞さない。
論争をしようものなら、もっと違った言い方があるだろうに、という言葉で相手を打ちのめすこともある。男がセクハラまがいの行動でも取ろうものなら、怒りんぼ夫人の名にふさわしく、癇癪を起こして平手打ちをぶちかます。

それらの行動は、基本的に、彼女のまっすぐで、誠実で、徹底された正義感に裏打ちされたものなのだ。

もちろんそこには、夫との不幸な結婚生活や、私生児としての過去という個人的な動機もあろう。
だがそのまっすぐさは悲惨な労働者の現状をこの目で見て、義憤に駆られたことも大きいんだろうな、と素直に思うことができる。
その悲しくなるくらいのまっすぐさが僕の胸に強く響いてならない。
ラストに向かうにつれ、理想を突き詰めて突っ走るフローラの姿が、前面に出てきており、一層感動できる点も良かった。

そしてそんな風に、彼女がひたすら理想を追い求めることができたのは、彼女に魅力があったればこそじゃないか、とも僕は思う。
そうでなければ、誰も彼女を助けたり、ついて行こうと思ったりはしないだろう。
僕は史実をまったく知らない。けれど少なくとも小説内の彼女は、周囲を巻き込むだけのバイタリティにあふれている。
そんなバイタリティと魅力が、彼女に世界を少しだけでも変える力を呼び寄せたのだと思う。

社会活動家以外の側面としては、オリンピアとの関係や、結婚なるものに怒りを覚えながら、男を手玉に取るシーンがおもしろい。
シャブリエ船長があまりにかわいそうだし(男の純情を弄びすぎ)、それはどうよ、と言いたくなるポイントも多い。
だけど、そんな困った部分を見せられても、彼女の魅力が(主観の入りまくった語り口のおかげか)これっぽちも損なわれないのがすごい。
「小説の読者には作中人物を愛する権利がある」と、池澤夏樹が述べているけれど、その言葉の通り、僕は本書を読みながら登場人物であるフローラ・トリスタンを愛することができた。
そう感じることができただけでも、読書としては幸福な体験だろう。

そしてフローラ・トリスタンという女性は、読み手にそれだけのものを訴える、優れたキャラクターなのである。


一方の主人公、ポール・ゴーギャンはの人物像は祖母とはまったくちがう。
性に対する認識はあからさまに異なるし、祖母が嫌った本能による行動に、孫の方は心の底から惹かれている。
だが彼もまた祖母と同じくとことん情熱的な男であることは変わりない。何と言っても、絵のために家庭を捨てる男なのだからだ。

画家として生きようと決意したゴーギャンは、西洋からの脱却を目指して、タヒチで生きていくことになる。文明から抜け出して、本能のまま、原始人のように生きたいと願い、その衝動を芸術という形で昇華するためだ。

それはある意味、西洋人の勝手なエキゾチシズムに見えなくはない。
だがその中には、野蛮人たちを彼なりの価値観の中で尊敬したいという意志が見えてくる。
それは西洋人の傲慢に対する反逆とも言えなくはない。
そういう点、彼もまた祖母と同じく反逆児なのだろう。

そういったゴーギャンなりの価値観もあり、彼は西洋的調和をぶち破るような作品を描くことに成功している。

ところで本書の語り口は独特なのだが、特にゴーギャンの絵を語る際の筆が冴えていると感じた。
特に「われわれはどこから来たのか。われわれは何者か。われわれはどこへ行くのか」についての文章にはうなってしまう。
個人的に感心したのは、中央の人物に関する考察だ。
これを作者は、タアタ・ヴァヒネ(男‐女)だ、と述べているのだが、その考察にはハッとさせられた。
言うなれば、両性具有的存在なわけだが、その異教徒的な視点こそ、西洋的、キリスト教的価値観の破壊と見えておもしろい。

とは言え、ゴーギャンのように何ものかに反逆し続ける人生を送ることが、幸福かどうかは難しいところだ。
意地悪な言い方だが、ゴーギャンは西洋の価値観から逃れるために、永遠の楽園遊びをくりかえしているだけと言えなくはないからだ。

結果的に、自分の生き方を貫いたゴーギャンは孤独のうちに死を迎えた。
それは、敵を多くつくりながらも、愛されて死んだ祖母とはずいぶんと違う死に様だ。

しかし彼なりの価値観でまっすぐ進んだ後には、まぎれもない傑作が残されているのである。
それは本当に皮肉な話だろう。

人生というのは本当にわからない。
そして情熱というものが、どのような結果を産み落とすかわからないものだ。
そんなことを考えてしまう。


ともあれ、読んでいる間は、主人公二人の強烈なキャラクターに圧倒されるばかりだった。
構成としては効果的とは見えないのだけど、強く個性的なキャラのおかげで、読み手をぐいぐいと惹きつける力がある。
まとまりがない上に、長くなったが、魅力とパワーにあふれた優れた一品だということだけは強調しておこう。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


◎どうでもいい追記

この本の第4章まで読んだところで、僕は図書館に行き、『ゴーギャン 私の中の野性』(創元社)という画集(?)を借りてきた。
画集があるとないとで、この小説の場合、ずいぶんと受ける印象が異なってくる。ネットでも画像自体は落ちているけど、手元でくわしく見ることができたのは大きい。

正直僕にとって、ゴーギャンはかなりどうでもいい画家だったが、本を読み、多くの絵を見て、印象が変わった。小説で取り上げられている以外の作品でもいいのを描いていたのだな、と素直に思うことができる。
個人的には『未開の物語』が好きだ。

またゴーギャンの実際の人生を小説がどう脚色したか確認することができ、楽しかった。僕が読んだ本では、フィンセントとの関係が細かに記されていたので、16章とよく比較できて刺激的である。
画家を描いた作品には、こういう楽しみ方もできるらしい。結構、新鮮な感動があった。


そのほかの『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』作品感想
 Ⅰ-05 ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』
 Ⅰ-06 残雪『暗夜』
 Ⅰ-06 バオ・ニン『戦争の悲しみ』
 Ⅰ-11 J・M・クッツェー『鉄の時代』

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