人語を話す猿がいるという猿山への道、明けることのない闇夜に繰り広げられる出来事を描いた表題作の他、「痕」「不思議な木の家」「世外の桃源」など本邦初訳を中心に代表作7篇を収録。
全世界を揺るがした現代中国文学の鬼才、残雪のベスト作品集。
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-06
近藤直子 訳
出版社:河出書房新社
僕は理系ということもあってか、小説を読むとき、物語の構造を意識しながら読む癖がある。
このシーンはどういう意味があるのか、この展開は先のプロットにどうからんでくるかとか、この小説のテーマ性とは何か、とか、そういうことを考えながら、読んでしまいがちだ。言うまでもなく、それは窮屈な読み方だが、そういう性分なので仕様がない。
そんな僕のようなタイプの人間にとって、この残雪という作家はきわめて相性が悪い。
もちろん残雪なりに、小説の構造を意識して描いているとは思うが、構造よりも、どちらかと言うと、感性を前面に出しているという風に感じるからだ。そういう点、僕とは志向性は正反対である。
たとえば表題作の「暗夜」の場合。
小説は主人公の「ぼく」が老人と一緒に猿山に向かうという話であるが、その過程でたくさんの不可思議なイメージに遭遇するという作品である。
僕がこの作品を読んだときに真っ先に考えたことは、猿山とは何か、ということだ。
僕の解釈では、猿山は人間が持ちうる理想のメタファーであり、周囲の暗い夜という状況は現実という茫漠さに対する不安を示していると判断した。その他にもネズミ猿は襲い来る現実を描いており、血を流す雌馬は性欲を、亡霊は理想を追い求めた者の残滓を示しており、永植は理想のためにガムシャラに突き進む者を示しているように思う。
以上のことからして、「暗夜」という作品は、理想を目指しながら、怠惰な自己に気づかざるをえない、ゆれる思春期の少年の姿を描いた作品、というように僕は解釈した。それを不条理な設定が頻出する世界を舞台にすることで、理想を追い求めていくことに対する揺れをも象徴的に描き出しているとも判断できる。まあまずまちがいなく、誤読なのだが。
ほかの作品の解釈についても述べるなら、
「帰り道」は、自分の知らないところで、いつの間にか、理不尽な政治状況下に追いやられているという状況にも解釈できるし、「不思議な木の家」は権力者のメタファーとその堕落と解釈できる。
「痕」は自分という核を見失ってしまい、(古い言葉だが)透明な自分になってしまう自己を見出すが、その状況をあきらめて受け入れてしまった男の話という風にも見える。
作品そのものは多義的であるため、作品に対する解釈はいろいろ可能だ。
だが読み終わった後、そのような解釈が非常にむなしく思われてならないのだ。
そのような解釈に何の意味があるのだろう、という気がしてならない。
なぜなら、残雪の描く小説の力強さは作品の構造の中にはなく、不条理でわけのわからない細部描写の中に見られると感じるからだ。
彼女の小説に関する限り、小説世界は解釈されることを望んでおらず、不条理でわけのわからないものに満ちた、ずれた世界をそのまま鑑賞されることをこそ欲している。
まさに理性ではなく、感性で、小説を受け止めなければならないタイプの作品。原因には必ず結果があるというシンプルな構図を、これまでずっと扱ってきた僕にとっては鬼門以外の何物でもない。
一言で言えば合わない。
こればかりは相性だから仕方のないことではあるが、このような評価しかできないことが残念な限りである。
評価:★★(満点は★★★★★)
同時収録: バオ・ニン『戦争の悲しみ』
そのほかの『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』作品感想
Ⅰ-05 ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』
Ⅰ-11 J・M・クッツェー『鉄の時代』
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