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私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

安岡章太郎『海辺の光景』

2013-04-04 20:51:13 | 小説(国内男性作家)

不思議なほど父を嫌っていた母は、死の床で「おとうさん」とかすれかかる声で云った──。精神を病み、海辺の病院に一年前から入院している母を、信太郎は父と見舞う。医者や看護人の対応にとまどいながら、息詰まる病室で九日間を過ごす。戦後の窮乏生活における思い出と母の死を、虚無的な心象風景に重ね合わせ、戦後最高の文学的達成といわれる表題作ほか全七編の小説集。
出版社:新潮社(新潮文庫)




『海辺の光景』は居心地の悪い小説である。

たぶんそれは、主人公の信太郎の心情がどこか醒めて見えるからだろう。
そしてその居心地の悪さゆえに何かが引っかかる作品でもあった。


信太郎は、父との関係が希薄である。
それは父が軍隊生活を送っていて長い間家を空けていたこと、そして母が父との結婚を後悔し、父を軽蔑していたことが(そしてそんな母と長い時間を過ごしたことが)大きい。
信太郎にとって親しいのはあくまで母なのだ。

しかしそんな母もボケが始まり、その面倒は甲斐性がない父が見ることとなる。
だからだろうか。ぼけた母がうなされていたとき、その名を呼ぶのは、そのとき手を握っていた息子の信太郎ではなく、嫌悪感を持って接してきたはずの父なのだ。

その状況をまとめるなら、子の父への反発、子の母への愛着、母の父への愛着、となる。
構図的だけを抜き出すなら、フロイトのエディプス・コンプレックスそのものだ。


しかしそんな仕打ちを受けて、彼が感じたのはどこか醒めた失望と安堵という程度のものでしかない。
彼の母への心情は、その関係性のわりには冷えて見える。

そして、その冷えた感情の根っこには、あらゆるわずらわしさから、逃避したいという彼の願望が反映されているのではないか、っていう気がする。

彼は母の中から正気が少しずつ失われていることもなかなか受け入れようとしなかったし、正気でなくなる母と会わずに長い時間を過ごしている。
そして介護からも逃げているし、母の死からも目を背けている。

彼はそういう意味、息子としての役割から逃げているのだろう。
そもそも母親のために償いをつけるという考えは馬鹿げたことではないか、息子はその息子を持ったことで償い、息子はその母親の子であることで償う。(略)外側のものからはとやかく云われることは何もないではないか?

っていう文章が最後の方に出てくるが、それこそ逃げ続ける自分に対しての彼の言い訳なのだろう、と僕は思う。


そしてそんな彼の視線やものの考え方は、一人の母の息子でもある僕に、居心地の悪い思いをさせる。
あらゆるわずらわしさから逃れたい気もちは僕にだって、まったくゼロではないからだ。
そしてそれがゆえに読み手である僕にやましい感情を抱かせることとなる。

ともあれ、人の心に明確な爪あとを残す作品ということは確かだろう。
認めたくない気もちはあるが、ポテンシャルの高さは感じられる作品だった。



そのほかの作品もおもしろかった。

『宿題』
劣等意識を抱えた少年の心情が良い。
少年は弘前から青山に移ってきて、その環境に馴染めず、適応だってできない。
しかしそこには学校に馴染みたいと思っている気もちもまたあるのではないか。最後の少年の言葉が特にその思いを強める。
ユーモラスなのに、どこか悲しい話だ。


『蛾』
たぶん「私」は、流行ってもいない医者に一方的に親近感を持っていたのだろう。
もちろんその理由は、医者が世間的に見れば風采が上がらないからにほかならない。しかし医者はそんな「私」の共感意識を砕くように、いとも簡単に耳の中の蛾を取り出す。
そこにある宙ぶらりんになった気もちがどこか切ない。


『雨』
主人公の男は、どこかに鬱屈をぶつけたがっているように思える。
そこには、疎外感もあるのだろう。その結果が、通り魔的な行動なのだ。
最後の、「これではかえれない」という言葉は、呪いの言葉であり、彼の自戒の言葉とも見える。


『ジングルベル』
多様な解釈が可能な作品と感じた。
ジングルベルの曲に歩調を合わせるところといい、ウナドンを意図していないのに頼むところといい、ミカンを必要以上に頼むところといい、意図していないところで雰囲気に呑まれ、断りたくとも引き返せないまま、一つの状況に追いやられている状況を描いているようにも感じる。
戦後の作品ということを考えると、戦争中の日本の空気の陰画のようにも見えた。
深読みかもしれないけれど、これはこわい作品なのかもしれない。


『愛玩』
本作中で、一番おもしろかった。何より滑稽なのが良い。
金儲けのためにウサギを手に入れたものの、そのウサギに振り回されて、家畜じみてくる家族の姿がおもしろい。ウサギのために息子の髪を刈ろうとするところなんかは笑った。
ここに描かれているのは、生活能力がない家族ゆえの喜劇だろう。
そしてその生活能力のなさゆえに、大層物悲しい作品でもある。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

島尾敏雄『死の棘』

2013-03-31 18:49:24 | 小説(国内男性作家)

思いやりの深かった妻が、夫の「情事」のために突然神経に異常を来たした。狂気のとりことなって憑かれたように夫の過去をあばきたてる妻、ひたすら詫び、許しを求める夫。日常の平穏な刻は止まり、現実は砕け散る。狂乱の果てに妻はどこへ行くのか?―ぎりぎりまで追いつめられた夫と妻の姿を生々しく描き、夫婦の絆とは何か、愛とは何かを底の底まで見据えた凄絶な人間記録。
出版社:新潮社(新潮文庫)




幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが。不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある。
ってのは、『アンナ・カレーニナ』の冒頭部だけど、本作はその典型のような作品だ。

主人公の「私」は家庭がありながら、ほかの女と関係を持っている。それがために、妻は錯乱状態となり、深く後悔した夫は、妻とやり直そうと心に誓う。
要約するならそういう話だ。

夫の浮気。それは不幸な家庭の一典型だろう。
そしてそんな彼の過ちのために、家庭崩壊を引き起こすこととなっている。


そういうわけで、一番悪いのは浮気をした夫である。
だから読んでいる間、主人公の「私」にはまったく同情しなかったし、数多くの言い訳に少しだけいらいらもした。
だが、それでもこのような環境に自分が置かれたら、さぞきついだろうな、という風には感じるのである。

実際、妻は疑心暗鬼の塊だ。

妻は、浮気をした夫を信頼できないらしく、浮気していたころの過去をいつまでも責め、そのときの状況を話すようひたすらに問い詰め、浮気のすべてを夫の口から言わせようとする。
その攻撃は、本当に執拗なほどだ。

確かに、そんな攻撃を招き寄せたのは「私」なのだろう。「私」が妻の信頼を得られなくても、それはすべて「私」の問題でしかない。要は自業自得だ。
しかしそう思ってみても、その執拗さは辟易せざるを得ない。


それにいくら被害者とはいえ、妻の方も充分におかしいのである。
当事者である夫が忘れかけていることを、ひたすらに暴きたてようとし、それができないと夫を打擲する。
そんな妻の行動は狂気そのものだ。

特に同じような問いを、いつまでもいつまでもいつまでも、くり返しくり返しくり返し、行なっているところなどは、その思いを強くする。
あまりのくり返しに、読んでいるこちらは、うんざりするほどであった。

しかしそのうんざりするという状況こそ、「私」が体験したことでもあるのだ。
そのため「私」自身も、どうすればいいのかわからず、途方に暮れることとなる。

そんな彼には同情できないけれど、何となく哀れめいて見えるのが良い。
そしてやがて本当に狂ってしまう妻も、哀れと言えば哀れにちがいない。


だけど、本当に哀れなのは、まちがいなく伸一とマヤの二人の子どもたちだろう。
父と母が互いにいがみ合うのは、二人の問題である。
だがそんな地獄のような毎日に、二人の子どもたちは否応なく巻き込まれる。

子どもたちに、両親のケンカはどう映ったのだろう、と考えると、かわいそうな気もちになってしまう。
伸一は父親を、幼いながら否定的な目で見ているようだが、その気もちも充分にわかる。
幼い子どもが見聞きするには残酷な時間であったことだろう。

伸一のモデルになった島尾伸三は、『小川洋子の偏愛短篇箱』所収の作品の中で
でも、私はそんなに幸せでも自由でもあったわけではありませんでした。だって、母は、いつも得体の知れない真っ暗な底無し沼を抱えていて、家族を暗い底無しの――奈落の底と父は言っていたけれど――混乱へ引きずり込むのが日常だったから。家族の顔と気持ちの中から笑顔が完全に消えるまで、彼女は黒い言葉を吐きつづけるのですから。

って語っていることからしても、大変な少年期を過ごしていたことに気づかされる。

親の事情に巻き込まれる子どもはひたすらにむごい。


というわけで、主人公たちの行動が受け入れられず、すなおに楽しめなかった面はある。
だが崩壊した家庭の状況をつぶさに描いており、その生々しさと迫力に圧倒されたことは確かだ。

内容が内容だけに再読したいとは思わない。
だがその迫力ゆえに、ざらざらした不穏な何かを胸の中に残す一品でもあった。

評価:★★(満点は★★★★★)

『プールサイド小景・静物』 庄野潤三

2013-03-08 20:47:43 | 小説(国内男性作家)

大金を使い込み、突然会社をクビになった夫。妻が問いただすと、つらい勤めの苦痛や不安を癒すため毎晩のようにバーに通いつめていたという。平凡なサラリーマンの家庭に生じた愛の亀裂一日常生活のスケッチを通し、小市民のささやかな幸福がいかに脆く崩れやすいものかを描いた芥川賞受賞作『プールサイド小景』、家庭の風景を陰影ある描写で綴った名作『静物』など全7編を収録。
出版社:新潮社(新潮文庫)




庄野潤三を読むのは初めてだが、この人は予感を描く作家だな、という印象を受けた。

それは、物語を描き上げるよりも、日常の風景を丁寧に描くことで、そこに漂う空気を適切にすくい上げているように見えるからだ。
そういう点、純文学的な作家なのだろう。


たとえば『舞踊』。

この作品で、夫は若い女と浮気をし、妻は夫の浮気に気づいてやきもきしている。
その夫婦間の心情描写がおもしろい。

妻は夫が浮気していることに傷つき、男の心を何とか自分に向けさせようと悲壮なまでの思いに駆られている。
そこには身内が一人もいない、という心許なさもあるのかもしれない。
男目線からみると結構重い人だ。

一方の夫は、自分の浮気に対し心の中で、自己欺瞞や言い訳をくり返している。
男の卑怯さが出ていて良い。

そうしてすれ違う男女の姿のギャップを丁寧にあぶりだしている。
そしてそういった描写からは、夫婦のつながりが実に危ういことを感じさせてくれるのだ。
その崩壊一歩手前の予兆が、心に残る一品である。


『プールサイド小景』も、崩壊の予感を感じさせる作品だ。

この作品で、夫は会社の金を横領している。そしてその陰にはどうも浮気相手の存在が見え隠れしている。
だが妻は、夫がそんな状況になっていることに、土壇場になるまで気づいてなかった。むしろ、自分たちは上手く家庭が回していると思い込んでいた節すらある。
のみならず、一緒に暮らしながらも、妻は夫が仕事のことで悩んでいたかもしれないことに気づいてもいなかったのだ。

そこにあるのは、共に暮らしながら、大事なことを共有できていなかった夫婦の姿である。
その事実に、漠とした崩壊の予感がうかがえ、印象的だった。


そしてそういった崩壊の予兆を描いた作品の、集大成とも言えるのが、『静物』だろう。
村上春樹の『若い読者のための短編小説案内』で知った作品だが、心に残る作品である。

『静物』は、バラバラのエピソードが羅列されている。
違う家族の話がランダムに組み立てられているのかな、と一瞬思ったが、読み進めるうちに同じ家族の話であることが見えてくる。

この作品に登場する母親は、長女が幼いときに、死にかけたことがあるらしい。
それを念頭に置いて読んでみると、何気なく読み進めていた、息を吹き返す子どもの話や、同じ道を通って転落するイノシシの話、アユ漁の話など、すべてちがった意味合いが見えてくるからおもしろい。

そこにあるのはすべて、日常の何気ない積み重ねだ。
それは出窓の金魚鉢のように、通常の景色と見れば、特別気にならなくなるものばかり。
しかし金魚鉢が落ちないかと不安になるように、その何気ないものは、いつひっくり返るともしれないものでもあるのだ。

家族は、何がきっかけで壊れるものか、知れたものではないのかもしれない。
妻が死にかけた事実はそれを暗に示す一エピソードだ。
だが最後の蓑虫のように、ホコリが積もったところを通った後でも、家族は一緒に暮らしていけるものかもしれない。
そんなことをぼんやりと感じた。


そのほかの作品も、周囲の空気や人物の感情が丁寧に描いていると思った次第である。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『ペンギン・ハイウェイ』 森見登美彦

2013-02-04 20:18:41 | 小説(国内男性作家)

ぼくはまだ小学校の四年生だが、もう大人に負けないほどいろいろなことを知っている。毎日きちんとノートを取るし、たくさん本を読むからだ。ある日、ぼくが住む郊外の街に、突然ペンギンたちが現れた。このおかしな事件に歯科医院のお姉さんの不思議な力が関わっていることを知ったぼくは、その謎を研究することにした――。少年が目にする世界は、毎日無限に広がっていく。第31回日本SF大賞受賞作。
出版社:角川書店(角川文庫)




『ペンギン・ハイウェイ』は少年の物語である。

日本SF大賞を受賞しており、作者自身、本作の元ネタはスタニスワフ・レムの『ソラリス』だと言っているから、SFものだとも、もちろん言えよう。
しかし物語の本質は、スティーヴン・キング『スタンド・バイ・ミー』や、マキャモンの『少年時代』と同質だと思う。

つまりは少年が何かと出会い、それと別離することで、成長する(ただしどこがどう成長したかは、はっきりと明示できない)物語なのだ。
そんな手応えが心地よい作品である。


しかし、この小説の主人公の「ぼく」こと、アオヤマくんは非常におもしろい子どもである。
一言で説明するなら、クソ生意気なガキなのだ。
そしてそれゆえにとってもおもしろい。

大体冒頭からして生意気だ。
ぼくはたいへん頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。
だから、将来はきっとえらい人間になるだろう。

目の前でそんなこと言われたら、はあ? って聞き返すかもしれない。

とは言え、そんなことを言う子どもだけあり、結構論理的に話そうとするし、話し言葉はいかにも硬い。
しかしそんな彼の態度には、どこか背伸びしたところが感じられる。
それでいて、歯を磨く前に眠くなったりするなど、行動はいかにも子どもじみている。しかもなかなかすなおにならない。

それだけに、論理的であろうとする態度とギャップが生じて、笑えてならなかった。
この人物造形は文句のつけようもない。


そんな彼は街に現われたペンギンの謎を調べようとする。
そしておっぱいのすてきな歯医者のお姉さんと関わっていくこととなる。

その過程でくり広げられる、ウチダくんとハマモトさんとの冒険じみた行動が、『スタンド・バイ・ミー』っぽくて、すてきだ。
そこには少年期のノスタルジアをくすぐるものがある。

彼らは友だちと一緒に森を冒険したり、川を下ってみたりする。
僕もそれと類することをやったことがあるだけに、そういった子どもたちの姿はすてきで、味わい深い。

それに幼い恋がにじみ出ている場面なんかは、楽しかった。
ハマモトさんとお姉さんとアオヤマくんの三角関係は、生々しさがないので、よけいなことを気にせず、きれいな気もちで読める。


正直な話、物語の謎に関しては、蛇足だったという気もしなくはない。
結局わからない謎も多いし、ご都合主義だな、と思う部分もある。

しかし少年少女たちの姿や行動はおもしろく、アオヤマくんの理屈っぽいしゃべりはひねくれていて心に残るし、お姉さんとアオヤマくんの関係は読んでいても心地よい。

着地の仕方には不満もある。
だが過程や雰囲気に関しては、好みの一品であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの森見登美彦作品感想
 『きつねのはなし』
 『新釈 走れメロス 他四篇』
 『太陽の塔』
 『夜は短し歩けよ乙女』

『横道世之介』 吉田修一

2013-01-24 20:58:09 | 小説(国内男性作家)

大学進学のため長崎から上京した横道世之介18歳。愛すべき押しの弱さと隠された芯の強さで、様々な出会いと笑いを引き寄せる。友の結婚に出産、学園祭のサンバ行進、お嬢様との恋愛、カメラとの出会い…。誰の人生にも温かな光を灯す、青春小説の金字塔。第7回本屋大賞第3位に選ばれた、柴田錬三郎賞受賞作。
出版社:文藝春秋(文春文庫)




『横道世之介』はふしぎな小説である。

本書を端的に表すなら、地方から上京してきた若者の東京での一年を描いた小説なわけで、基本的には大学生の日常が書き連ねられているだけでしかない。

あらすじだけ聞くと、おもしろいの? って言いたくなるような作品である。
でも、これがまたおもしろいから、本当にふしぎとしか言いようがない。

ときにクスクスと、ときにニヤニヤと、ときには声を上げて笑えるし、それでいて最後は、じーんと胸が震える。
つくづく感心するほかない作品である。


この作品を楽しめたのは、登場人物の個性によるところが大きいだろう。
特に主人公の世之介と、やがて恋人となる祥子のキャラが抜群に光っている。


世之介は流されるように生きているわりに、結構図々しい男である。
加藤がらみのエピソードなんかは典型で、クーラーがないからという理由で、彼の部屋に入り浸るところなんかは特にそう思う。
ほかにも、いやいや、これ、相手からしたらたまったもんじゃないな、と思うような図々しいシーンは見られる。

だけど、そんな空気が読めない男なのに、なぜかしら憎めないのである。

たとえば、自分はゲイだとを加藤がカミングアウトする場面。
そのとき世之介は、加藤がゲイであるという事実ではなく、それがクーラーのある俺の家に泊まりに来るな、という遠回しの意味ではないか、ということの方を心配しているのだ。

もちろんそんな世之介の態度はつっこみどころが満載だ。どこかずれている上に、とぼけたところがある。
しかしそこに、悪意はかけらもない。だから変に憎めないのかもしれない。

こういう人って得だよな、と読んでいるとつくづく感じる。そしてそれこそ、人間的魅力ってやつなんだろう。
本当に横道世之介、愛すべきいいキャラクターである。


そして愛すべきという点は、彼の恋人となる祥子にも当てはまるのだ。

祥子は、いわゆるお嬢様である。
実際、いやいやこんなステレオタイプのお嬢様、マンガでしか登場しないよ、ってくらいに浮世離れしている。
擬音で表すなら、ふわふわ、っていう言葉を使いたくなるような人だ。

しかし、何でだろう。ありえない、と思いながらも、現実的にいても、おかしくないのかも、って思えるような実在感があるのだ。
そう感じられるのは、祥子がおもしろい子で、好感を持てる子だってのも、大きいのかもしれない。

実際祥子は、愛されて育ったんだろうな、って感じられる部分が多く、読んでいるとほっこりする。
優しく、おっとりしていて、しかしお嬢様らしく図々しいところもあり、しかしロマンチックなところもある。
価値観が人とどこかがちがっているので、そのずれ具合が笑えてしまう。
そしてそれゆえに、世之介同様に、憎めない、愛すべき子なのだ。


そしてそんな彼らの存在があったればこそ、ラストをしんみりせずに、締めることができているのだろう。
特に全編を貫く明るさは、世之介の存在にあると言える。

40になった祥子は、世之介を評して、「いろんなことに、『YES』って言ってるような人」「いっぱい失敗するんだけど、それでも『NO』じゃなくて、『YES』って言ってるような人」と答えている。
ラストの世之介の母の言葉も、そんな彼の本質を突いていよう。

40近くなったむかしの友人たちが、世之介をどこか温かい気分でふり返っているのも、そんな風に、『YES』を言い、大丈夫だ、と考える世之介の温かさが導き出してくれたものなのかもしれない。
そのように、世界を丸ごと肯定するような雰囲気に、読んでいて静かに胸が震えた。


愛すべきキャラクターが織り上げる物語の、美しいまでにポジティブさが、深く胸に染入る一品である。
個人的な好みに見事はまった、文句なしの一作だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの吉田修一作品感想
 『悪人』

『めくらやなぎと眠る女』 村上春樹

2012-12-03 21:14:57 | 小説(国内男性作家)

ニューヨーク発、24の短篇コレクション。 英語版と同じ作品構成で贈る。
出版社:新潮社



村上春樹は言わずと知れた、大作家のわけだが、短篇も普通に上手い。
同じ体裁の『象の消滅』と比べると、全体的に作品の質は劣るが、それでもレベルの高さは堪能できる。


たとえば個人的に本作の白眉だった、『我らの時代のフォークロア』。

ここに出てくる男女のカップルは規定された枠組みの中でしか、物事を考えられなかった人たちだ。
女は特にそうだが、自分の可能性を限定しているし、そこから踏み外すことを恐れている。
だから恋愛のスタイルも限定的で不自由にならざるをえない。

それを象徴するのは、ラストの再会のシーンだ。
彼らはその時点で、大人になっている。だから学生の頃と違い、自分たちを閉じ込めていた枠組みが何かはわかっているし、そこから逃げる方法も知っている。
少なくとも、彼らの行動の選択肢の幅は増えているはずだ。

だけど、どれだけ年を重ねても、結局彼らは昔と同じ方法でしか、触れ合うことができない。
こと二人の関係に関しては、たとえ時間が経とうと、彼らは不自由なままなのだ。
人は一度自分自身を縛って、生き方や考え方を限定してしまうと、その地点にとどまり続けざるを得ないのかもしれない。

そんな二人の姿があまりに悲しく、胸に刺さってならなかった。


『氷男』もなかなかおもしろい。

まず何と言っても、目を引くのが、文体の静けさだろう。
この冷えた独白が、氷男という奇妙な男の妻となる女性の内面と、非常にマッチしていてすばらしい。

物語もさすがにおもしろい。
氷男は確かに「私」を愛しているけれど、それはあくまで今を愛しているだけなのだろう。
だから、今を固定された瞬間、狭い世界の中に閉じこもらざるをえなくなり、周囲と断絶する形になっていく。

これは社会との接触ができなくなった人間の話と読めなくもない。
人間としては、ともかくも、社会性という観点から言うならば、彼女は生きながらにして死んでいるようなものなのかもしれない。

そんな予感と孤絶感が非常に物悲しくあり、忘れがたい一品である。


そのほかの作品にも目を引くものが多い。

過去に起きた不幸(おそらく男友達だけでなく、女友達もこの世にいないのだろう)に対する哀切が胸に響く、『めくらやなぎと、眠る女』。
死の気配の充溢している感じと、その気配に対する恐怖が感じられて忘れがたい、『ニューヨーク炭鉱の悲劇』。
ひとりごとを言うことが許されず抑圧されてきた女性と、「僕」の関係性のスケッチ的描写が印象的な、『飛行機』。
ナイフを持つということの裏側にかくされた彼の思いと、最後の夢の話が悲しい、『ハンティング・ナイフ』。
スパゲティーを茹でることでしか向き合えない傷があるのかもしれず、それゆえ孤独を求めざるをえない心情が心に残る、『スパゲティーの年に』。
孤独の中に生きていた主人公が、再び孤独へと返っていく姿が悲しい、『トニー滝谷』。
文壇を揶揄した感じが、アイロニカルでおもしろい、『とんがり焼きの盛衰』。
日常で感じるちょっとした齟齬が、ある瞬間に顔を見せ、他者との関係が決定的にこわれてしまう過程を描いていて、ちょっとこわい、『蟹』。
「僕」の思いがどうしても彼女に届きそうにないことがわかるだけに、淡い悲しみを覚えてしまう、『蛍』。
そして、『東京奇譚集』に収録された5編の作品、など。


数篇を除き、一度は読んだことがある作品ばかりなのだが、再読にも関わらず、なかなか楽しめるし、新たな発見もある。
村上春樹の良さを手軽に味わえる上に、お得感もある、上質の作品集だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの村上春樹作品感想
 『アフターダーク』
 『1Q84 BOOK1,2』
 『1Q84 BOOK3』
 『海辺のカフカ』
 『神の子どもたちはみな踊る』
 『象の消滅』
 『東京奇譚集』
 『ねじまき鳥クロニクル』
 『ノルウェイの森』

 『遠い太鼓』
 『走ることについて語るときに僕の語ること』
 『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』
 『若い読者のための短編小説案内』
 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』 (河合隼雄との共著)

『桐島、部活やめるってよ』 朝井リョウ

2012-07-24 20:04:48 | 小説(国内男性作家)

田舎の県立高校。バレー部の頼れるキャプテン・桐島が、理由も告げずに突然部活をやめた。そこから、周囲の高校生たちの学校生活に小さな波紋が広がっていく。バレー部の補欠・風助、ブラスバンド部・亜矢、映画部・涼也、ソフト部・実果、野球部ユーレイ部員・宏樹。部活も校内での立場も全く違う5人それぞれに起こった変化とは…?瑞々しい筆致で描かれる、17歳のリアルな青春群像。第22回小説すばる新人賞受賞作。
出版社:集英社(集英社文庫)




『桐島、部活やめるってよ』というタイトルからして、桐島の退部から起こる波紋を描いた部活小説かな、と読む前は思っていた。
しかし桐島本人は、回想やみんなの会話の中にしか登場しない。
むしろ本作は、高校生の世界を描いたオムニバス短篇という方が正しいのだろう。

描かれるのは桐島ではなく、各人のあくまでパーソナルな心情のブレだ。
それゆえ、明確なストーリーラインがなく、散漫な印象も受ける。

だが本作は非常に楽しい作品だった。
それは高校の状況が丁寧に描かれているからだ。
学校特有の空気を見事に再現しており、その感性と視点にほれぼれとする。


高校はある種の階層化社会だったように思う。

本作にも描かれているように、男の場合で言うなら、運動もできて、ファッションにも気を配るヤツらはいけてるグループに属し、運動神経も鈍く、全体的に地味なヤツらはいけてないグループに分けられる。
実際休み時間なども、似たような傾向のヤツらで固まり、友人になる場合が多い。

それでも僕らの時代は、別グループって感じのヤツらとも普通に話はした。
だけど今はもうちょっと極端になっているのかもしれない。知らんけど。


もちろん、そんなカテゴライズなど現実社会に出ればあまり意味はない。
だが高校はせまく、その場の空気に支配される傾向にあるように思う。
高校生らが属するのは、せまい価値観で閉ざされた世界と時間でもあるのだろう。

「世界はこんなに広いのに、僕らはこんなに狭い場所で何に怯えているのだろう」と独白する場面がある。
それはまさしく正論なのだけど、人は弱く、どうしたってその場の空気に左右されてしまう。
そしてその価値観のままに、ダサいヤツらを、ダサいという理由で、低く見たり、小ばかにする人だっている。

でも人間である以上、根っこの部分に、そこまでの差があるわけではないのだ。
いけている方も、いけていない方も、抱えている悩みは総じて変わらない。



本作は番外編をのぞけば、男女5人が主人公として登場する。
僕が男だからかもしれないが、特に男性3人のパートを楽しく読めた。


『小泉風介』のパートはつかみとしては上等だ。

風介はキャプテンだった桐島が辞めて以降、レギュラーの座につくこととなっている。
その際の葛藤が胸に響いてならない。

風介は、友人でもある桐島のことが好きだったわけだが、彼がいなくなって、自分がレギュラーにつくことはすなおにうれしいと思ったりする。
だがその反面、桐島よりも劣っていることにコンプレックスも持っているし、後ろめたい想いも抱いている。

その等身大の苦しみや、もやもやした部分が非常に丁寧に描かれており、共感を覚えた。
丹念に主人公の心情を追い、描き上げた手腕には感服してしまう。


『前田涼也』のパートは、非常にさわやかだ。
そして本作中で、一番好きなパートでもある。

涼也はいけていないグループに属しているわけで、その結果周りからは低く見られ、それにより卑屈な気分に陥ることだってある。
しかしそんな周り的には底辺の彼らにも、好きなものがある。

確かに彼らはいろんな意味で、ダサいのかもしれない。
だけど好きなものに取り組み、それをまっすぐ追っている姿はあまりにさわやかだ。
人間の魅力は結局外見ではなく、心なのかもしれない。
そんな風に思えるほど、純粋に何かに打ち込む彼らの姿が美しく、読みながら深く胸を打たれた。


『菊池宏樹』のパートもすてきだ。

彼は周囲から上位グループに属していると見なされているが、そんな彼にはやりたいことがない、というコンプレックスのようなものを持っている。
そして「ダサいかダサくないかでとりあえず人をふるいにかけて、ランク付けして、目立ったモン勝ちで、そういうふうにしか考えられない」ヤツを「薄っぺらい」、と思ってるふしがある。

たぶん彼は表層的なものでなく、本質的なものを求めているんだろう。
だからこそ「本気で立ち向かえるもの」を持っている人たちに、心のどこかで憧れを持っていて、応援したいという気もちがあるんだろうな、というのが感じられる。
その感覚がすてきで、青春小説らしい味が出ているのが好ましかった。


どうも散漫な感想になったが、ともあれ、読後感もよく、普遍的な若者の姿が深く胸に響く。
作品の出来にばらつきはあるが、いい作品はとことんいい。

才気あふれる、見事なデビュー作であった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『楡家の人びと』 北杜夫

2012-05-17 20:23:19 | 小説(国内男性作家)

溢れる楽天性と人当たりの良さで患者の信頼を集めるドクトル楡基一郎が、誇大妄想的な着想と明治生まれの破天荒な行動力をもって、一代で築いた楡脳病院。その屋根の下で、ある者は優雅に、ある者は純朴に、ある者は夢見がちに、ある者は漠とした不安にとまどいながら、それぞれの生を紡いでゆく。東京青山の大病院と、そこに集う個性豊かな一族の、にぎやかな年代記の幕が上がる。
出版社:新潮社(新潮文庫)




精神科医として青山に病院を構えた、親子三代の人物像を描いた作品である。
そういうこともあり、本作には使用人も含め、多彩な人間が登場する。
そしてどの人物も総じて個性が強いというか、一癖も二癖もあるような、アクの強いヤツらばかりなのだ。

そう書くと、極端に個性が誇張されたつくりものめいた人物像を思い浮かべそうだけど、本作の登場人物は、どれも嘘っぽくない。
こういう人っていそうだな、と感じられるような人たちばかりで、確かな存在感がある。
それは北杜夫が、斎藤茂吉を始め、自分の家族という身近な人物をモデルにしているからかもしれない。

そんな多くの人物たちを、ときにユーモラスに描いている点は見事だ。


さてそんな中、もっとも一番インパクトがある登場人物は、楡家の創始者、楡基一郎だろう。

この人がどうしようもない俗物なのだ。
彼は多くの成り上がり者がそうであるように大層な見栄っ張りである。
脳病院の必要以上に豪華な外観などは、彼の個性を表していておもしろい。

何度か言及があるが、基一郎のやることなすことは、基本的にはこけおどしだ。
精神科の診療でさえ、科学的根拠に基づいているわけではなく、ほとんどノリでやっているようなものだから、始末に終えない。几帳面な人からしたら、そのいい加減っぷりにはいらだつことだろう。

だが基一郎のふしぎなところは、そんなむちゃくちゃで、ざっくばらんで、適当であるにも関わらず、患者や周りの人間の信頼も勝ち得てしまうことにある。
これはもはや人間の魅力としか言いようがない。
そして、こんな不可思議な人物像を描き上げた点でも、本作はすてきな作品と言えよう。


基一郎以外にも、この作品には個性的な人が多く登場する。

父親と自分に対する礼讃意識が強く、それゆえとかく高飛車な態度になりがちな、基一郎の長女龍子。
妻との折り合いが悪く、実直で、内に閉じこもりがちで、学術的作業をすることで家庭の不和から逃避している、龍子の婿徹吉。
幾分子供じみた部分があり、それゆえ周りも自分も振り回してしまう、基一郎の三女桃子。
めんどくさいことを避け、のびやかに生きていたいと願う、基一郎の長男欧洲。
弱気のためか、自分は病気がちだと無闇に信じたがる、次男米国。
蓮っ葉な少女だったのに、恋した相手の不幸から沈み込んでしまう、龍子の長女藍子。
とてつもなく気弱でとかく内気な、龍子の次男周二。
基一郎を過剰に崇拝していろいろ突っ走りがちな病院の院代、勝俣秀吉。
無駄に自信過剰な使用人の熊五郎。
新聞記事を節をつけて読む、患者のビルケンさん、など。多士済々。


それに、個性の強いキャラクターがそろっているためか、エピソードも多彩で豊富で、物語としてのパワーに溢れているのがすばらしい。
ストーリーも明治、大正、昭和、それぞれの時代を反映しており、どこを切ってもおもしろく、それが大きな魅力だ。

個人的には第三部が一番心に残っている。特にそこに描かれた、戦争の話がただただ悲惨で、胸を突く。
戦争の場面でも文体自体はユーモラスなタッチを保っている。それが内容のむごさと解離しており、安直に笑えないものがいくつも見られた。
そしてそれがゆえに、逆に強いインパクトを残す点が印象深い。


ともあれ一つの家族の歴史と人物たちを、日本の当時の世相と絡めつつ描いていて、忘れがたいものがある。
力作、そう呼んで足る一品であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの北杜夫作品感想
 『幽霊 ―或る幼年と青春の物語―』
 『夜と霧の隅で』

『赤頭巾ちゃん気をつけて』 庄司薫

2012-04-13 20:47:36 | 小説(国内男性作家)

学生運動の煽りを受け、東大入試が中止になるという災難に見舞われた日比谷高校三年の薫くん。そのうえ愛犬が死に、幼馴染の由美と絶交し、踏んだり蹴ったりの一日がスタートするが――。真の知性とは何か。戦後民主主義はどこまで到達できるのか。青年の眼で、現代日本に通底する価値観の揺らぎを直視し、今なお斬新な文体による青春小説の最高傑作。「あわや半世紀のあとがき」収録。
出版社:新潮社(新潮文庫)




若者論はいつの時代ももてはやされる代物だ。
でもそこで取り上げられる若者がその時代の典型であるという保証はない。
渋谷の若者の声が、いまの時代の若者の意見を代表するものでないのと同じである。

この作品の時代は全共闘のころだが、主人公はゲバ棒を持って、バリケードをつくって立てこもるような、当時のメディアに取り上げられていたような若者ではない。

言うなれば、優等生タイプで、それゆえ地味で、いささか冴えない。
そしてそういうタイプの若者は、いつの時代でも一定数存在するものである。


主人公は日比谷高校から東大を目指す、優秀な高校生だ。
家に「女中」がいることからしても裕福な家の子なのだろう。

実際感じのいい青年で、奇抜なこともほとんどしない。
冴えないという自覚はあるし、ケンカした幼なじみ相手に一人相撲のようにあたふたする、情けないようなところもある。恥をかけばごまかす程度のプライドはあり、女医の乳房に反応する程度に性欲がギンギンだったりする。

自虐風に言うならば、「お行儀いいだけがとりえのつまらないやつ」って感じの高校生だ。
この年齢はマジメにしていることがかっこ悪いって考える時期だから、よけいそう思うのかもしれない。


でもそんな周りに対して、彼は彼なりに、いろいろなことを考えている。

お酒を飲んで踊り狂ってそれから「ハプニング」的にセックスしちゃうなんていっても、(略)どうもサマになっていないような感じがしてくるのだ。(略)そういう男の子や女の子が、自分では確かに最も新しくてカッコいいことをやっていると思いながらも、実は本人自身なんとなく信じれないというか、ほんとうはちっとも楽しくないんだというようなことが、なんとなく悲しくなるようにはっきりと伝わってくるような気がして、そうなるともうダメになってしまう

そこで考え感じそして行動するすべては、はたからはどんなにつまらない既成概念(略)に従っているように見ようとも、それこそぼくがぼくのなかに(略)銘をうってつみかさねてきた(略)ぼくのすべてとの或るわけの分からぬ結びつきから生まれてくるものなのだ。そしてぼくは、いまのところまだわけの分らぬこのぼくのなかのさまざまな結びつきをできるだけ大事にしよう

「みんなを幸福にするにはどうすればよいか」が、このぼく自身の考えとしてはっきりと分らないうちは、少なくともぼく自身は「ひとに迷惑かけちゃだめよ」で精一杯やっていく他ないのじゃないか

ぼく自身を、(略)ぼくの知性を、どこまでも自分だけで自由にしなやかに素直に育てていきたいと思うなら、ぼくは裸踊りでゴマすってはいけないし、居直るなんて論外だし、ましてや亡命するなんてのは絶対にいけないのではないか。ゴマをすらず居直らず逃げ出さず……でもそんなことを実際にどうやって続ければいいのだろう

あたりが特にいい。

そしてそういった言葉からは、自分なりに考え、時代の状況に左右されることなく、自分で決定し行動していこうという意志が仄見えるようだった。
文中の言葉で言うなら、「まわりが何を言っても平気であわてず騒がずにやっていって、いいものはいいと平気で言って」いくということだろう。

もちろんそういった言動は、どれも背伸びしている部分はある。
だけどこの若さゆえの背伸びした感じが、非常に好ましくて、深く深く胸に響いてくる。


とは言え、そういった態度は自分の中に迷いも生むことだってあるだろう。
それが結果として殺伐とした感情を生むことだってあるかもしれない。

特に後半になると、主人公のマキャベリズム的な、目的のために手段を選ばず、敵の息を止めたっていいんだ的な、かなりどす黒い感情が湧いてくる場面もある。
自分の周りの人間が踏みつけられるかもしれないからこそ抱く、それは正義感とも言えるのかもしれない。

個人的にはそんな主人公の心情が、少女の優しさによって救われるところが良かった。
ラストの独白にも現われているかもしれないが、ベタに言うならば、最後に人の心を救うのは愛なのかもしれないなんて思ったりする。要はラヴ&ピース。それゆえにさわやかだ。


ともあれ、迷い、背伸びし、考え、何かを決め、最終的にそんなさわやかな境地にたどり着いた主人公の魂の遍歴が、読んでいて心地よくさえある。

世の流行には流行り廃りがあるかもしれない。
しかしここに描かれた男子高生の心境は、時代の洗礼を受けることなく、息づくことだろう。

『赤頭巾ちゃん気をつけて』は、全共闘時代の空気をすくい取りながら、紛れもない普遍性を併せ持った優れた一品である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『眠れる美女』 川端康成

2012-03-30 21:11:43 | 小説(国内男性作家)

波の音高い海辺の宿は、すでに男ではなくなった老人たちのための逸楽の館であった。真紅のビロードのカーテンをめぐらせた一室に、前後不覚に眠らされた裸形の若い女――その傍らで一夜を過す老人の眼は、みずみずしい娘の肉体を透して、訪れつつある死の相を凝視している。熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の名作「眠れる美女」のほか「片腕」「散りぬるを」。
出版社:新潮社(新潮文庫)




『眠れる美女』の設定は、どう見ても変態的である。
薬によって眠らされた、裸の美女の横で、老いた男たちが、セックス抜きで(ただしペッティングは行なう)ただ眠る。
冷静にふり返るにあからさまに気持ち悪い設定だ。

しかしこの作品に漂う、ふしぎな雰囲気とエロティシズムは強いインパクトを残す。
実際の行為には至っていないものの、女の体を観察し、セックス抜きで彼女らの体に触れることで、しないからこそのエロさが立ち上がってくるのが良い。
特に肉体描写の丹念さと耽美さは目を見張るものがあるのだ。
さすがは文豪。こういうエロティックな書き方もあるのだな、と感心させられる。

そしてそのような異常な設定から、老人の人生と、男性性と老いというテーマが浮かび上がってくる。


主人公の江口は、まだ男性の機能は衰えていない初老の男だ。
そのことに少なからず自負を持っているし、男性の機能が失われているのだろう、と見られてしまうことに対して、やたらプライド高い意識も持っている。

そんな彼は自分のプライドを傷つけられ、女を手荒く扱おうと考えたりもする。その発想は、いかにも男性的な考えだ。
だが同時にそこからは、まだ枯れていない、という老いに対する抵抗の意味合いが透けて見えるのがちょっとおもしろい。

しかし彼のそのような手荒い思いは、甦る過去の記憶の前で沈黙してしまう。
彼の思いに去来するのは、かつての愛人や、娘、母などの自分を通り過ぎた女たちだ。
彼は、セックス抜きで女たちと眠ることで、そんな自分の人生の断片をふり返っている。
そしてそういう行為自体が、一つの老いの描き方でもあるのだろう。
どれだけ抵抗し、若い体に触れても、そこにあるのは明確な老いと目前に迫った死の気配なのだ。その立ち上げ方はさすがだと思う。


とは言え、そう言ったテーマ性は、僕には幾分遠いこともあり、どうもピンとは来なかった。

ついでに言うと、耽美的な雰囲気が印象的な、併録の『片腕』や、『散りぬるを』もそこまで心に響かない。
『雪国』は好きだけど、僕はどうやら川端とは合わないのかもしれない。

だがそれでも、作中の雰囲気の描き方は独特のものがあり、インパクト残すことは確かだ。
川端康成という作家の大きさの一端を示す一品と言えるのかもしれない。

評価:★★(満点は★★★★★)



そのほかの川端康成作品感想
 『古都』

『共喰い』 田中慎弥

2012-03-15 20:50:06 | 小説(国内男性作家)

川辺の町で起こる、逃げ場のない血と性の濃密な物語を描いた表題作と、死にゆく者と育ってゆく者が織りなす太古からの日々の営みを丁寧に描いた「第三紀層の魚」を収録。
出版社:集英社




田中慎弥と言えば、芥川賞の受賞会見のおもしろさばかりに目が向きがちだけど、作品もすばらしいな、と本作を読んで強く感じた。
正直、ここまでおもしろいと思っていなかったので、いい意味で裏切られた思いだ。
以前読んだ『切れた鎖』よりも格段に読みやすくなっていて、一般読者向けになっている点にも驚かされる。

とは言え、内容そのものも一般読者向きであるとは、とてもじゃないが言えない。
何しろ本作品、主題はセックスと暴力だからだ。


本作の主人公遠馬の父親は、セックスのたびに女を殴る、という性癖を持った男だ。そして遠馬はいつか自分も、父と同じように女を殴るのではないか、とおびえている。
それが本作のメインの流れだ。
『切れた鎖』同様、忌まわしき血の連鎖がここでは描かれている。遠馬は、そんな血の連鎖にからめ取られることを切実なまでに怯えている。

実際遠馬自身、性欲と暴力への衝動を、同時に感じる場面は多い。
恋人の千種の首を絞めてしまうし、アパートの女とセックスするときも、父親と同様、力いっぱいに殴りつけながら抱いている。
それは最悪としか言いようのない負の連鎖だ。

そんな悪夢のような連鎖を、遠馬は断ち切りたいと願っている。
しかしその連鎖を断ち切るのは、遠馬でもなければ、父親でもない。
それを行なうのは、彼らに殴られてきた、虐げられる側の女の力だったりするのだ。


この作品の女性たちは暴力の被害を受けているけれど、実際のところ、彼女たちは彼女たちなりのたくましさを見せている。
遠馬は最後の方で、父と対立するわけだが、遠馬以上に徹底的に父親を憎み、決定的な行動を取るのは、千種や仁子さんの方なのだ、と僕には見える。

たとえば千種は、社でのできごとの後、かなり冷静に相手の男の死を願っていたりする。
それを口にする、彼女のクールな口調からは、どこか殺伐とした空気が感じられ、読んでいてぞわりとさせられる。

仁子さんの方は、千種以上に肝が据わっている。
たぶん遠馬では、仁子さんが見抜いた通り、父殺しはできなかったろう。
悪夢の連鎖を断ち切るためには、仁子さんのように、復讐めいたことも辞さず、責任感を持ち、母の愛情を備えた、女の存在が必要だったのかもしれない。
そんなことを読んでいて感じる。


ともあれ、人間たちの存在の力強さと、物語のドラマ性がきわめて印象的だ。
その力強い雰囲気がすばらしい一品である。



併録の『第三紀層の魚』もおもしろかった。

この小説で一番いいのは主人公のキャラクターだ。
小学生の信道はわりに賢く、視点も優れていて、周囲をよく観察しているのがわかる。
また感情の動きは、少し醒めた平坦な感じがあって、読んでいて好ましい。

特に曽祖父さんが死んだのは、自分のせいだと、まるで自慢のように言うところがいい。
そこからは深刻さをきちんと理解せず、むしろ非日常的なものにワクワクしがちな、普通の男の子の気持ちが伝わってきて、印象的だ。

内容としては、クライマックスの、チヌが釣れず、コチをつり上げるシーンが一番好きだ。
信道が泣いた理由は彼自身わかっていない。
だがやがて過去となるであろう下関での暮らしや、曽祖父と過ごした時間、祖母との記憶などの、すべての象徴たるチヌを手に入れられないことに涙する姿はじんわりと胸に響いて、ちょっとだけしんみりとする。

インパクトと言う点では弱いけれど、きれいにまとまったなかなかの佳品である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの田中慎弥作品感想
 『切れた鎖』

そのほかの芥川賞受賞作品感想
 第5回 尾崎一雄『暢気眼鏡』
 第34回 石原慎太郎『太陽の季節』
 第43回 北杜夫『夜と霧の隅で』
 第75回 村上龍『限りなく透明に近いブルー』
 第126回 長嶋有『猛スピードで母は』
 第128回 大道珠貴『しょっぱいドライブ』
 第134回 絲山秋子『沖で待つ』
 第135回 伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』
 第136回 青山七恵『ひとり日和』
 第137回 諏訪哲史『アサッテの人』
 第138回 川上未映子『乳と卵』
 第139回 楊逸『時が滲む朝』
 第140回 津村記久子『ポトスライムの舟』
 第141回 磯憲一郎『終の住処』
 第143回 赤染晶子『乙女の密告』
 第144回 朝吹真理子『きことわ』
 第144回 西村賢太『苦役列車』
 第146回 円城塔『道化師の蝶』

『道化師の蝶』 円城塔

2012-03-08 21:11:48 | 小説(国内男性作家)

正体不明&行方不明の作家、友幸友幸。作家を捜す富豪、エイブラムス氏。氏のエージェントで友幸友幸の翻訳者「わたし」。小説内をすりぬける架空の蝶、通称「道化師」。東京-シアトル-モロッコ-サンフランシスコと、 世界各地で繰り広げられる“追いかけっこ”と“物語”はやがて、 “小説と言語”の謎を浮かび上がらせてゆく――。
出版社:講談社




難解という前評判が大きかったので、読む前から覚悟していたが、評判通り難解だった。
解釈しようとすればできるけれど、それも自信がないし、うまく捉えきれない部分がある。
大きなことを語っていることははっきり伝わるけれど、とらえどころのなさが少しもどかしい。

正直に言うならば、嫌いなタイプの小説である。


作中では断片的なエピソードがゆるやかにつながり、ふしぎな連関構造を成している。
そこからまず見えてきたのは、作者の言語フェチっぷりである。

たとえばⅢ章の刺繍を通して、言語を習得していく過程には、言語誕生のプロセスを追っているようにも感じられるし、Ⅳ章の「娘から母が生まれた」に関わる推論には、言語というものが持つあいまい性を追究しているような気がして、なかなか興味を引く。人工言語である、無活用ラテン語を用いた小説というアイデアもおもしろい。

そうして言語を考察することで、同時に物語がもつゆらぎをも、作者はつきつけている。
早い話、本書はメタ小説なのだ。


一番いい例がエイブラムス氏だろう。
この人は章によって、語り手によって、性別がゆらいでいる。
そのように作者が性別をあいまいなままにしているのは、物語が言語同様にあいまい性を有していることを指し示している、と感じる。
物事は見方や、語る人によって(もしくは読み手によって)異なった印象と色合いを持つ。
一つの事実が目の前にあったとしても、それがすべての人にとって、必ずしも一つであるとは限らない。そういうことだ。

それをわかりやすく説明したのが、川上弘美の芥川賞の選評である。
川上弘美は、選評の中で、シュレディンガーの猫を引き合いに出している。

シュレディンガーの猫とは、量子論の確率論的解釈の矛盾をついた、思考実験としての猫である。
箱の中の猫が生きているか死んでいるかは、箱を開けるまでわからず、生と死は箱を開けることによって収斂し、箱を開けるまでは、箱の中の猫は生きている状態と死んでいる状態で半々になっている。
っていうあたりが有名だろうか。

さすが川上弘美だな、と感心したのだけど、確かにこの作品は、シュレディンガーの猫を引き合いに出した方が捉えやすい部分がある。


たとえば、Ⅴ章の友幸友幸を思わせる女性の思弁。

彼女は自分の刺繍や言葉を見せ付けられるにつれ、それは「何かの種類の呪い」だ、と考えるようになる。
呪い、という表現はなかなかユニークだな、と個人的には思ったのだけど、彼女がそう感じたのは、物語のそれ自体持っているあいまい性が、そうされることで、どんどんと固定化されていくからなのだ。

実際彼女の物語は、次々と集まる彼女の資料によって、補強されようとしている。
そうして友幸友幸という、たぶん当人ですらちゃんと把握しておらず、女性なのか男性なのかもわからず、生きているのか死んでいるのか、ほとんどわからない、ひたすらあいまいな人物の物語(あるいは現実と言うべきだろうか)が、一つの形で固定化されていくのだ。

物語っていうやつは、それを見つめ解釈したその瞬間、多様性という豊かさが失われる。そんなことを読んだ後に感じた。


とは言え、そう感じた後で、うん、だから何、という気も(僕の解釈で合っていると仮定して)しなくはなかった。そんなことを語ることに何の意味があるのだろう。

けれど、こういったアプローチ自体は非常にユニークである。
何よりスケールは大きいし、こんな発想を思いつく作家はなかなかいない。この人の頭の中はどうなっているのだろう、と純粋に思う。
嫌いなタイプの作品だが、思考実験としてはありかもしれない。そう思った次第だ



『道化師の蝶』よりも、個人的には併録の『松ノ枝の記』の方がおもしろかった。

「わたしは彼の翻訳者であり、彼はわたしの翻訳者である」っていう冒頭の、互いの作品を自国語に翻訳しあうという関係からして、変わっているな、と感じたのだけど、そこから物語はさらに変てこな方向へと進んでいく。
特に中盤以降の展開には驚いてしまった。
メタ小説らしい、と言えば、らしいのだけど、それでもこの人の考えることは奇抜だな、と感心してしまう。

とは言え、物語そのものが理解できるか、と言ったらそうでもない。
メタファーっぽい流れがいくつも出てくるのだけど、ネアンデルターレンシスが理解できないし、そのほかにもよくわからない部分は見られる。

だけどわからないなりに、本書はそれなりにおもしろい。
『道化師の蝶』同様、何か大きなことを語ろうとしているのだな、というのが伝わってくるし、読み味がさっぱりとしていて、『道化師の蝶』よりも心に残る魅力もある。



というわけで、トータル的に見れば、両作品ともそれなりに興味深く、大きな作品と感じたことは確かである。
こういうタイプの小説が好きな人は好きなのだろうな、とも思った。
嫌いなタイプの小説だけど、前衛の果敢な挑戦としては、好ましい一品である。

評価:★★★(満点は★★★★★)



そのほかの芥川賞受賞作品感想
 第5回 尾崎一雄『暢気眼鏡』
 第34回 石原慎太郎『太陽の季節』
 第43回 北杜夫『夜と霧の隅で』
 第75回 村上龍『限りなく透明に近いブルー』
 第126回 長嶋有『猛スピードで母は』
 第128回 大道珠貴『しょっぱいドライブ』
 第134回 絲山秋子『沖で待つ』
 第135回 伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』
 第136回 青山七恵『ひとり日和』
 第137回 諏訪哲史『アサッテの人』
 第138回 川上未映子『乳と卵』
 第139回 楊逸『時が滲む朝』
 第140回 津村記久子『ポトスライムの舟』
 第141回 磯憲一郎『終の住処』
 第143回 赤染晶子『乙女の密告』
 第144回 朝吹真理子『きことわ』
 第144回 西村賢太『苦役列車』
 第146回 田中慎弥『共喰い』

『国語入試問題必勝法』 清水義範

2012-02-29 23:10:23 | 小説(国内男性作家)

ピントが外れている文章こそ正解!問題を読まないでも答はわかる!?国語が苦手な受験生に家庭教師が伝授する解答術は意表を突く秘技。国語教育と受験技術に対する鋭い諷刺を優しい心で包み、知的な爆笑を引き起こすアイデアにあふれたとてつもない小説集。吉川英治文学新人賞受賞作。
出版社:講談社(講談社文庫)




ユーモア小説を多く手がける作家なだけに、本作もなかなか楽しい作品が多かった。
それでいて、小説の技巧的に冴えている部分が多く見られ、質の高い作品集だな、とえらそうに思ったりする。


表題作の『国語入試問題必勝法』が、またおもしろい。
国語の問題に対する、皮肉たっぷりな見方がすばらしかった。
だが本作において、本当にすばらしかったのは、ラストの要約のところにあるだろう。
確かにこの解答は、超がつくほどの正論なのだけど、そのまとめ方のアホらしさに声を出して笑ってしまう。


ユーモア小説以外では、『靄の中の終章』がいい。
内容としてはボケ老人の思考の動きを追っているのだけど、ご飯を食べたことを忘れ、嫁の顔を忘れ、徐々に死んだ妻のことを嫁に重ね合わせる様が、実に丁寧に描いていて、すばらしい。
その思考の混乱っぷりと、変なところでプライドが入り混じる点、ときどき頭の冴えに波があるところなどは、リアリティがあって、変な迫力がある。
小説の上手さをぞんぶんに堪能できる作品と思う次第だ。


そのほかにもおもしろい作品は多い。
元ネタは知らないけれど、妄想に近い論理の強引さがユーモラスな、『猿蟹合戦とは何か』。
なかなか皮肉が利いていて、むちゃくちゃな部分もあり、それが小説っぽくなくておもしろかった、『人間の風景』、など。

作品の質に波はあるが、いい作品は本当にすばらしく、笑えたり、考え込んだりしてしまう。
清水義範の上手さを味わえる作品集であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの清水義範作品感想
 『永遠のジャック&ベティ』
 『蕎麦ときしめん』

『永遠のジャック&ベティ』 清水義範

2012-02-28 23:29:11 | 小説(国内男性作家)

英語教科書でおなじみのジャックとベティが五十歳で再会したとき、いかなる会話が交されたか?珍無類の苦い爆笑、知的きわまるバカバカしさで全く新しい小説の楽しみを創りあげた奇才の粒ぞろいの短篇集。ワープロやTVコマーシャル、洋画に時代劇…。身近な世界が突然笑いの舞台に。
出版社:講談社(講談社文庫)




ユーモア小説というジャンルがあるが、清水義範は、そんなユーモア小説の優れた書き手なんだな、と読んでいると気づかされる。
パロディが多いが、これだけ笑える作品に出会えるのは愉快である。


表題作の『永遠のジャック&ベティ』がかなりおもしろい。
中学英語のパロディなのだが、教科書の会話をそのまま再現したような、ぎこちなさ満載の言葉遣いに、にやにやしっぱなしである。
会話の中身もばかばかしいものが多くて、非常に楽しい。
それでいて、ラストに少ししんみりさせるあたりは、なかなか憎い展開だ。満足の内容である。


『インパクトの瞬間』も結構好きだ。
広告宣伝に使われる、さも効果ありげで、わかったかのような特殊用語に対する揶揄がおもしろい。
実際一般人にジンクピリチオンって言われてもわかりっこないのだ。だけどそう言われると、ああすごそう、と思ってしまうからふしぎである。
コクがあるのにキレがある、も言われてから気づいたが、冷静に考えると、確かによくわからない。
こういった発想が出てくるのは、さすが作家だな、と思う。


ほかにもおもしろい作品が多い。
言葉の使い方で笑いを取るやり方がおもしろい、『ワープロ爺さん』。
谷崎風の内容かと思いきや、後半少しずつ不気味になっていく様が心に残る、『冴子』。
明治初期文体の再現に、作者の器用さを見る、『四畳半調理の拘泥』。
テレビ出演にはしゃぎ回る老人の姿など、どこかにいそうな人物たちの描写が魅力的な、『栄光の一日』、などなど。

作者の作風と発想の豊かさがうかがえる。そんな楽しい一冊であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの清水義範作品感想
 『蕎麦ときしめん』

『落日燃ゆ』 城山三郎

2012-02-21 20:40:31 | 小説(国内男性作家)

東京裁判で絞首刑を宣告された七人のA級戦犯のうち、ただ一人の文官であった元総理、外相広田弘毅。戦争防止に努めながら、その努力に水をさし続けた軍人たちと共に処刑されるという運命に直面させられた広田。そしてそれを従容として受け入れ一切の弁解をしなかった広田の生涯を、激動の昭和史と重ねながら抑制した筆致で克明にたどる。
出版社:新潮社(新潮文庫)




運命というものについて、ときどき考えることがある。

世の人の生の帰結を、そういったわかったような言葉で片づけてしまうのはどうかとも思う。
だけど、自分の能力を駆使しても決して抗うことができず、人生の行き先が決定されてしまう――そういった理不尽で、大きな流れというものは少なからず存在するものだ。
そしてそういった言葉でしか納得できない事態だってある。

本作に描かれた広田弘毅も、そういった理不尽で大きな流れに巻き込まれた一人である。


広田弘毅は、戦前に首相を務めたものの、戦後、東京裁判でA級戦犯とされ、絞首刑になった人物だ。

フィクションなので、多少割り引いて考える必要はあるが、それでも本作を読んでいると、彼は基本的にきまじめで温厚な人なんだな、と感じることができる。
若い時代には血気にはやる部分もあったけれど、それでも自分の人生を引き受け、外交官として自らの使命を定め、それを確実にこなしていくという懸命さが、各エピソードを読んでいると伝わってくる。
粘り強く交渉を重ねるタイプという点から見ても、根本は堅実で誠実な人なんだろう。

だがそんな彼が外相という大きな役割を果たすころから、多くの苦労を引き受けることになっていく。
当時は軍が幅を利かせた時代だ。その流れに対し、広田なりに抗弁はしているけれど、結局は軍にかき回されるだけで、なかなか上手くはいかない。
官僚の彼にとって、統帥権干犯を盾にする軍部に抵抗することは、現実的に難しかったのだろう。


だけどそんな彼の無力が、GHQによるA級戦犯としての逮捕につながっていく。
もちろん上に立つ以上は、物事に責任が伴うことは否定しない。軍部が幅を利かせていたとは言え、広田弘毅にまったく罪はなかった、とは言えない。

でもそれだけの責任を、一個人にまとめて押し付けるのは酷にすぎる。
個人の力量を超えた事象にふり回された広田が、全部の責任を引き受ける必要なんてない。

だが逮捕され、裁判にかけられる広田弘毅は、そんな自らについて一切の弁護をしないのだ。
それは他人に累が及ぶことを心配していることもあるだろうし、自己の責任を一心に引き受けようと覚悟しているからでもある。

要するところ、彼はむかしと変わらず、あくまで誠実でまじめなのだ。
広田弘毅という、誠実できまじめな男にとって、自分だけ助かろうという打算的な行動は取れなかった。
その結果、「自ら計らわぬ」という哲学のまま、広田は、自分に不利な方へ進んでいく裁判すらも受け入れ、過剰すぎる責任を背負い、従容と死に赴いていくこととなる。


その姿が、立派な態度であることは断言してもいい。牟田口廉也とは真逆のタイプであり、尊敬に値する。
けれど、そんな広田の姿はあまりに痛々しい。正直、何でそこまで、と僕としては思ってしまう。
それだけに読んでいると、切ないような、苦しいような気分にもさせられてしまう。

そしてそんな広田弘毅の姿を見ていると、人間の運命の不可解さを思わずにいられなくなる。
と同時に、理不尽な運命も自ら引き受けた彼の姿に、人間の尊厳を見出す思いがする。

ともあれ一外交官の悲劇とも言える一生を描き出していて、すばらしい。紛れもない良書である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)