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川辺の町で起こる、逃げ場のない血と性の濃密な物語を描いた表題作と、死にゆく者と育ってゆく者が織りなす太古からの日々の営みを丁寧に描いた「第三紀層の魚」を収録。
出版社:集英社
田中慎弥と言えば、芥川賞の受賞会見のおもしろさばかりに目が向きがちだけど、作品もすばらしいな、と本作を読んで強く感じた。
正直、ここまでおもしろいと思っていなかったので、いい意味で裏切られた思いだ。
以前読んだ『切れた鎖』よりも格段に読みやすくなっていて、一般読者向けになっている点にも驚かされる。
とは言え、内容そのものも一般読者向きであるとは、とてもじゃないが言えない。
何しろ本作品、主題はセックスと暴力だからだ。
本作の主人公遠馬の父親は、セックスのたびに女を殴る、という性癖を持った男だ。そして遠馬はいつか自分も、父と同じように女を殴るのではないか、とおびえている。
それが本作のメインの流れだ。
『切れた鎖』同様、忌まわしき血の連鎖がここでは描かれている。遠馬は、そんな血の連鎖にからめ取られることを切実なまでに怯えている。
実際遠馬自身、性欲と暴力への衝動を、同時に感じる場面は多い。
恋人の千種の首を絞めてしまうし、アパートの女とセックスするときも、父親と同様、力いっぱいに殴りつけながら抱いている。
それは最悪としか言いようのない負の連鎖だ。
そんな悪夢のような連鎖を、遠馬は断ち切りたいと願っている。
しかしその連鎖を断ち切るのは、遠馬でもなければ、父親でもない。
それを行なうのは、彼らに殴られてきた、虐げられる側の女の力だったりするのだ。
この作品の女性たちは暴力の被害を受けているけれど、実際のところ、彼女たちは彼女たちなりのたくましさを見せている。
遠馬は最後の方で、父と対立するわけだが、遠馬以上に徹底的に父親を憎み、決定的な行動を取るのは、千種や仁子さんの方なのだ、と僕には見える。
たとえば千種は、社でのできごとの後、かなり冷静に相手の男の死を願っていたりする。
それを口にする、彼女のクールな口調からは、どこか殺伐とした空気が感じられ、読んでいてぞわりとさせられる。
仁子さんの方は、千種以上に肝が据わっている。
たぶん遠馬では、仁子さんが見抜いた通り、父殺しはできなかったろう。
悪夢の連鎖を断ち切るためには、仁子さんのように、復讐めいたことも辞さず、責任感を持ち、母の愛情を備えた、女の存在が必要だったのかもしれない。
そんなことを読んでいて感じる。
ともあれ、人間たちの存在の力強さと、物語のドラマ性がきわめて印象的だ。
その力強い雰囲気がすばらしい一品である。
併録の『第三紀層の魚』もおもしろかった。
この小説で一番いいのは主人公のキャラクターだ。
小学生の信道はわりに賢く、視点も優れていて、周囲をよく観察しているのがわかる。
また感情の動きは、少し醒めた平坦な感じがあって、読んでいて好ましい。
特に曽祖父さんが死んだのは、自分のせいだと、まるで自慢のように言うところがいい。
そこからは深刻さをきちんと理解せず、むしろ非日常的なものにワクワクしがちな、普通の男の子の気持ちが伝わってきて、印象的だ。
内容としては、クライマックスの、チヌが釣れず、コチをつり上げるシーンが一番好きだ。
信道が泣いた理由は彼自身わかっていない。
だがやがて過去となるであろう下関での暮らしや、曽祖父と過ごした時間、祖母との記憶などの、すべての象徴たるチヌを手に入れられないことに涙する姿はじんわりと胸に響いて、ちょっとだけしんみりとする。
インパクトと言う点では弱いけれど、きれいにまとまったなかなかの佳品である。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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