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シッダルタは学問と修行を積み、聖賢になる道を順調に歩んでいた。だが、その心は一時として満たされることはなかった。やがて俗界にくだったシッダルタだったが…。深いインド研究と詩的直観とが融合して生み出された“東洋の心”の結晶とも言うべき人生探求の物語。原文の格調高い調べを見事な日本語に移した達意の訳。
手塚富雄 訳
出版社:岩波書店(岩波文庫)
ヘッセの代表作の一つと言えば『デミアン』だが、同じく代表作と目される『車輪の下』に比べると、個人的には好きになれなかった。
それはどこか説教くさいところが引っかかり、物語に没頭できなかったからである。
『シッダルタ』を読み終えた後に感じたことは、『デミアン』とほぼ同じだ。
好みでははない。
結局一言で言えばそういうことになるのだろう。
もちろん悪い作品ではないのだが、こればかりは仕様がないことだ。
『シッダルタ』はシッダルタという人間の魂の遍歴を描いた作品だ。
そのタイトルから、最初ゴータマ・シッダルタの生涯を描いた作品だと思っていたが、仏陀ことゴータマは別にいて、シッダルタはゴータマと同時代の別人という設定である。
ここで展開される思想は、ヒンドゥー教や仏教で見られる梵我一如の思想であるらしい。
シッダルタは長い修業の末、滅我によっては苦悩は減らないと感じ、自己の存在をもっと見つめることが重要だと感じるようになる。
自分なりに解釈するならば、内省的になり、自分の内の中に「避難所」を設けることで、人生の苦悩から離れようという考えであるらしい。
しかしそれでも苦悩や虚しさを感じるらしく、再び自己探求の旅に出る。
その結果、現在の状態を受け入れることが重要だと見出すようになる。
「求める」のではなく、「見出す」ことでの、自己救済である。
そうすることで、世の中のすべての事物の中に、ブラフマンがいると感じるようになるのだ。
最終結論は、現状を肯定的に受け止め、世の中を愛していこうといったところだろうか。
違うかもしれないが、そう感じたから仕様がない。
そして同時に、やはりこの話は説教くさいと思う。
結局、本書は、主人公が梵我一如を見出す話である。
そんな内容があまりに抹香臭くて心に響いてこないのが残念だ。
だがその結論に至るまでの、精神的なモチベーションは筋道が通っている。
それに思想を語る作品として、あるいは雰囲気を語る作品として、味わいがあるとも思う。
好みではないが、『デミアン』同様、ヘッセらしさが存分に出た作品と言えるのかもしれない。
評価:★★(満点は★★★★★)
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