母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作。
窪田啓作 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)
異邦人、というタイトルからして、カミュは人間世界の埒外にいる人間を表現したかったのではないか、と思う。
実際主人公のムルソーは、通常の人間の価値観から見たら、ずれた人間だ。
人殺しだってしているし、共感能力は幾分乏しい。
しかし共感能力が乏しいと言っても、サイコパスというほどでもないし、人並みに欲望もあれば、恐怖に対して怯える気持ちも持っている。
そういう意味、あくまでムルソーは人なのだ。
だが彼は、大多数の人間から理解されない行動基準を持っているために、世界から排除されることとなる。
そういう風に考えると、この作品は、コモンセンスや常識が、社会の枠組みに属しえない個人を圧殺する作品である、とも個人的には感じられた。
しかしコモンセンスなどの大きなものに頼らない分、彼はむちゃくちゃ強い人間であるとも同時に感じられてならなかった。
と先に結論に書いてしまったが、もう少し作品をふり返ってみよう。
ムルソーは基本的に乾いた感性の人間だ。
ママンが死んだときでも、決して悲しまず、まるで他人の死のようにふるまっている。
レエモンの犬がいなくなったときも、応対はずいぶん冷たく、マリイが結婚について尋ねたときも、「おそらく君を愛してはいないだろう」と平気で答えている。
彼の言動はすべて薄情に見えかねない。
というよりも他者への関心が低く、受け身で、執着心がないのだろう。
だから愛憎に関する感情が理解できないのだ。
だが彼に人間らしい感情がないわけでもない。
養老院の風景を見て、「ママンを理解した」と感じる程度の共感能力は(それが正しい共感かはともかく)あるし、「ママンを愛していた」ともふり返っている。
「健康な人は誰でも、多少とも、愛する者の死を期待するものだ」という気持ちも(言ってはダメだが)、養老院のことを考えると理解できないわけではない。
加えて検事に憎まれていると感じて、泣きたい気持ちにもなっている。
死刑が間近に感じられるときはおびえを感じている。
しかしながら、そんなささやかな彼の感情は理解されることなく、「自己を示す権利」すらなく、死刑に追いやられていく。
社会は、社会の枠からはずれた彼をあくまで圧殺する。
だけどそんな彼は、自分をもっとも引き受けている人間だと思うのだ。
彼は確かに人から理解されず、おそらく人々に憎まれながら死んでいく。
しかしだからと言って、社会が生み出した、神や信仰やシステムが要求するお約束に逃げることはないのだ。
彼はあくまで、そこにある絶対的な死をしっかり認識し、それを引き受けて死んでいく。
彼は、コモンセンスの観点から見れば、社会からははずれた人間だろう。
しかし、それに頼ろうとしない彼は、頼らないゆえにもっとも強い人間でもあるのだと思う。
確かに世界は彼を圧殺するが、彼の魂は決して圧殺されえない。
そんなムルソーの強さに、深い感銘を覚える作品であった。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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