ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

勇気は自分を成長させるきっかけ

2017-05-10 16:10:54 | 知恵の情報
勇気とは自分を成長させるきっかけなのです。目前に迫ったこの一瞬を、すべて
チャンスとして自分の成長につなげていく力です。

勇気は、私たちが未知のことに出合ったときに求められます。どんな事態に直面
しても心を平静にして選択した行動は、それは華々しいものであろうと、目立たぬ
地味なものであろうと、まちがいなく自分を成長させてくれます。

もちろん人生は、華やかな挑戦の機会よりも、苦難や悲しみに耐えることを強いられる
機会のほうが多いものです。けれど、そのときも勇気は、いまを耐えることに立ち
向かう力を呼び起こしてくれます。

私が医学部1年の終わりに、まだ化学療法もなく、死病と恐れられた結核を患い、
絶対安静のなかで来る日も来る日も病が癒えるのを信じては裏切られていたあいだ、
私にその出口の見えない闘病に耐えていく勇気がはじめからあったとは言い切れ
ません。けれども、結果として8ヶ月に及んだ病に耐えた体験は、耐えることが、今を
むだにして生きているのではなく、むしろ全力でいまを生きることに通じるもので
あったことを教えてくれました。耐える力とは、希望を失わずいまを生きる力に
ほかなりません。

病の体験に鍛えられた私は、患者さんを回診するときには、どうしたら希望を
その方に与えることができるかを思います。「もっと食べなさい」とか、ただ
「辛抱しなさい」というアドバイスなら誰でもできますが、私が一番に伝えたい
のは、こうして病床に臥せていることが決して後ろめたく思うようなことではなく、
いまを耐えることこそ勇気ある行動だ、ということです。患者さんの心に、私は
希望を芽吹かせたいのです。

勇気をもって行動した結果は、それがたとえ失敗に終わっても、行動もせずに
ただ恐れているだけの自分と比べれば大きな前進です。そこには爽快感がある
はずです。たとえ新たな苦難を背負ったとしても、その苦難を背負えるだけの力が
ついています。潔くあきらめもできるはずです。勇気はいつでも、自分にうちかった
という勝利を連れてきてくれるのです。

私は90歳を超える歳になっても、未知のことに挑戦したくてしかたありません。
つい自分を試したくなって、65歳ではじめてジェットコースターに乗ったこともあり
ます。年寄りの冷や水と周囲からいなされながらも、私は心のなかで思わず
「やったぞ」とガッツポーズをとっていました。新たな挑戦への思いは歳をとって
衰えるどころかますます高まって、この1年あまりを振り返っても、病院の大事業
から、はじめての絵本翻訳やN響室内楽アンサンブルでタクトを振るというような
わくわくするものまで無数にありました。

どうかみなさんも私とともに、目の前の「いま」という一瞬を「いきいきと生きる」
勇気を最後までなくすことなく生きていこうではありませんか。

─『続 生き方上手』日野原重明 ユーリーグ株式会社より

分を超えぬ心がけ

2017-05-09 16:03:37 | 知恵の情報
三菱財閥の始祖岩崎弥太郎が、小樽の支店を巡視したときのことである。そこの
支店長は三年前に帝大を卒業後雇い入れた加藤という男で、彼は岩崎が三年前に
見たと同じ薄汚れた洋服を着て、まめまめしく働いている。岩崎はその仕事ぶりに
大いに感服し、持っていた金側の懐中時計を取り出して、「べつに土産とて持って
こなかったのでこれを進ぜよう」

と加藤に差し出した。加藤は恐縮して、いったんそれを受けておしいただいたが、
「まことにありがとうございます。しかし、ご覧のとおりの服装ですから、これに
金時計は不釣合いです。私が出世するまで、これはお預かりおきくださいますよう」
そういって加藤は金時計を岩崎へかえした。この態度に岩崎はすっかりほれ込んみ、
東京へ帰るやさっそく加藤を本店へ呼びもどし、イギリスへ留学させた。帰朝の
上は自分の娘と結婚させ、枢要な地位につけた。この加藤こそ、後に外務大臣と
して第一次大戦後の日本外交に重きを成した加藤高明その人である。

日本で指折りの富豪となった岩崎も、もとはといえば貧乏な土佐の下級氏族で
る。佐賀の乱に軍事輸送を引き受けて巨利を得たのが、成功へのきっかけ。
以後とんとんと調子よく事業を拡張したのであるが、この人の母親が偉かった。
息子が金持ちになるにつれて贅沢におぼれるのを強くいましめ、その手本として
屋敷内では自分が手作りにしたワラゾウリをはいた。昔の貧乏時代を忘れるな、
と身をもっての教訓である。

岩崎が大臣官邸や官庁へ出かけるとき、母堂(すどう)はどきどき自分のはく
ワラゾウリを出して、「今日はこれをはいて行きなさい」とさし出す。岩崎は素直に
礼装姿にそれをはいて平気で出かけた。この素直な孝心が彼の人柄でもあった。

─『一日一言 人生日記』古谷綱武 編 光文書院より

レトリック(言葉を有効に使うこと)のすすめ

2017-05-07 15:53:37 | 知恵の情報
◆論理を超えたところにあるレトリック
レトリックというと、修辞学です。修辞学というと、一般には、単なる言葉の遊びに
すぎないという誤解がありますが、実は人と人との関係を知的に構築する方法なの
です。

なぜ修辞学があるかというと、世の中には真理かどうかわからないこと、正しいとか
間違っているとか客観的にはっきりしないことがあって、それを相手に対して説得
する時には論理ではない修辞を使って納得させるしか方法がないからです。

例えば、平面上の直角三角形の斜辺の二乗は他の二辺の二乗の和に等しいという
ピタゴラスの定理は、議論の余地がありません。なぜなら、万人が認めざるを得ない
形で証明できるからです。

しかし、例えばトルストイとドストエフスキーはどちらが偉大であるかというようなものに
対しては、論じれば切がありません。このような時に修辞学が必要になってくるのです。

また、女性に向かって、男性が自分の長所を並べあげて、これこれしかじかであるから、
あなたは私を好きに成るべきだと言っても始まりません。好きにならせることができるか
どうかは、論理の問題ではなく、説得=修辞の問題なのです。
ところが得てして人は、説得が必要な時に、いたずらに論理の方法によろうとするのです。

北風と太陽の話ではないですが、相手の心を開かせるのは、北風で剥ぎ取るか太陽の
ポカポカでいくかですが、太陽のポカポカが修辞学なのです。

真理を主張するのであれば、証明してみせるだけでいいのですが、証明で白黒がつかぬ
ものは、修辞学の分野の説得によるしかないのです。

ローマ時代も、論理学の本の表紙には「げんこつ」が描いてあり、修辞学の表紙には
「開いた手のひら」が描いてありました。論理学は「げんこつ」のように相手を有無を
言わせず屈服させるハードな方法であり、修辞学は手のひらで相手をさすりながら
納得させるソフトな方法であったようです。もちろん学問である以上、ともに暴力に
よるものではなく、知的な技術によるものです。

◆レトリックにおける三つの原則
この説得に関して、まず基本的な三つの原則があります。

第一の原則は、自分が説こうと思っていることに確信を持つことです。自分の方が正しい
と思っていなければ、何をどうやっても、説得に迫力が欠けてしまいます。
第二の原則は、客観的に証明できるものは争わずに利用し、客観的に証明できないことに
ついては、相手を納得させようとしているのだという自覚をたえず抱き続けることです。
第三の原則は、比喩を使うことです。これはイメージの伝達には欠かせぬ有効な手段で、
相手に伝えるのは、言葉ではなく、あくまでもイメージでなくてはなりません。太陽の
ポカポカなのです。

こういった原則を守りながら相手を説得していくことが、知的生活の場だけに限らず、世の
中においてもっと求められていくようになるでしょう。

というのは、近代思考や論理の世界が弱まってきていますので、げんこつによる説得
では人は信用しなくなりつつあるからです。それに代わって台頭するのが、このレトリック
による説得だと思うのです。逆に言えば、レトリックによってダマされないことも、私たち
現代人には必要になってくると言えるでしょう。

─『渡部昇一の 人生観・歴史観を高める事典』(PHP研究所)より

■なんでも論理でいかなくてはだめだ、というのが現代の社会かもしれない。
ニュースをみていてもキャスターが論理的であろうとしているように見える。
自分の職場でも論理的になんでも処理しようとする人がいた。たしかに説得力はあるが
論理的であれば、現実的に正しいとはならない・・・現実を見失って論理的に
はめ込もうとすることもある。現実は知っているのだが、それを瞬時にレトリックで
表現できたら、説得することは楽かもしれない・・・


修辞とは:言葉を有効に使って、うまく美しく表現すること。レトリック。「―法」



今日一日を精一杯、激しく生きる

2017-05-06 15:56:29 | 知恵の情報
一瞬が連なって一日となり、一年となり、一生となるのです。きのうと同じように過ごした
今日であっても、きのうはきのうの一度きり、今日も一度きりの今日なのです。これほど
かけがえのない今日を、失敗を恐れて無為に過ごすのは、あまりにもったいないでは
ありませんか。

宇宙に向かって飛び立つロケットが、機体を切り離すたびに軌道を変えるように、人生
の節目ごとに発想を変えて新しいことを始めてはどうでしょう。

すでに私の人生にも幾段もの節ができました。聖路加国際病院の再開発にあたって、
常識をくつがえす1200億円もの壮大な計画を立てた10年前も、思えば、ひとつの
転換点でした。無謀なチャレンジとの声もありましたが、いま、手にしている成果は
十分に大きいものがあります。

仕事の分野ばかりにとらわれることもありません。定年が間近、あるいは子育ても
一段落というのなら、見知らぬ世界に飛び込むには、まさに好機です。この先の時間
は自分のためにたっぷりと使えます。5年後10年後に思わぬ才能がひとつと言わず
花開くかもしれません。そんな機体に心躍らせながら、今日一日を精一杯、激しく
生きようではありませんか。

─『生き方上手』日野原重明 いきいき株式会社

人間の深さ

2017-05-05 16:00:04 | 人生の生き方
人間の深さ、またほかのひとがどんなに「高下駄をはいても」(ギリシャの俳優は背を
高く見せるために高下駄をはいた)真似のできない、あの独特な人間の大きさは、
不幸を立派に堪え通した場合にだけ出てくるのだ。「患難をも喜ぶ」(ローマ人への
手紙五の三)という使途パウロのことばは、不幸のうちにはどのような力がかくれて
いるか、どのように深く内面的な幸福がかくれているかを、自分で経験しなかった
人には、その本当の意味は絶対にわかりようがない。その幸福は、生涯に一度でも
本当に感じたら、絶対に忘れられないものなのだ。
(『幸福論』第一巻「人間とは何を意味するか」より)

─『希望と幸福 ヒルティの言葉』 秋山英夫訳編 現代教養文庫
  社会思想社

真剣に生きてきた人の証は、善に対する愛と、人間のまことです

2017-05-04 16:40:19 | 知恵の情報
人生が明らかにその終わりに傾いている今、(この文章がおさめられている
「新書簡集」はヒルティの死の三年前に公刊された)わたしには、たといそれが
どのような種類の享楽であろうと、この世の美であろうと、名誉であろうと、芸術・
学問・教養であろうと、いやそればかりか全存在活動や目的でさえも、この人生
が持っているありとあらゆるいわゆる宝や価値が、いかに重要でないものであり、
従ってどちらかといえば真剣に追求するには値しないものに思われるかという
ことを、わたしはあなたに十分お伝えすることはできません。

ただ一つの例外は、善に対する愛と、人間のまことです。

一切の地上のものが夢に沈む前に、人生の最後の自覚的瞬間に、「なんといっても
わたしは結局、善を愛し、悪を軽蔑してきた。そしてわたしに与えられた善良な人々
にまことをつくしてきた」と考えることのできる人だけが、真実に生きてきた人なの
です。そのような人だけが過ぎ去った跡を省みて、どのような未来へ向かってでも、
たとい──そういうことがありうるとすれば──未来なき未来へ向かってすらも、
心やすらかに赴くことができるのです。(新書簡 キリスト教)

─『希望と幸福 ヒルティの言葉』 秋山英夫訳編 現代教養文庫
  社会思想社

人類全体が受け止めるべき銀河同盟代表のメッセージ

2017-05-03 17:26:08 | 異星人情報
銀河同盟の代表者にA・ミータという人物がいます。
ここで少し、ミータの言葉を紹介します。非常に大切なメッセージです。

「地球人類と直接対話しようとする私たちの試みは、地球に送り込んだスタップたち
への数多くの暴力や拷問にさらされてきました。地球を守ろうとする私たちの介入は、
四カ国(アメリカ、ロシア、中国、EU)によって妨害され続け、いまだ好意的に受け
入れられていません。

この四カ国との合意が得られなければ、地球に対する一切の支援から手を引く
可能性が高いと、現時点では言わざるを得ません。なぜなら、まだ発展途中段階
にある惑星種族が選んだ政府やリーダーに、ある一定の敬意を払わなければ
ならないことは宇宙ルールだからです。

そうは言うものの、地球の安全と成長と幸福は、傲慢とエゴに満ちた者には任せ
られません。そんな暴走は宇宙全体が迷惑する結果を招くだけだからです。

だから、私たちは、これ以上のコンタクトを行わず、情報提供もやめ、私たちの
ルール下で努力することに方針変更します。実行面ではゼータ種族がその役割
を担います。

これまで銀河同盟は、人類との約束通りにエネルギーシステムを提供し、空を
覆うほど飛来している宇宙船は地上の人間に見えないようシールドを張り、宇宙
種族の遺伝子サンプルやエネルギー標識を識別するサンプル、さらには地球に
転生している人類の情報を多数提供してきました。私たちは多次元的な存在
であり、事象や時間を自由に操作することができます。

しかしながら事情がかなり変わっています。私たちは来るべき時のために、私
たちのやり方で人類を救うことにします。」


何だか切なくなるようなメッセージですが、仕方ありませんね。
私たち地球人がまずやるべきことは、地球外に無数の宇宙人がいて、人類の
学びを応援してくれている事実をはっきりと認識することだと思います。

─『ついに宇宙人が最終戦争後のシナリオを用意しました』田村珠芳 徳間書店


■このメッセージは、真実のものか・・・
内容で判断する。その内容が自分たち地球人が客観的に考えて、同じ意見に
達するかどうか・・・である。
クリントンが大統領になったらUFO情報を開示するといわれていた。アメリカには
もうひとつの権力があるといい、それが異星人とにおわせてそれを発表するようだった
が、トランプになってから、その種の記者がUFO情報の開示をトランプに聞いたが
返事はなかったようだ。


しあわせは目的ではなく、結果でしかない

2017-05-02 18:58:18 | 知恵の情報
はたして幸福とはなんでしょうか。
そこで思い出すのは、高校生のときに読んだスイスの哲学者カール・ヒルティ(1833~
1909)の『眠られぬ夜のために』の一節です。彼はこう言っています。
「人生の幸福は、困難に出合うこtが少ないとか、まったくないとかいうことにあるのではなく、
むしろあらゆる困難と戦って輝かしい勝利をおさめることにある」と。

若いころの私は、このことばに何度も励まされ支えられました。まるで自分に投げかけ
られたことばのように感じていたのです。
けれど、あれから年を重ねた私は、いまの私にもっとしっくりなじむことばに出合いました。
その著書『夜と霧』にアウシュビッツ強制収用所での日々をつづった、ユダヤ系オーストりア人
の精神医学者ヴィクトール・E・フランクル(1905~97)のことばです。
彼はヒルティよりずっと控えめです。
「しあわせはけっして目標ではないし、目標であってもならないし、さらに目標であることも
できません。それは結果にすぎないのです」と。

幸福は、求めて得られるようなものではない。結果として与えられるにすぎない、と言って
いるのです。生き方や習慣は意思によって獲得できますが、幸福はそうはいかない。
あくまでも心の状態を言うのです。それも、瞬間的な快楽や、若い男女の恋愛における
幸福感のようなものではなく、むしろ、もっと持続した心の平安こそがその本質である
ような気がします。

小学5年生のときに『青い鳥』のチルチルを演じて、いまだに台詞のひとかけらをそらんじ
ている私は、当時から「しあわせは外にではなく、心の内にある」という、この戯曲の
主題を理解しようと努めてきましたが、いまにいたってなるほどと深く合点するのです。

─『生き方上手』日野原重明 いきいき株式会社

■ようやくつながりました。プロバイダーの違うところへのつながりが悪く
だいぶ時間がかかりました。また、よく生きるための情報を集めてみたいと思います。
読んでいただいている方で興味があれば読んでみてください。