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本当に科学を弾圧したのは何か?

2017-05-25 17:45:26 | 科学
「近代科学」はドロドロした神秘主義の真っ只中から産声をあげました。当初は
「近代科学」と神秘主義の境界はなく、ともに絶対的な権力を握っていた教会
から見れば弾圧の対象であり、それに対して、ともに激しく闘ってきたわけです。

ニュートン以後は実験と観察に基づく近代科学的な方法論が定着し、あれほど
頑迷だったキリスト教的「宇宙モデル」も、次々に覆されていきました。それにともない、
教会の権威は失墜し、十八世紀のおわりのころにはさしもの「異端審問」も
「魔女狩り」も見られなくなりました。

・・・・・・これを歴史では、中世の終わり、近代の始まり、と位置づけております・・・・・

「科学対宗教の闘い」は、その変革を彩るひとつのエピソードだったのでしょう。
これにより、社会の規範は「宗教」から「科学的合理主義」にバトンタッチされたわけ
です。科学はますます発展し、社会における宗教の守備範囲は、著しく狭くなって
いまいました。「科学的合理主義」は、やがて古代ギリシャ的な神秘主義と訣別
して今日にいたっております。

また、一般にはこれが、"社会の進歩”だと考えられております。たしかに、異端
審問や拷問や火刑を歓迎する人はいないでしょう。言論や思想や信教の自由が
いかに大切かは、それを失ったことのない今日の人々にはなかなか実感が湧かない
かもしれません。

しかしながら、その反面「科学的合理主義」が規範となった社会では、人間の
「精神性」の重要さの認識が希薄になっていったことも否定できません。
「金」と「物」と「法律」と「論理」でもって社会が動くとすると、そこには「精神性」
の入り込む余地は少なくなってしまいます。

もっとも、中世の暗黒時代を支配していたキリスト教団の「精神性」が高かったとは、
とえもいえないでしょう。もし高かったとしたら、「異端審問」も、「魔女狩り」も「科学対
宗教の闘い」も起きなかったでしょう。

教会や聖職者たちが「権力欲」「物欲」「金欲」「性欲」に狂い、レベルの低い神学者
たちが怪しげな「論理」を駆使して「法」を作り、「宇宙モデル」を捏造したからこそ、
悲劇が起きたわけですから。

──「科学対宗教の闘い」で、「科学」が闘った本当の相手は、何だったのでしょうか?
宗教の仮面をつけていますが、実は「本物の宗教」からもっとも遠いもの、が相手だった
のかもしれません。仏教の言葉を借りると、その実体は「科学対煩悩の闘い」と
言い換えてもいいでしょう──

─『ここまで来た「あの世」の科学 魂、輪廻転生、宇宙のしくみを解明する』
  天外伺郎著 祥伝社 NoN bookより

●煩悩:迷いを言う。肉体煩悩とは肉体にまつわるさまざまな迷いであって、地位、
名誉、金、その他もろもろの執着からくる、肉体を主体とした、ものの考え方を言う。