ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

人の生涯に憂い(心配や気がかり)

2017-05-18 17:42:47 | 知恵の情報
人の生涯に憂いの伴わないことはありえない。憂いと共にありながら、それどころか
往々に幾多の憂いをもちながら、しかも憂いなしに生活して行くこと、これこそわれわれ
の修得すべき生活の技術なのだ。

第一の理由は、傲慢・軽薄にならないために、である。憂いは、時計の進行を正しく
調節する振り子みたいなものなのだ。

第二の理由は、他人に対して同情の心を持つことができるために、である。あまりに
裕福で普通の心配事のないような人は、とかく利己主義(エゴイスト)になる。こういう
連中は、心配事で顔も蒼ざめているような人を見ても、もはや同情もせず、なにか
不当な存在、自分たちののんびりした快適さを邪魔するものぐらいにしか感ぜず、
それどころか、かえって心からそういう人たちを憎むようなことにもなりかねないのだ。

最後に第三の理由として、憂いこそ、われわれに神を信じて、その助けを求めることを
力強く教えてくれるからである。なぜなら、われわれの願いを聞き入れて、その結果
われわれを憂いから解放することこそ、唯一の確実な神の証明であり、キリスト教の
真理であることを実際に証拠だてるものだからだ。
それゆえ、悪い日がかえってよいのだ。もし悪い日がなかったら、たいがいの人は
決してまじめな考えに行きつくことはないであろう。(『幸福論』第二巻「罪と憂い」より)

─『希望と幸福 ヒルティの言葉』 秋山英夫訳編 現代教養文庫
  社会思想社

■なにごとも経験を持ってそれに打ち勝つ勇気が大事だと思う。人間の弱さを自覚して
いない人間は、人の痛みを理解できない。憂いはその一つだ。弱さを自覚して、勇気に
よって弱い自分を立て直していく・・・それしかない。