はたして幸福とはなんでしょうか。
そこで思い出すのは、高校生のときに読んだスイスの哲学者カール・ヒルティ(1833~
1909)の『眠られぬ夜のために』の一節です。彼はこう言っています。
「人生の幸福は、困難に出合うこtが少ないとか、まったくないとかいうことにあるのではなく、
むしろあらゆる困難と戦って輝かしい勝利をおさめることにある」と。
若いころの私は、このことばに何度も励まされ支えられました。まるで自分に投げかけ
られたことばのように感じていたのです。
けれど、あれから年を重ねた私は、いまの私にもっとしっくりなじむことばに出合いました。
その著書『夜と霧』にアウシュビッツ強制収用所での日々をつづった、ユダヤ系オーストりア人
の精神医学者ヴィクトール・E・フランクル(1905~97)のことばです。
彼はヒルティよりずっと控えめです。
「しあわせはけっして目標ではないし、目標であってもならないし、さらに目標であることも
できません。それは結果にすぎないのです」と。
幸福は、求めて得られるようなものではない。結果として与えられるにすぎない、と言って
いるのです。生き方や習慣は意思によって獲得できますが、幸福はそうはいかない。
あくまでも心の状態を言うのです。それも、瞬間的な快楽や、若い男女の恋愛における
幸福感のようなものではなく、むしろ、もっと持続した心の平安こそがその本質である
ような気がします。
小学5年生のときに『青い鳥』のチルチルを演じて、いまだに台詞のひとかけらをそらんじ
ている私は、当時から「しあわせは外にではなく、心の内にある」という、この戯曲の
主題を理解しようと努めてきましたが、いまにいたってなるほどと深く合点するのです。
─『生き方上手』日野原重明 いきいき株式会社
■ようやくつながりました。プロバイダーの違うところへのつながりが悪く
だいぶ時間がかかりました。また、よく生きるための情報を集めてみたいと思います。
読んでいただいている方で興味があれば読んでみてください。
そこで思い出すのは、高校生のときに読んだスイスの哲学者カール・ヒルティ(1833~
1909)の『眠られぬ夜のために』の一節です。彼はこう言っています。
「人生の幸福は、困難に出合うこtが少ないとか、まったくないとかいうことにあるのではなく、
むしろあらゆる困難と戦って輝かしい勝利をおさめることにある」と。
若いころの私は、このことばに何度も励まされ支えられました。まるで自分に投げかけ
られたことばのように感じていたのです。
けれど、あれから年を重ねた私は、いまの私にもっとしっくりなじむことばに出合いました。
その著書『夜と霧』にアウシュビッツ強制収用所での日々をつづった、ユダヤ系オーストりア人
の精神医学者ヴィクトール・E・フランクル(1905~97)のことばです。
彼はヒルティよりずっと控えめです。
「しあわせはけっして目標ではないし、目標であってもならないし、さらに目標であることも
できません。それは結果にすぎないのです」と。
幸福は、求めて得られるようなものではない。結果として与えられるにすぎない、と言って
いるのです。生き方や習慣は意思によって獲得できますが、幸福はそうはいかない。
あくまでも心の状態を言うのです。それも、瞬間的な快楽や、若い男女の恋愛における
幸福感のようなものではなく、むしろ、もっと持続した心の平安こそがその本質である
ような気がします。
小学5年生のときに『青い鳥』のチルチルを演じて、いまだに台詞のひとかけらをそらんじ
ている私は、当時から「しあわせは外にではなく、心の内にある」という、この戯曲の
主題を理解しようと努めてきましたが、いまにいたってなるほどと深く合点するのです。
─『生き方上手』日野原重明 いきいき株式会社
■ようやくつながりました。プロバイダーの違うところへのつながりが悪く
だいぶ時間がかかりました。また、よく生きるための情報を集めてみたいと思います。
読んでいただいている方で興味があれば読んでみてください。
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