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慰安婦問題について、知らなければいけない事実がある。いつまでも被害者意識では、韓国人の 良識が疑われる

2017-05-12 17:35:36 | 社会
1 軍専用慰安所にいた慰安婦の総数は一万数千人。

2 民族別では慰安婦は、日本人が最多、比率は、 
  四(日本人)/三(現地人、)/二(朝鮮人)/一(その他)と推定する。
  日本人が四割を占めるのに、韓国ではそのことをまったく取り上げず無視しているようだ。
  (後記述の韓国の教科書参照)

3 軍を含み官憲の組織的な「強制連行」はなかった。

4 戦地慰安所の生活条件は平時の遊郭と同じレベルだった。

5 慰安婦の95%以上が生還した。ちなみに日赤従軍看護婦の死亡率は4.2%。

6 名のりでた慰安婦たちへの生活保護は、他の戦争犠牲者より手厚い。韓国では
  「五重取り」する例も出た。
                    (『慰安婦と戦場の性』 泰郁彦 新潮社 1999参照)

泰郁彦氏の調査資料研究の結果の事実である。─『昭和史20の争点』(泰郁彦著)より

まず、従軍慰安婦という呼び方がおかしなことになっている。
韓国では「挺身隊」と使っているが、大東亜戦争末期の労働奉仕団体の呼び名と「慰安婦」と
混同している。
挺身隊は、勤労挺身隊、農村挺身隊など数種あり、男女の区別なくつけられた名前で
従軍慰安婦を挺身隊とみなすことはできない。韓国では、売春婦という職業のニュアンス
を薄めてくれるから勝手に使っているようだ。
韓国の関係者たちも挺身隊と慰安婦は全く異なることを知っている。しかし、純潔イデオロギー
から、「慰安婦ハルモニ」と呼べなくて、侮辱と考え、「挺身隊ハルモニ」と呼んでいる。

1944年8月、朝鮮に女子挺身隊勤労令が下りたのは歴史的事実である。しかし、慰安婦
としてではない。挺身隊として朝鮮人に対して朝鮮総督府が強制動員したことは事実である。
韓国の団体は「挺身隊」と「慰安婦」を混同して使用することにより、無知な大衆に「慰安婦」も
強制動員されたにちがいないという推定を強要しているのである。
(金 完燮 김완섭、キム・ワンソプ記)

★  ★  ★  ★

■慰安婦は制度であり、その当時は、正統な軍の一部として機能していたのであって、
性奴隷という認識はなかったに違いない。オランダの飾り窓のように売春を正当とする時代
であったことを考えなければならない。現代は、その時代を振り返り、人権の立場から、その
意識も変わっている。現代から、昔の時代の体制などを悪だと決めるのは間違っていると
思う。

韓国の高等学校国定教科書は<日本軍慰安婦の実像>という題目で従軍慰安婦問題に
ついて記述しているが抜けていることがある。それは、慰安婦の四割は、前述のように日本人
だったにもかかわらず、その人権は全く無視している。日本人を除いて、アジア人が被害を
受けたとしているようだ。その記述を読んでいて情けなくなる。現実をきちっととらえていないのだ。
日本人も同じに扱われているのに自分たちだけが被害をこうむっていると思っているのが情けない。
日本人も日本政府の強制に被害を受けたのだ・・・

金 完燮(김완섭、キム・ワンソプ、1963年 - )氏は、『昭和史20の争点』(泰郁彦著)の中で
「証拠の有無を問わず、常識的に類推してみると、日本軍による慰安婦強制連行とは
話にもならないものである。なぜならば、軍部隊が多くの予算をかけて特殊慰安所を設置し、
軍人は高い料金を払ってここを利用したということ自体、外部に被害を与えないようにする
政策があったという証拠だからである。女子たちを強制的に捕らえて性奴隷とする軍隊ならば、
遠い朝鮮まで行って連行してくる理由はなかっただろう。そして、強制的に捕まえてきた
女子たちであるならば、料金を支払う必要もなかっただろう。」と説明される・・・

制度であるのに、韓国人が主張している点がやはり、被害者意識で、現実をとらえられていないのだと
思う。制度であっても慰安婦になるまでのあいだに、女衒にやくざが入り込んでいたり、斡旋に
おいて何らかの不備があり、ひどい目にあった方もいるかもしれない。しかし、軍用慰安所
へ来るまでの管理はできなかっただろう。不備はあるが、その後の管理で、奴隷として
扱ったのではないということだ。全体としてのとらえかたが、奴隷のような仕事、立場、そうせざる
得ない体制が奴隷と同じだ、と見るのかもしれない・・・しかし、それは、その時代の体制が人権の
とらえ方がちがっているのであり、現代にもってきて、それを罪とするのは現実をよく見ていないと
いわざるをえない・・・ 日本人の心ある人は韓国人の気持ちは充分承知している・・・

人間の人生のテーマは、共存共栄である。互いの命を助けるだけでなく、その繁栄もお互いに協力
する。そして、美しい姿というのは、朝鮮人の高史明(コ・サミョン)氏が『生きることの意味
 ある少年のおいたち』(ちくま文庫)で語っている、彼が半生でつかんだ「やさしさ」(相手を
思うこと)なのだと思う。
日本人を見境無く糾弾せず、日本以外の他の国の思惑のまま、スパイやマスコミの悪意に踊らさ
ることなく、他者への愛を育ててほしい。