ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

イエス・キリスト、ゴータマ・ブッダの伝えたかったこと

2016-03-23 18:50:58 | 日記
イエス、ブッダの教えは、宇宙の「法則」を悟ってそれを前提にして生き方を説いているように思います。
教えを考えていくことによって、その「法則」の重大性についてわかってくるように思うのです。
最近では、この「法則」と呼ぶものを「サムシング グレイト」と表す科学者がいます。
イエス、ブッダの考え方を倫理参考書を使って少し見てみましょう・・・


ゴータマ・ブッダ
ブッタの悟った真理=法は縁起の法であり、これは、一切皆苦、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静(ニルバーナ)と
いう四法印を根本的特徴とする。
悟りへの道として四諦、八正道が説かれる。
縁起についての無知が我執(一切の煩悩の根本)を生む。
さらにブッダは、生きとし生けるものすべて(一切衆生)に対する慈悲の心を説いて人間の理想の姿の実現に
努めた。

イエス・キリスト
神の愛は無差別・無償の愛とし、永遠の愛であるとした。
神は人間に対し、神への愛と隣人愛を命じたとする。
使途パウロは、イエスの贖罪によって原罪にけがされた人類は、救われたとし、律法の行いによってではなく、
信仰によって人は義とされると説く。


この両者は、ブッダ=客観的とらえ方、イエス=主観的とらえ方といえるように思います。
しかし、「人間のあり方」として、同じ方向を見ているのです。
仏教では、絶対者=宇宙の根源としています。イエスは、人格神を設定していますがそれは、仏教の
絶対者と同じです。

ここで、神=霊の問題が出てきます。霊の存在自体は、最近のいろいろな情報の事例を見れば
否定はできません。仮死状態での臨死体験など、実にリアルです。これを脳の物質による仮想のものだと
する人もいますが、それは、研究が足りません。最近では、脳のシルビウス溝に電気刺激を与えると
幽体離脱することが起こり、それをカナダの大学では、体験させることをしているところがあるそうです。
自分も高校生のときに幽体離脱の経験がありますから、肉体と魂が別にあり、つながっている感覚があります。
霊魂と体の二重の形で人間は存在しているのです。霊などの別次元の世界があるのではないかということは、
量子力学がでてから、科学者も探求しだしているものがいます。

イエスが高次の霊から指示を受けたことは、あると認めるとして、では、なにが大切かというと、
「人間のあり方」なのです。
どうあるべきか、
イエスは、
「人その友のために命を棄つること。これより大いなる愛はなし。
 たがいに僕となること。
 己のごとく汝の隣り人を愛せよ。」
と説きました。

ブッダは、
「自分の心のなかにある善の自分、それこそが人間の心のすべてであり、永遠不滅の生命の根本である。
 心が善我だけならば心は、すがすがしく浄化され、何の苦しみも起こらない。
 善我とは、他人のために尽くし、愛を分け与えるということである。」
と説きます。

両者を見て、考えてみると、「共存共栄」の法則が見えてくるのです。