ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

島崎藤村からのアドヴァイス

2016-03-21 16:51:19 | 日記
昨日は藤村の詩を紹介しましたが、こんなことを言っています。

「 すぐれた人の書いた文章は、それを黙読玩味するばかりでなく、
 ときには心ゆくばかり声をあげて読んでみたい。
  われわれはあまりに黙読になれすぎた。文章を音読することは、
 愛なくてはかなわぬことだ。島崎藤村」

詩を音読することは、気に入ったものだと楽しいものです。カラオケで
歌うことも楽しいでしょうが、自分の声で詩を声をだして音読すると
なんともいえない内容の実感が感じられてきます。
情緒を豊かに育てるのによいのではないかと思っています。
   
 それと、もう一つ面白いのは、
音読は、詩だけでなく、昔は、素読と言って、
「論語」などをはじめ四書五経などを日本では、音読で勉強しました。
実は、この音読は、脳科学が研究されてきて、脳の中の写真記憶と
つながっていて、繰り返しやっていると、記憶力があがるらしいという
ことが言われています。覚えた内容は、記憶の深いところに
(海馬よりもっと深い間脳)記憶されるようです。
耳から入った繰り返される記憶が記憶力を高めるらしいのです。

真言を100万遍唱えるという只管暗唱法によって能力を開いた人物に
空海、弘法大師がいる。
また、明治、大正のころ、千葉県に山崎弁栄(べんね)という上人が
いて、本をぱらぱらと二度三度めくっただけで、その内容をすべて理解し、
記憶した人として有名だそうです。この方も二十一、二歳のころ朝から晩まで
念仏三昧に明け暮れたためで、情報がスッと取れ、イメージで再現できるという
能力をみにつけこの働きは、右脳の回路を開いていたためだといわれています。
これは、七田眞氏の本でよく紹介されています。

最近の教育は、理解しなくては、何回唱えて暗記しても無駄だ、という考え方
がありますが、私は、そうは思いません。
理解できていなくても覚えていたことが後で経験とつながって理解ができるという
ことがあります。それに、何度も繰り返して脳に入れる方法が記憶力をあげるのですから、
気に入った詩を何べんも音読して楽しみながら、やってみるべきです。
情緒を豊かにして、記憶力もあげられるのですから、一石二鳥です。