「カレーって和食?ラーメンは?」そんな記事が朝日新聞の2月13日記事に載りました。その記事によれば、観光庁が2018年、訪日外国人客に満足した食品を聞いたところ、1位が肉料理、2位がラーメンだったとのこと。ラーメンは中華料理か和食か、実に悩みます。日本経済新聞の5月10日「文化時評」欄記事はさらに一歩踏み込んでいます。
以下、その記事を引用します。
~和食文化学会会長を務める佐藤洋一郎京都府立大特別専任教授は「食文化は変容するから、和食を無理に定義したら陳腐化する。海外の変わったすしを見て、『こんなのすしじゃない』と言っても、30年後には『これもすし』になっているかもしれない」と話す。~
この説明はすごくわかりみが深いのでタミアも納得します。1980年代にカリフォルニアロールやサーモンの寿司がアメリカで人気になって日本にも紹介された時、大人達が「こんなの寿司じゃない。」と絶句していたのを覚えているからです。今、サーモン寿司は当たり前のメニューですよね。
このように、和食というのは年と場所で移ろうから定義が難しいのです。和食について誰にでも当てはまるような定義は不可能。だから和食を語る時は「私が言う和食は、このようなイメージです。」と説明して、ボタンの掛け違いを回避するのが大事ですね。
佐藤教授の発言は事実上「和食の基本は一汁三菜」という言葉の否定です。なんせ、このキャッチフレーズ、和食がユネスコの無形文化遺産に登録された2013年12月時点では文書のどこにも書いてないのです。
このフレーズは2015年のミラノ万博の日本館のキーワードで、その頃に急に広まりました。一部の学者は、「一汁三菜を実施できるほど経済的に豊かだった時代は1970年代後半からの短期間のみ」「というか専業主婦が一番多かったこの時代でさえも、多くの家庭は一汁二菜」等、いろいろ指摘していますので、このブログの過去記事をごらんください。関係があるのかどうかは分かりませんが、ミラノ万博のプロデューサーは電通です。
「和食の基本は一汁三菜だ」 というキャッチフレーズは、謎マナー講師には気持ちが良いけど、そばやうどんや寿司や地方文化には失礼です。謎マナー講師とは、「そんなマナーって存在してたっけ?」なマナーを創作・指南してる人たち。江戸しぐさがよい例ですね。
そのようなわけで、和食研究で有名な熊倉功夫先生が書いたNHKテキスト「こころを読む 和食という文化」も、「一汁三菜」の解説がぐらぐらと揺らいでいます。
このブログで以前(2016年4月)にも紹介しましたが、熊倉先生は産経ニュース2014年1月6日で「和食の基本が一汁三菜」と示す古い文献が一つもないことを指摘しています。2014年3月5日付けのALICの消費者コーナー「トップインタビュー」においても、熊倉先生は「お菜が三つでなければならぬと思われては困ります。汁とご飯とお菜と漬け物という四つの要素からできているのが和食の基本」と指摘しています。
つまり熊倉先生は、和食ユネスコ登録直後に何者かが「和食の基本は一汁三菜」と話し始めたのを知って警戒したから、即座に2つのメディア上で一汁三菜説を否定したわけ。
それなのに熊倉先生は、2020年1月1日発行「こころを読む 和食という文化」で、平安時代の「病草紙」という病気カタログの挿絵で歯周病の男性の前におかずが3つ置いてある、というたった1つの情報を根拠に「平安時代の末には家庭料理の定型として一汁三菜が成立していたのです。」(27-28頁)、と断定してしまってます。このブログでも以前に書きましたが、その絵巻は病気カタログ集で、病気の苦しみを表現するのが目的なので、歯周病の苦しみを強調するためにおかずの品数を増やして描いている可能性が高いから、食文化史の資料としては信頼性が低いんです。
しかも熊倉先生は「一汁三菜が成立していたのです。」と断定する文章の直後(28頁)で、おかずが3つあるのは上層の庶民か特別なごちそうの時だから、「極端な場合、庶民は汁と漬物だけでした。」と書いています。ということは、家庭料理の定型として一汁三菜が成立していたという前段の文章は言い過ぎだと認めているのです。
先生もなんども言葉を翻すところをみると、よほど苦悩されて文章を書かれているのだろうと推察します。いったいだれがどのような理由で、先生になんども前言を撤回させているのでしょう。胸が痛みます。
以下、その記事を引用します。
~和食文化学会会長を務める佐藤洋一郎京都府立大特別専任教授は「食文化は変容するから、和食を無理に定義したら陳腐化する。海外の変わったすしを見て、『こんなのすしじゃない』と言っても、30年後には『これもすし』になっているかもしれない」と話す。~
この説明はすごくわかりみが深いのでタミアも納得します。1980年代にカリフォルニアロールやサーモンの寿司がアメリカで人気になって日本にも紹介された時、大人達が「こんなの寿司じゃない。」と絶句していたのを覚えているからです。今、サーモン寿司は当たり前のメニューですよね。
このように、和食というのは年と場所で移ろうから定義が難しいのです。和食について誰にでも当てはまるような定義は不可能。だから和食を語る時は「私が言う和食は、このようなイメージです。」と説明して、ボタンの掛け違いを回避するのが大事ですね。
佐藤教授の発言は事実上「和食の基本は一汁三菜」という言葉の否定です。なんせ、このキャッチフレーズ、和食がユネスコの無形文化遺産に登録された2013年12月時点では文書のどこにも書いてないのです。
このフレーズは2015年のミラノ万博の日本館のキーワードで、その頃に急に広まりました。一部の学者は、「一汁三菜を実施できるほど経済的に豊かだった時代は1970年代後半からの短期間のみ」「というか専業主婦が一番多かったこの時代でさえも、多くの家庭は一汁二菜」等、いろいろ指摘していますので、このブログの過去記事をごらんください。関係があるのかどうかは分かりませんが、ミラノ万博のプロデューサーは電通です。
「和食の基本は一汁三菜だ」 というキャッチフレーズは、謎マナー講師には気持ちが良いけど、そばやうどんや寿司や地方文化には失礼です。謎マナー講師とは、「そんなマナーって存在してたっけ?」なマナーを創作・指南してる人たち。江戸しぐさがよい例ですね。
そのようなわけで、和食研究で有名な熊倉功夫先生が書いたNHKテキスト「こころを読む 和食という文化」も、「一汁三菜」の解説がぐらぐらと揺らいでいます。
このブログで以前(2016年4月)にも紹介しましたが、熊倉先生は産経ニュース2014年1月6日で「和食の基本が一汁三菜」と示す古い文献が一つもないことを指摘しています。2014年3月5日付けのALICの消費者コーナー「トップインタビュー」においても、熊倉先生は「お菜が三つでなければならぬと思われては困ります。汁とご飯とお菜と漬け物という四つの要素からできているのが和食の基本」と指摘しています。
つまり熊倉先生は、和食ユネスコ登録直後に何者かが「和食の基本は一汁三菜」と話し始めたのを知って警戒したから、即座に2つのメディア上で一汁三菜説を否定したわけ。
それなのに熊倉先生は、2020年1月1日発行「こころを読む 和食という文化」で、平安時代の「病草紙」という病気カタログの挿絵で歯周病の男性の前におかずが3つ置いてある、というたった1つの情報を根拠に「平安時代の末には家庭料理の定型として一汁三菜が成立していたのです。」(27-28頁)、と断定してしまってます。このブログでも以前に書きましたが、その絵巻は病気カタログ集で、病気の苦しみを表現するのが目的なので、歯周病の苦しみを強調するためにおかずの品数を増やして描いている可能性が高いから、食文化史の資料としては信頼性が低いんです。
しかも熊倉先生は「一汁三菜が成立していたのです。」と断定する文章の直後(28頁)で、おかずが3つあるのは上層の庶民か特別なごちそうの時だから、「極端な場合、庶民は汁と漬物だけでした。」と書いています。ということは、家庭料理の定型として一汁三菜が成立していたという前段の文章は言い過ぎだと認めているのです。
先生もなんども言葉を翻すところをみると、よほど苦悩されて文章を書かれているのだろうと推察します。いったいだれがどのような理由で、先生になんども前言を撤回させているのでしょう。胸が痛みます。