先日、ある広告に「食の欧米化が原因で、日本人は雑穀を食べなくなりました。」というトンデモが書いてありました。現在70歳以上の人にそんな話をしたらきっと、「今の若い人は物知らずだね~。」と大笑いされてしまいそうな話です。
実は、日本人が雑穀を食べなくなった最大の理由は、白米食が広まったためです。
その理由を時代を順に追って説明します。
まず元禄時代以降を例に挙げると、江戸の町人やお公家さんや富豪などが白米を食べていたのに対し、地方の農民等は少量の米に大量のアワ、ヒエ、キビ、大麦そのほか大根などの野菜を混ぜたりして食べていました。変な話ですが、そのおかげで農民は食物繊維を取れていたという訳ですが。
明治時代以降、政府は農村で「軍隊に入れば白米を食べられるぞ♪」と勧誘しました。若者達が入隊して白米を食べたら、確かに大変美味しい。それで、何かの折に帰郷した彼らが「白米は美味しいぞ」と広めたので、農村ではますます白米へのあこがれが募りました。
しかし、稲作不可能な地域(例えば麦作地帯など)では、白米食など夢のまた夢。稲作地帯でも、税金を払うためや衣類・日用品・農具購入に必要な現金を得るために、収穫した米を売ると自家消費分に残るのはほんのわずか。結局雑穀などを主体とする食事のままでした。白いご飯が食べられたのはハレの日(お祝いの日のことです。)ぐらいだった地域が多かったそうです。
それが第二次世界大戦中になって話が変わるのです。昭和17年、東条英機首相らは食糧不足問題への対応で、17年2月に「食管法」を定め、国民全員に米と麦を配給するようになりました。こうして、麦作地帯や貧農でも少量ながらお米を食べられる時代が到来したのです。
ただし東条首相らは「玄米を食べればおかずがほとんど要らなくなる。」と唱える二木謙三博士の玄米食運動に惚れ込んでしまい、11月には日本国民は玄米を主食としなければならぬ、と閣議で決定されてしまいます。つまり、ここにおいて法律にて明確に、雑穀は切り捨てられてしまったのです。
でも、配給された玄米のままでは味が悪いので、多くの人はこっそり精米して白米にして食べていたそうです。こうして白米のおいしさが全国に知られるようになりました。(一部地域では戦後になって白米の味が知られるようになった地域もあります。)
戦争末期から敗戦後は大凶作も相まって、激しい食糧不足が起こりましたが、その後社会が安定してくると、国民全体が「白いお米を!」「麦やアワやキビなどの混じってないお米を!」と強く求める様になりました。しかし凶作続きで農村ではまだ麦や雑穀などが頼りの暮らしが続きました。
昭和30年以降、天候が良かったり、社会が安定して用水路や水田が整備され、田んぼが増えて、お米が豊作となりました。配給制度は続いていましたが、一人あたり供給量は増加し、国民が等しく白いお米を沢山食べられるようになりました。その消費のされ方は、戦前からのあこがれの都会式の伝統的和食の食べ方、つまり「大量のお米を少量の塩辛い漬け物と、少量のおかずと汁で食べる」または「お茶漬け」という食べ方です。
このように、都会式の伝統的和食が広まった結果、雑穀飯はすっかり駆逐されてしまったのです。農村出身のご年配の方々にお話を伺うと、「昔は麦飯とかばかりだったが、昭和30年代に都会に出たら白米に味噌汁に漬け物に小魚、という田舎では考えられないすごいごちそうが毎日食べられて。・・それが気がついたら、当たり前の食事に変化したんだなあ。」と懐かしそうに話をされていました。
最近なんでもかんでも「食の欧米化が原因で悪いことが起こった」と唱える説が広まっているようです。こういうことばっかり唱えているのは、無知の印で恥ずかしいことだと思います。「食の欧米化が悪い」というキャッチフレーズを聴いたら、トンデモ説の前振りと思って気をつけて聞いた方がいいですよ。
実は、日本人が雑穀を食べなくなった最大の理由は、白米食が広まったためです。
その理由を時代を順に追って説明します。
まず元禄時代以降を例に挙げると、江戸の町人やお公家さんや富豪などが白米を食べていたのに対し、地方の農民等は少量の米に大量のアワ、ヒエ、キビ、大麦そのほか大根などの野菜を混ぜたりして食べていました。変な話ですが、そのおかげで農民は食物繊維を取れていたという訳ですが。
明治時代以降、政府は農村で「軍隊に入れば白米を食べられるぞ♪」と勧誘しました。若者達が入隊して白米を食べたら、確かに大変美味しい。それで、何かの折に帰郷した彼らが「白米は美味しいぞ」と広めたので、農村ではますます白米へのあこがれが募りました。
しかし、稲作不可能な地域(例えば麦作地帯など)では、白米食など夢のまた夢。稲作地帯でも、税金を払うためや衣類・日用品・農具購入に必要な現金を得るために、収穫した米を売ると自家消費分に残るのはほんのわずか。結局雑穀などを主体とする食事のままでした。白いご飯が食べられたのはハレの日(お祝いの日のことです。)ぐらいだった地域が多かったそうです。
それが第二次世界大戦中になって話が変わるのです。昭和17年、東条英機首相らは食糧不足問題への対応で、17年2月に「食管法」を定め、国民全員に米と麦を配給するようになりました。こうして、麦作地帯や貧農でも少量ながらお米を食べられる時代が到来したのです。
ただし東条首相らは「玄米を食べればおかずがほとんど要らなくなる。」と唱える二木謙三博士の玄米食運動に惚れ込んでしまい、11月には日本国民は玄米を主食としなければならぬ、と閣議で決定されてしまいます。つまり、ここにおいて法律にて明確に、雑穀は切り捨てられてしまったのです。
でも、配給された玄米のままでは味が悪いので、多くの人はこっそり精米して白米にして食べていたそうです。こうして白米のおいしさが全国に知られるようになりました。(一部地域では戦後になって白米の味が知られるようになった地域もあります。)
戦争末期から敗戦後は大凶作も相まって、激しい食糧不足が起こりましたが、その後社会が安定してくると、国民全体が「白いお米を!」「麦やアワやキビなどの混じってないお米を!」と強く求める様になりました。しかし凶作続きで農村ではまだ麦や雑穀などが頼りの暮らしが続きました。
昭和30年以降、天候が良かったり、社会が安定して用水路や水田が整備され、田んぼが増えて、お米が豊作となりました。配給制度は続いていましたが、一人あたり供給量は増加し、国民が等しく白いお米を沢山食べられるようになりました。その消費のされ方は、戦前からのあこがれの都会式の伝統的和食の食べ方、つまり「大量のお米を少量の塩辛い漬け物と、少量のおかずと汁で食べる」または「お茶漬け」という食べ方です。
このように、都会式の伝統的和食が広まった結果、雑穀飯はすっかり駆逐されてしまったのです。農村出身のご年配の方々にお話を伺うと、「昔は麦飯とかばかりだったが、昭和30年代に都会に出たら白米に味噌汁に漬け物に小魚、という田舎では考えられないすごいごちそうが毎日食べられて。・・それが気がついたら、当たり前の食事に変化したんだなあ。」と懐かしそうに話をされていました。
最近なんでもかんでも「食の欧米化が原因で悪いことが起こった」と唱える説が広まっているようです。こういうことばっかり唱えているのは、無知の印で恥ずかしいことだと思います。「食の欧米化が悪い」というキャッチフレーズを聴いたら、トンデモ説の前振りと思って気をつけて聞いた方がいいですよ。