前々回に続き、熊倉功先生の「和食という文化」(NHK出版)を読みます。
大正時代まで日本の食卓はそれぞれが各人の「箱膳」で食べる孤食でしたが、昭和初期にちゃぶ台が主流になり、昭和40年代半ばからはテーブルに置き換わりました。これは過去にこのブログでも紹介したお話です。
しかし、この本では以下のような興味深い内容になっています。ちゃぶ台がテーブルに置き換わったころの昭和40年代半ばから父親不在の食卓が広まりましたが、そのわけは、「企業戦士と期待された父親は夕食の時間までに家に帰れません。」だからです。確かにそうだなあと思います。
この時代変化を指して、熊倉先生は154頁でこう指摘しています。「低成長時代になっても父親は帰ってきません。つまりテーブルに移行することで、ちゃぶ台に象徴される日本の家庭像は崩壊が始まったのでしょう。」!? テーブルに移行したのが原因でお父さんの帰りが遅くなって家庭像が崩壊したって、なにかの勘違いですよ。先生も知っているでしょう?、お父さんの帰りが遅かったのは、高度経済成長期に日本企業がブラック化して、深夜まで接待や飲み会に付き合わされてたからですよ。
昭和48年のオイルショックで不況、低成長時代になると残業が増えて、企業はますますブラック化したんです。その後のバブル期は夜遅くまで接待で飲み歩くため帰りが遅く、バブル崩壊後の不況でブラック度が加速しました。テーブルを使うようになったからブラック企業が増えた訳ではありません。「テーブルに移行することで企業がブラック化して、ちゃぶ台に象徴される日本の家庭像は崩壊が始まった」というなら、「白黒テレビがカラーテレビになったから企業がブラック化した。」ということさえ可能になってしまうから、それは止めたほうがいいですよ。
テーブルに移行した時代について、熊倉先生は「テレビも加わり、ながら食べが日常となりました。」とも描写しています。そう、昭和40年代に、「お父さんがガミガミ言うのが当たり前」という、怖い食事の時代は終わりました。軽いちゃぶ台から重いテーブルに変化した恩恵で、民放アニメ「巨人の星」(昭和43-46年)のようにちゃぶ台をひっくり返すのは不可能になりました(※)。ただし、当時は、地方山間部など民放の電波が届かないエリアも多かったため、NHKを見ている人数の方が多かった・・・。
というわけで今回の結論。昭和40年代に、巨人の星のちゃぶ台に象徴される恐怖と圧政の家庭像は崩壊し、テーブルに象徴されるNHKを見ながら和やかな会話を楽しむ楽しい食卓が形成されたのです。
※ネット上では「巨人の星でちゃぶ台返しシーンはない。」「いや、確かにアニメの中で、お父さんが意識的にちゃぶ台を手に持ってひっくり返す場面がある。」等、様々な情報が流れています。どれが真実かは分かりませんでしたが、昭和の終わりに「巨人の星=ちゃぶ台をひっくり返す番組。」というイメージが成立していたのは事実です。