(16時58分に投稿しましたが、わかりにくい説明部分があったので18時48分に修正しました。)
一汁三菜が和食の基本だという説は、2012年頃までに学校教育を終えた人は習っていません。なぜなら、一汁三菜が和食の基本であるという説は、2013年以降に突然日本全国に広められたからです。
あの熊倉功夫先生でさえ、2012年3月に農水省が配布した「和食―日本人の伝統的な食文化-」というテキストの「日本の伝統的食文化としての和食」のp6でこう言っています。
「和食では、いくつお菜を用意するのが一般的か、決めるのはむずかしいが、古くより一汁三菜といって、汁が一種にお菜が三種というもの言いがある。(飯と漬けものは必須でしかも数は一種に決まっているので、変化する汁と菜の数だけを表示する習慣である。)三菜でなくとも、二菜、一菜ということもあるし、ぜいたくな食事であれば五菜とか、極端な中世の本膳料理では七つの膳に二十三菜という食べきれないお菜が並べられた例もある。逆に極端に質素な場合、無菜ということもある。飯と汁と漬けものだけ、という粗食の例もかつてはいろいろなところにあった。つまり和食の一つの特徴は要素だけそろえば、お菜の内容は自由度が高い。」
(下線はわたしが引きました)
要約すると、「和食のおかずの数は本来は決まっていない。一汁三菜という言い回しを和食の構成要素の説明に使うとわかりやすいが、実は一汁三菜が決まりではないので、昔は二菜や一菜やおかずのない粗食もいろいろなところにあった。」という意味です。
和食が一汁三菜だと誤解された理由は、いろいろあるんでしょうが、おそらくこの熊倉先生の2012年の文章が劣化した要素も大きいと考えます。なぜなら、この文章からほんの3年後にはなだれを打つように、新聞記事や家庭科教科書などで「和食の基本は一汁三菜」という文章が膨大な数で登場するようになったからです。国民にろくすっぽ根拠もないくせに「和食の基本」と教え込むことで、いまや和食は一汁三菜が「伝統」と誤解する人まで登場する始末です。
実は、情報のコピー劣化はブログやSNSが広まるより前から大量に出回っているのです。
例えば昭和31年の経済白書の「もはや戦後ではない」という有名な台詞は、「資源と人材を灰にする戦争が終わったんだから、経済回復したのは当然のことだ。そんな自然な経済回復期はそろそろ終わりなので、これからの経済回復は困難かも。」と心配する文脈でした。しかし前後の文章が切り取られて、高度経済成長を目指すかっこいい言葉として広まりました(論文はこちら。https://ci.nii.ac.jp/naid/120005607336 )。
白書の実物を読めば心配する文章だと分かるのに、当時の日本人は実物をチェックしないで噂話を信じていたのです。わたしも、子ども時代にこの誤情報を学校で習った世代です。
そんな誤った教育を受けたからこそ、一汁三菜を押しつける食育について心配しているのです。今の子どもたちがあと30年後に「なんでこんな誤った教育を信じてしまったのだろう。おかげで和食の歴史が台無しだ。」と泣いてしまうのが目に浮かびます。そんな未来にならないように、私たちは日本の文化を正確に次世代に伝えなければと思います。
熊倉先生が農水省で配布した文章がはっきり示す通り、「一汁三菜が和食の基本」はコピー劣化で生じた言葉です。耳に心地よい言葉に流されずよく確かめることは大事です。このブログは常にファクトチェックをして書いています。
一汁三菜が和食の基本だという説は、2012年頃までに学校教育を終えた人は習っていません。なぜなら、一汁三菜が和食の基本であるという説は、2013年以降に突然日本全国に広められたからです。
あの熊倉功夫先生でさえ、2012年3月に農水省が配布した「和食―日本人の伝統的な食文化-」というテキストの「日本の伝統的食文化としての和食」のp6でこう言っています。
「和食では、いくつお菜を用意するのが一般的か、決めるのはむずかしいが、古くより一汁三菜といって、汁が一種にお菜が三種というもの言いがある。(飯と漬けものは必須でしかも数は一種に決まっているので、変化する汁と菜の数だけを表示する習慣である。)三菜でなくとも、二菜、一菜ということもあるし、ぜいたくな食事であれば五菜とか、極端な中世の本膳料理では七つの膳に二十三菜という食べきれないお菜が並べられた例もある。逆に極端に質素な場合、無菜ということもある。飯と汁と漬けものだけ、という粗食の例もかつてはいろいろなところにあった。つまり和食の一つの特徴は要素だけそろえば、お菜の内容は自由度が高い。」
(下線はわたしが引きました)
要約すると、「和食のおかずの数は本来は決まっていない。一汁三菜という言い回しを和食の構成要素の説明に使うとわかりやすいが、実は一汁三菜が決まりではないので、昔は二菜や一菜やおかずのない粗食もいろいろなところにあった。」という意味です。
和食が一汁三菜だと誤解された理由は、いろいろあるんでしょうが、おそらくこの熊倉先生の2012年の文章が劣化した要素も大きいと考えます。なぜなら、この文章からほんの3年後にはなだれを打つように、新聞記事や家庭科教科書などで「和食の基本は一汁三菜」という文章が膨大な数で登場するようになったからです。国民にろくすっぽ根拠もないくせに「和食の基本」と教え込むことで、いまや和食は一汁三菜が「伝統」と誤解する人まで登場する始末です。
実は、情報のコピー劣化はブログやSNSが広まるより前から大量に出回っているのです。
例えば昭和31年の経済白書の「もはや戦後ではない」という有名な台詞は、「資源と人材を灰にする戦争が終わったんだから、経済回復したのは当然のことだ。そんな自然な経済回復期はそろそろ終わりなので、これからの経済回復は困難かも。」と心配する文脈でした。しかし前後の文章が切り取られて、高度経済成長を目指すかっこいい言葉として広まりました(論文はこちら。https://ci.nii.ac.jp/naid/120005607336 )。
白書の実物を読めば心配する文章だと分かるのに、当時の日本人は実物をチェックしないで噂話を信じていたのです。わたしも、子ども時代にこの誤情報を学校で習った世代です。
そんな誤った教育を受けたからこそ、一汁三菜を押しつける食育について心配しているのです。今の子どもたちがあと30年後に「なんでこんな誤った教育を信じてしまったのだろう。おかげで和食の歴史が台無しだ。」と泣いてしまうのが目に浮かびます。そんな未来にならないように、私たちは日本の文化を正確に次世代に伝えなければと思います。
熊倉先生が農水省で配布した文章がはっきり示す通り、「一汁三菜が和食の基本」はコピー劣化で生じた言葉です。耳に心地よい言葉に流されずよく確かめることは大事です。このブログは常にファクトチェックをして書いています。