タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

11月24日は和食の日。和食の心とは?

2016年11月21日 | Weblog
11月24日は国が定めた「和食の日」です。では、和食を後世に伝えるに当たって大事なことは何だろうか、と考察しました。

まず、このブログで繰り返しお伝えしてきたことですが(まだ読んでない方は過去のブログもぜひ読んでくださいね。)、和食は時代と地域と社会階級によってずいぶんと異なるものです。江戸時代から白米を大量に食べられたご先祖も居れば、雑穀中心の食事だったご先祖も居ます。だから、「これが和食だ!」という簡単な説明や模型を提示できないのです。

次に、人によって和食の定義があまりにも違いすぎる、という問題があります。ラーメンやとんかつも和食ですし、中華レストランを和食レストランに計上している統計データがあることも過去にこのブログで紹介しました。

「和食の定義に悩むなら、ユネスコに登録された時の定義に沿えばいいんじゃないか?例えば、旬を大切にすることなどが書いてあるよ。」と考える人もきっと居ることでしょうが、でも、実は肝心の日本人間の旬の定義でさえ、全く曖昧で、例えば「走りを旬に入れたり入れなかったり」と、かなりいい加減なことが行われていることも、先日このブログで紹介しました。つまり、ユネスコ登録の定義では、実はうまく和食を説明できないのです。

「日本型食生活が和食でしょう?」という人もすごく多いのですが、農水省の定義によると日本型食生活はご飯を中心にはするものの、パン食も西洋料理も時々食べる食事のことであり、伝統食とは全く異なる概念です。このことも過去のブログで紹介済みです。

「日本食」と「和食」の区別も難しいものです。この2つをどう分けるのか、人によって全く異なります。ラーメンやカレーライスについて聞くと、ある人は「日本食であり和食である」と答え、別の人は「日本食だが和食ではない」と答えます。

「味噌や醤油を使うのが和食だ」という人も居ますが、それだと、カレーやたこ焼き、お好み焼きだけでなく、純和風と思われる「すまし汁」(普通は出汁と酒とみりんで調味します。たまに隠し味で醤油を入れることもありますが、多くの場合は醤油を使いません。)さえ和食ではないことになります。

そこへ持って難問なのが、「和食」と「日本料理」も全く違う概念であるという事実です、遠藤哲夫先生の「大衆めし 激動の戦後史」によると、1973年頃に遠藤先生は、「たいへん偉い日本料理の先生」に、お米のごはんのおかずは日本料理ではない、と指摘されてショックを受けたそうです(p80~83)。遠藤先生はその直後に、板前さんでかつ料理文化研究者だった江原恵先生に会い、その意味を知ったとのこと。
江原先生によると、日本料理とは料理屋料理(=宴会料理であり、芸者をあげて遊んだり、特別のもてなし料理であり、酒を飲むための料理。)であり、ゆえに、日本料理とは家庭料理とは異なる、使う材料からして違う、とのことでした(p84~85)。

その後も遠藤先生は研究を続け、同著p96によると、「海外でも人気のすしやてんぷらなども、そばやうどんも、日本料理からは下賤な食べものとして見られていたのだ。」とのこと。

遠藤先生によると、社会学者の加藤秀俊先生が1978年に、日本の食文化について非常に重要な指摘をしているそうです。それは何かというと、中華料理や西洋料理と比較して、(焼き魚や刺身やおひたしなどのように)新鮮な食材をほとんど手を加えずに食べるという点で日本食は作るにしても手間をかけず簡便で、食べるにしても「大いにせっかち」「さっとかきこんで食事をすませる」という点です。だからこそ、日本人は蕎麦などを発明したのだということです。

そう言われて思い起こせば、高度成長期までは「早飯、早●ソ(注:自粛して伏せ字にしました。)」が奨励されていました。早くご飯をかき込んで、トイレに行って(お食事中にこの文章を読んでいる方はすみません・・・・。)すぐ仕事をするのがかっこいい大人なんだよ、とよくいわれたものです。

寿司や天ぷらもファーストフードとして広まったという事実は、色々な研究書に記されています。

つまり、スローフードとは真逆のファーストフード文化こそが、日本の食文化の芯であり根っこだったのです。その芯はぶれることなく、今日にも、会社近くの食堂で黙々と立ち食い蕎麦や茶漬けやラーメンをかき込むように食べるサラリーマンのお父さん達の背中に現れていると言えるでしょう。

さて、そろそろまとめに入ります。和食とは何か。二つの方向性が見えてきました。
1つめが、「時代や地域や社会階層によって全く食材が違うから、材料や旬などでは和食を定義出来ない。」という厳しい現実。
2つめが、「西洋料理や中華料理と決定的に違う点といえば、多くの料理においては素材を活かすためにあえて手間をかけず、簡便に調理し、急いで食べられるものが好まれていた。」という点。

つまり、和食の伝統を維持し、後世に伝承するに当たって欠かせない和の心構えとは、「アンチ・スローフード」つまり、素材をさっと調理して急いで食べる文化を大切にすることではないでしょうか。
和食の日だからこそ、この、「和の心」の芯にあるファストフード文化を絶やすことなく、次世代にも伝えていきたい物だと思います。・・・・あれ?

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「やさいーズ」うちの子にも受けました!

2016年11月17日 | Weblog
前回書いた「やさいーズ」の本の話の続きです。

早速うちの子にあげたら、「ふーん」とパラパラとめくって、すぐ机の上において別の遊びを始めたので、「う~ん、ちょっと難しかったかなあ~」と思っていたら、良い意味で大間違いでした。

翌日、野菜が苦手なうちの子でも食べられる数少ない野菜の一つ、ブロッコリーを出したら、
「あっ!これってブロッコ委員長でしょ!」と叫んで、慌てて本を開いて確認するのです。

そして、「ビタミンCが入っていてうんちスルリンなんだ~」とひとしきり感心した後、すごい勢いでぱくぱく食べ始めたのです。
もともとブロッコリーだったら食べられたんだけど、こんなに大喜びしてぱくつくなんて、びっくり。
慌てて珍獣ダンナーも「そんなに沢山食べるのはダメなんだなあ~!」と制止するほどでした。

この調子で、どんどん他の野菜も好きになってくれると嬉しいですね!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成田崇信さんの「すごいぞ!やさいーズ」は地味に見えて実はすごい!

2016年11月14日 | Weblog
(11月17日コメント:「地に足の付いた誠実な本です」という意味を込めてつけたタイトルだったのですが、別の意味に誤解されかねないタイトルと考え直して、タイトルを修正しました。)

管理栄養士の成田さんの監修した新刊が、オレンジページから出ました。野菜をトマトの「トマ美」ちゃんやブロッコリの「ブロッコ委員長」などのキャラに見立てて、イラストでそれぞれの良い特徴を紹介する、小学校低~中学年くらい向けの本です。

子どもや初心者向けに「野菜の健康性」を紹介する類書は他にもありそうですが、「やさいーズ」は細部に気遣いが行き届いているので、じわじわと感動します。

タミアのツボだった所は次の3点です。
1・家庭で出来る手軽な科学実験なども盛り込んでいて、大人も子どもも好奇心をそそられる内容です。

2・野菜を子どもに食べて欲しいとがんばっている親の気持ちに寄り添いつつ、無理強いをしないで暖かい目で見守ることが大事ですよね、というメッセージで、ほっとする文章です。文章を書いた柳本さんのお力もあってと思います。

3・健康に関する記述は、科学的に裏付けのある内容だけに絞り込んでいます。医学的根拠の希薄な説は棄却しています。

  野菜の健康性を紹介する最近の「啓蒙書」には、例えば次に挙げるような奇妙な言説が紛れ込んでいることが多いものです。
●「大根にはデトックス効果がある。」(そもそも論としてデトックス効果というものが医学的に定義出来ないのに、どうしてその効果があると測定できるのか疑問ですよね。)

●「キュウリを食べると身体を冷やす効果がある。」(キュウリは普通は冷やしてたべますから、キュウリの成分による効果ではないですよね。トマトでも大根でも、冷やして食べれば身体は冷えますよ。)

●「根菜は身体を温める効果がある。」(大根の冷やしおでんは身体を冷やしますよね。根菜は冬に食べることが多く、しかも冬には加熱調理して熱い内に食べるから、昔の人は「根菜そのものに身体を温める効果がある」と勘違いしたのでしょう。)
 
 以前、野菜の専門書を読んだ時に、レタスやキュウリには特段の優れた健康性や機能性というものはなく、健康ウンヌンよりもおいしさや歯ごたえを楽しむ食品と考えるべきだと書いてありました。「やさいーズ」にも、レタスやキュウリのページがないことからも分かるように、過度に野菜の健康性を煽る奇妙な説は載せないように工夫していることが分かります。

ただ、大変済みませんが、あえて気になった点についても触れます。それは、科学的根拠のない説について記載もしてないが、否定もしていない、という点です。科学的根拠のない説を並べ立てる本と「やさいーズ」の両方を読んだ読者の中には、同時に信じてしまう可能性もある、ということです。「そうか~。大根ってジアスターゼがある上にデトックス効果もあって身体を温めるからすごーい♪」的台詞を言う人が現れるトホホな状況を想像してしまいました。この点はなんとかならないのだろうかと気がかりです。

もう一つ、気になったことがあります。それは、旬の野菜は栄養価が高いから旬を意識することが大事だ、という趣旨の文章があったことです。旬の知識はないよりあった方がいいとは思いますが、この話はまじめに考えれば考えるほどラビリンスに陥ります。

なにしろ、すでに旬がない野菜があるのです。例えばキャベツは一年中収穫できます。温室栽培などではなく、地べたに生やしてお日様で育てて、それでもほぼ1年を通して日本のどこかで収穫できるのです。

次に、旬でない野菜にも、少し含有量は減るもののその野菜に特徴的な栄養成分が含まれていることです。であれば、多少季節外れのものでも年間通じて時々食べる方が、むしろ年中リコペンや葉酸やカロテンと、いろんな栄養を取れてバランスが良いのでは?「旬の方が少し栄養価が高いから」という話にこだわるならば、旬に収穫した冷凍野菜を年中食べるのが健康的、という結論にもなります。

旬について知っていれば、おいしくて安い生鮮野菜が手に入るので経済的ですし、雑談のネタになったり、純粋な「知る喜び」があります。これらの点で、タミアも旬を知っておくことには賛成です。ですが健康面ということに的を絞ると、平成の今日において旬を知ることがことさら大きなメリットになり得るのか、その点については、考えあぐねてしまいました。

・・・ちょっと気になる点も書いてしまいましたが、でも、総論としては☆5つです。野菜嫌いの子どもを持っても(ウチがそうですが。)親は力まずに、少しずつ長い時間をかけて子どもに野菜を薦めれば良い、暖かい目で見守ることが大事なのだという趣旨に心温まります。ウチも、暖かく見守りながら少しずつ野菜好きに育てていきたいなあと思いました。ポジティブな気持ちで今日の献立を考えるための元気を与えてくれる良書と思います。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あのタミアさんは別人です!!

2016年11月09日 | Weblog
最近、私と同じ「タミア」のペンネームで、あるサイトにイラスト投稿している方がいらっしゃいますが、別人です。面識も関係も全くありませんので、誤解のないよう、よろしくお願いします。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一汁三菜説はやっぱり作り話だった。

2016年11月05日 | Weblog
先日ふと、城西国際大学の品田知美先生編「平成の家族と食」(晶文社、2015年12月30日発行)を手にしたら、びっくり!ああ、なんでもっと早くこの本を読まなかったんだろうと思ってしまう位のすばらしい内容でした。今回、皆様にもこの本の中身を一部紹介したいと思います。

「一汁三菜が和食の基本」という近年よく耳にする説が、実は最近創作された「作り話の伝統」だったことは、このブログの2015年9月6日、2016年1月16日、4月2日、4月17日において紹介しました。
実は、品田先生らの研究グループも、近年「一汁三菜が和食の基本」という説が聞かれるのを不思議に思って調査し、その結果、この説がきわめて疑わしいという結論に達していたのです(p15、p56~58)。

まず品田先生は、「1975年に日本人が家で食べていたものが理想であると提唱する」東北大の都築毅先生のご研究を読んで、「(都築先生が)当時の理想として提示した夕食の献立表を見ると基本は一汁二菜」だったと指摘しているのです。この品田先生の記述を見て、確かにそうだったと膝を打ちました。私の幼い頃の記憶をたどっても、1970年代後半、一汁三菜なんて食事は、家でも学校でもよその家にお伺いしてもまず出なかったし、そもそも一汁三菜という言葉を耳にしたことさえなかったからです。(ちなみに、品田先生も慎重に言葉を選んで書いているのですが、都築先生の提唱する理論が栄養学的に正しいと証明されているとは、品田先生も私も申しておりません。)

しかも、品田先生はここへ更にこうたたみかけています。
1975年といえば、日本の歴史上最も多くの女性が専業主婦だった時代なのですが、「その時代でさえも、一汁三菜は浸透しきれていなかったとするならば、いつ誰がその伝統を保持していたといえるのだろうか。」、と。

そして同書の共同執筆者の一人である日本女子大の野田潤先生は、p56~58において、こう指摘しています。一汁三菜は千利休が考案したが、この料理は「あくまでも茶の湯におけるもてなし料理であり、人びとの日常食ではなかった」、と。そして様々な文献を精査しても、日本人の日常食に一汁三菜が根付いた時代というものが見つからない、と。

野田先生のこの指摘の締めくくりを引用します。
「ことによると、「日本人の伝統としての一汁三菜」という概念自体が、社会的に近年構築されたものだという可能性もある。」
野田先生のおっしゃる通りだと思います。
以前このブログで紹介した、日経新聞の記事(食文化研究の大家である石毛直道先生に取材した記事。)も、全く同じ指摘でした。石毛先生は、一汁三菜説は近年になっていわれはじめた物であると証言したのです。

誰がなぜ、なんのために、「一汁三菜が和食の基本だ」という作り話を広めようとしているのでしょう。蕎麦やうどんや寿司などは基本的な和食ではない、というのでしょうか。もうすぐ国が定めた「和食の日」です。私達は「和食とは何か」、について深く考える必要がありそうです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする