タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

恐怖の「まごわやさしい」

2015年10月31日 | Weblog
笑い話みたいな実話です。先日ある方とこんな会話をしました。

Aさん「最近健康に気を遣ってましてね。」
タミア「それはいいですね。」

Aさん「小学生の子どもと一緒に毎日、『まごわやさしい』を実践してるんですよ。」
タミア「それは健康に良いとされる食品の頭文字をとった、標語ですよね。豆の『ま』、ごまの『ご』、わかめなどの海草の『わ』、野菜の『や』、魚の『さ』、しいたけ等キノコの『しい』ですね。これらを毎日食べるなんて大変ですよね。」

Aさん「それがそうでもないんですよ。実に簡単なことなんです。」
タミア「え!そうなんですか!?」

Aさん「納豆に、ごまと青のりとネギと鰹節を混ぜるんです。納豆で『ま』、ごまで『ご』、青のりで『わ』、ネギで『や』、鰹節で『さ』、でしょ。朝はごはんにこの納豆をかけて、昼は白米だけ、夜は白米になめこ汁で『しい』。たったこれだけで『まごわやさしい』を実践できるから毎日すっごく楽なんですよ!」

標語の一人歩きの恐ろしさを身にしみて感じました。標語化すると、背景にある詳しい考え方の部分が消えてしまい、ハチャメチャな解釈に陥ることもあるっていう実例です。健康に良い食事について説明するのはつくづく難しいものです。

(ご注意)Aさんの説明を聞いて「いいアイデアじゃない?どこが変なの?」と首をかしげてしまった方は要注意ですよ。絶対、絶対、ぜえーったい、まねしないでください。Aさんみたいな食事だと、野菜を1日にスプーン1杯も食べないし、各種ビタミン類やミネラル類、食物繊維、タンパク質、脂質が不足して、倒れてしまいますよ。詳しく知りたい方は、「商品成分表」と「日本人の食事摂取基準」を読んでください。

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欧米化で野菜を多種類食べるように変化した日本人。

2015年10月24日 | Weblog
現代の私達はなんとなくイメージで「伝統的に日本人は沢山野菜を食べていたが、食の欧米化で野菜を食べなくなった。」と思う傾向があります。雑誌等でそのようなエッセイを見かけることがあります。
しかし、民俗学などの本を調べると、それは思い込みのようです。

例えば、秋田市太平八田(はった)という所では「村の鎮守様は野菜嫌い」という古くからの言い伝えがあり、昭和30年代ごろまでほとんど野菜を食べなかったそうです。

そこまで極端な例ではないにしろ、日本の伝統的食事では穀類が多い割に野菜が少なく、野菜を食べる場合は大根を偏愛し、他の野菜(特に緑黄色野菜)は少量しか食べない傾向がありました。

明治の初頭、1871年に日本に来た元米国農務長官のホーレス・ケプロン氏は、日本の野菜の種類やその摂食量の少なさに驚き、日本政府に米国の野菜・果物の種と苗、そして家畜や農機具を献上して、日本の農畜産業の振興に力を尽くしました。政府はもちろん明治天皇とその家族にも大変喜ばれ、外国人で初の勲二等旭日章を贈与されました。ケプロンの記録によると、当時の日本人は野菜というと大根ばかり食べていたと記されています。

「いや、伝統野菜には沢山の種類があるではないですか?」と疑問に思った方もいるかもしれませんね。実は、非常に限られた種類の野菜の中で、大きさとか色とかのバリエーション(これを専門用語で品種と言います。)が豊富にあったということなのです。例えば大根だと全国ではおそらく100や200を超える品種があっただろうと思いますが、しかし、どれを食べても大根は大根。栄養的にはほとんど変わりが無かったと考えられます。紫の大根でしたらポリフェノールも摂取できるかもしれませんが、日本人は白くて大きい大根を好む傾向が強かったので、そうした大根はめったに食べられませんでした。

江戸時代に食べられていた野菜の種類は、大根、なす、カブ、漬け菜、ゴボウ、里芋、白瓜、ネギ等が主体でした。キュウリ、ニンジン、スイカなどは品種があまり多く生じなかったといわれます。そのほかは山から山菜を採取したり、ミョウガ等を食べていましたが、長期保存可能なゼンマイなどの一部を除けば、山菜等はほんの1~2週間の旬の間だけ食べていたとみられるため、一年を通じての健康の維持には余り役立ったとは言えません。

しかも、ほうれん草については「大和本草」中で貝原益軒氏が「多食してはいけない。身体に毒である。」と唱えていました。キュウリは、江戸中期までは苦みが強くて「下品(げぼん:価値が最低のこと)」とされて(旬の前の「はしり」の時には江戸っ子は珍しがって買いましたが、それ以外の時期は)嫌われており、特に武家では切り口が葵の御紋に似ているからと禁じられました。このように、大根以外の野菜は少量食べられていたのです。キャベツやアスパラガス、セロリは江戸時代までには日本に伝来していましたが、ほとんど食用にされませんでした。

白菜、タマネギ、トマト、ブロッコリー、オクラ、ピーマンなどの今日良く食べられる野菜は、明治以降に日本に伝わったものです。今では白菜は和食に欠かせないものとなりましたが・・・・。現在私達が食べているカボチャ、ニンジン、レタスの品種も、ほとんどが明治以降に外国からもたらされた品種です。

明治時代以降、次第に野菜を食べることが健康によいと知られはじめ、栄養学の関係者は野菜を勧めたのですが、明治以降から第二次世界大戦までの時代も、あまり野菜は食べられませんでした。そうなった理由ははっきりしませんが、おそらくは「穀食主義」の流行の影響もあったのではないかと推測します。

「穀食主義」について説明します。明治40年に石塚左玄氏を中心として発足した「食養会」(前々回のこのブログでも登場した団体です。)は「玄米には人体に必要なほとんどの栄養が詰まっている。」として肉は要らないどころが、野菜さえもごく少量食べるだけで十分だと唱えました。これが現在の玄米食運動の起源なのですが、現在の玄米食運動では野菜も推奨されますが、当時は野菜さえ少なくて良いと唱えたので「穀食主義」と呼ばれていたのです。

食養会は昭和に入ると人気になり、日本各地の知識人に「玄米さえ食べれば野菜は少量で十分」という説が広まりました。例えば昭和6年(1931年)に宮沢賢治が「雨ニモ負ケズ」という詩の中で「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」と書いた様に、野菜は少しでいいのだという考えは知識人の間で人気になったようです。

1931~35年の1人1日あたり野菜摂取量は220.7gです。当時の統計の取り方は現代とは異なりますので単純比較は難しいのですが、農水省の食料需給表によると、戦後の高度経済成長を経て日本人の食事のアメリカナイズが進んだ昭和43年には、野菜の1人1日当たり供給純食料(野菜からヘタや皮など食べられない部分を除いた量。)が340.4gです。昭和初期にいかに野菜の摂取量が少なかったかが分かります。

昭和初期、石塚氏の説に影響を受けた医師、二木謙三博士も、石塚氏の説と似たような説を唱えて評判となりました。昭和17年には東条英機首相の夫人が二木先生の大ファンとなり、これを通じて首相や閣僚もすっかり玄米食ファンになり、とうとう閣議で「国民は玄米食をしなければならない。」と決定されました。そして「玄米さえ食べればおかずはほとんど不要、お弁当も玄米と梅干しだけの『日の丸弁当』で良い。」という説が国民に広められました。このように、日本では野菜にとって長く不遇な時代が続いたのです。

ただし、大根はお米と一緒に炊くとお米が増えたように見えるため、お米が余り手に入らない貧しい家庭では、大根を刻んでお米に混ぜて炊く「大根飯」を沢山食べていたようです。また、大根に限らず様々な野菜を混ぜて炊く場合もあり、これは「糧飯(かてめし)」と呼ばれていましたが、糧飯の多くも野菜は大根主体だったようです。他の野菜はやっぱり少量食べられていました。キュウリは明治以降中国から入った品種の影響で苦みが減り、比較的食べられるようになりましたが、緑黄色野菜は相変わらずあまりたべられなかったそうです。

日本人がいろいろな種類の野菜を沢山食べる様になったのは第二次世界大戦後の事で、米国文化の影響や、マスコミや栄養士が野菜をたべようと宣伝し、普及員(農家向けに栽培技術や生活面を指導をした県の職員)が野菜生産を振興しようと農家に勧めた影響だと言われます。特に緑黄色野菜の大切さは各方面が強調しました。つまり、食の欧米化のおかげで日本人は他種類の野菜を食べる様に変化したのです。

参考文献:「ホーレス・ケプロン将軍」メリット・スター著 北海道出版企画センター
「食生活の中の野菜」施山紀男著 養賢堂 




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ジョーク「発酵食品が身体に良いなら・・・」

2015年10月17日 | Weblog
面白い小咄を耳にしました。発酵食品の権威の小泉武夫先生だったらなんとおっしゃるかな?

「発酵食品が身体に良いなら、和食よりも身体に良いのはドイツ料理だ。

なぜなら、米の飯は発酵してないが、パンは発酵食品である。
日本を代表する漬け物、梅干しは発酵してないが、ドイツを代表する漬け物、ザワークラウトは発酵食品である。
緑茶は発酵してないが、紅茶は発酵食品である。
あんこは発酵してないが、チョコレートとバニラビーンズは発酵食品である。
刺身や江戸前寿司や焼き魚は発酵してないが、ドイツソーセージとベーコンは発酵させたものが多い。
豆腐は発酵してないが、チーズは発酵食品である。
日本のバターは発酵してないが、ドイツバターは大多数が発酵食品である。
日本のクリスマスケーキは発酵してないが、ドイツのクリスマスケーキ「シュトレン」は発酵食品である。
味噌汁は発酵食品だが、ザワークラウトスープも発酵食品である。
日本酒も発酵食品だが、ビールも発酵しているし、その飲む量たるや、日本酒の比ではない。」

「発酵食品が身体に良い」という説にこだわると、「お酒は発酵食品だから沢山飲むほど身体にいいんだ。」というような、かえって変な理屈になってしまうということを、この小咄は伝えています。このように、身体に良い(悪い)からと言って大量に食べる(徹底的に避ける)ことで、かえって身体をこわすことがあります。これをフードファディズムと言い、高橋久仁子先生が非常にためになる本を数冊書かれていますが、どの本もおすすめです。

さてさて、ずいぶん昔にテレビで小泉武夫先生のお話を伺った時は、実に楽しそうに、世界の発酵食品の豊かさや各民族の智慧の奥深さを語っていらっしゃいました。ですが、最近の先生は「和食が世界で一番優れている。」と唱えて、講演会で外国の食品を和食より劣るように発言されたりもしているそうです。もちろん、和食には繊細な盛りつけや素材を生かした味付けなどすばらしい側面があり、私も和食が大好きですが、諸外国の文化にもそれぞれの歴史や文化的意味などの奥深さがあります。小泉先生、もう一度、世界の広さと異文化への畏敬を語ってらしたあの時の、キラキラした言葉を伺いたいです。
コメント (2)
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考察ミスだった「ベルツの人力車実験」

2015年10月10日 | Weblog
一部の食育本で有名な説に「明治時代のベルツ氏の人力車実験から、肉を食べなくてお米ばかり大量に食べる方が身体に良いことが証明された。」というものがあります。この伝説はTOSSなど一部教育関係者の間で事実と信じられていますが、実は実験結果の考察ミスであり、現代の生理学や栄養学の観点からはとっくに否定されている説なのです。

未だに多くの人々がこの明治時代の誤った説を信じてネットなどで広めています。食育を通じて子ども達に広まってしまえば、むしろ育ち盛りに身体を壊してしまうだろうと心を痛めているこの頃なので、今日はこの話を取り上げたいと思います。

まず、ベルツさんの実験とは何だったのか、簡単に説明します。
明治時代に日本に来たドイツ人医師のベルツ博士は、人力車夫(人力車を引っ張る人のことです。)が、重い人を乗せて高速で長距離走れることに驚きました。そこで2人の人力車夫に実験への協力を御願いしました。最初に普段通り、大量のお米主体の食事(実際にはジャガイモや大麦なども食べさせていたそうです。)をして走ってもらい、高速で長距離走れることを確認しました。次にお米を減らして肉を食べて走ってもらったところ、普段のようなパワーは出ず、途中で疲れ果ててしまったのです。

この実験自体は正しい手順を踏んでいましたが、ここから、明治時代の「食養会」をはじめとする人達は誤った結論を導き出してしまいました。(ちなみに、食養会とは、大量のお米ばかりを食べ、野菜等も含めた様々なおかず等を減らすことを勧めた団体で、特に洋風の食事を禁止しました。その思想は、後の様々な代替医療やマクロビオティックなどに受け継がれました)。その誤った結論こそが「普段からずっとお米ばかり食べて、肉を全く食べない方が、力が出るので身体に良い。」という説です。ベルツさんの実験からこのような結論を導くのは論理の飛躍です。

 なぜなら、ベルツさんの実験は「お米とジャガイモや麦などを食べると、人力車夫という非常に過酷な重労働に従事している間は力が出る。」ということを証明してますが、「事務職や営業職や軽労働などの人が、"お米ばかり"食べると良い。」なんてことは全く証明していないのです。しかも、「一時的に力が出る」ということと、「普段から元気はつらつとして長生きでる」ということは、全く別次元の問題です。この人力車夫が元気で長生きできたかどうかは、ベルツさんの実験からは全く読み取れないのです。

ベルツさんの実験を現代の生理学の知識からひもとくと、実は、彼の発見した現象はスポーツ生理学の「カーボローディング」だったのです。カーボローディングとはマラソン、長距離系の水泳、クロスカントリースキー、ロードレースなどの前に、沢山のデンプンを食べておくと、試合の間に持久力が保たれるという現象ですが、ここで言うデンプンは別にお米に限らず、バナナや、小麦を砂糖などで固めた棒状食品でもいいのがミソです。というか、むしろお米のような粒食よりむしろバナナや粉食のほうが早く力が出ます。そして、そういった過酷なスポーツの選手でも、普段の筋肉や健康を保つためにはやっぱり、試合がオフの日は肉、魚、野菜などのおかずもバランス良く食べることが大事なのです。

どうして長時間の激しい肉体労働の時にだけ、こんな不思議な現象が起こるのでしょうか。この点について簡単に説明します。まず、早く走るためには筋肉が激しく収縮と弛緩を繰り返さなければなりません。筋肉が収縮するには、筋肉を構成している「筋細胞」という細胞の中で「ATP」という物質が作られなければなりません。

ところがATPは、細胞の中の2カ所でしか作られません。
(1)解糖系。
(2)TCA回路(クエン酸回路とも呼ばれます。)を経た呼吸鎖。酸素が必要。
(1)の解糖系は酸素が無い状態でも(2)の約100倍のスピードでATPを作れます。ですから、激しい運動が長く続く時は、血管から筋肉への酸素供給が追いつかなくなって、(2)が働かなくなり、(1)の解糖系だけがATPを供給するのです。

しかし、解糖系でATP作りの原料に使えるのはグルコースとグリコーゲンだけです。デンプンは食べると消化されてグルコースになるので、試合前に沢山デンプンを食べておけば、筋肉中の酸素がなくなっても解糖系がどんどんATPを作ってくれます。だから猛スピードで走れるのです。

一方、肉の主成分であるタンパク質は、食べるとアミノ酸に分解されます。アミノ酸は解糖系でATPを作ることができません。アミノ酸からATPを作るには、ピルビン酸やクエン酸回路などを経由しなければなりませんが、これらの反応が進むには酸素が必要不可欠なのです。だから、ベルツさんの実験で肉を食べた人力車夫は、ATP不足のため、途中で疲れてしまったという訳です。でも、肝心の筋肉を養うためには、食事からタンパク質を摂ることが不可欠である一方、お米には少量しかタンパク質が含まれてません。働き盛りの男性肉体労働者は1日に約3000キロカロリーかそれ以上の熱量が必要です。人力車夫はそれに見合った大量のお米を食べて、デンプンを解糖系で燃やして、残ったタンパク質で筋肉を維持していたと考えられますが、仮にお米ばかり食べたとすれば、お米にはリジンというタンパク質合成に必須なアミノ酸があまり含まれてないので、次第に筋肉が細くなって走れなくなり、廃業したことでしょう。

一方、クルマ社会・ネット社会に生きる私達現代人が、3000キロカロリーのお米を食べたらどうなるでしょうか。軽作業の18~29歳の男性は1日に約2250キロカロリーで十分ですので、余った分のカロリーで肥満します。では、肥満しないように2250キロカロリーをお米ばっかりで摂ったらどうなるか?というと、精白米の場合タンパク質はたった33gしか摂取できないのです。玄米でも38gです。男性20歳代のタンパク質の推定平均必要量は1日50g、推奨量は60gですから、お米ばっかりの食事では身体を壊してしまいます。やっぱり、健康の維持に大切なタンパク質は、肉や魚などをバランス良く食べることで補う必要があるのです。
コメント (4)
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統計の誤読と思われる中川恵一先生の「がん社会を診る」コラム10月1日号

2015年10月03日 | Weblog
日本経済新聞の木曜夕刊の中川恵一先生(東京大学病院准教授)のコラム、「がん社会を診る」は毎回勉強になる情報が載っています。例えば「菜食主義者が特にがんにかかりにくいというデータも、長生きするというデータもないこと。」など、はっとする指摘が多く、毎回参考にさせてもらっていました。

しかし、申しあげにくい話ですが、今回、2015年10月1日号の「長寿県・沖縄に異変」だけはいただけません。統計の誤読と思われる箇所や論理的矛盾が目立つからです。

先生の今回のコラムの趣旨は「沖縄県男性の平均寿命はファストフードとクルマ社会による運動不足で下がってしまった。沖縄の肥満は男女とも激増しており、将来心配な状況にある。」との内容ですよね。

このコラムで先生は「近年、急速に平均寿命を下げているのが沖縄県です。」と述べてますが、前回の私のこのブログに書いた通り、沖縄で下がったのは「順位」であり、寿命は伸びているのです。

マラソンに例えれば、1990年代まで日本一の記録を誇っていた「オキナワ・ケン」さんが、最近の試合で自己ベストを更新したものの、ライバルの「ナガノ・ケン」さんらがそれよりもよいタイムだったために、オキナワさんは日本一の座を譲ることになった、という話です。このことを指して、「オキナワさんは足が遅くなった。」などと批判する人は居ないでしょう。

ところが、中川先生のコラムでは、順位が下がったことを指して、「ファストフードの影響などで」伝統食を食べなくなったのが主因と論じてます。この指摘が正しいなら、「ファストフードを食べることで寿命が延びる」という結論になります。

 先生のコラムではさらにこうも続けています。戦後米国の施政下に置かれて伝統食の代わりにファストフードを食べる様になったことやクルマ社会による運動不足が原因で、沖縄県の肥満者の割合は増え、特に女性では40代の肥満率が全国平均の2倍です、と。ところがこの文章の前段では、沖縄県女性の40歳の平均余命は全国トップだと記されています。この2つの文章を素直に読めば、「ファストフードとクルマ社会で女性が太ると、日本一平均余命が長くなる。」ということになります。

しかも、沖縄男性の平均余命の順位が下がったのに、女性はそれほど順位を下げていないことについて、先生は「(女性は)環境の変化があっても、生活習慣が乱れにくいためと思います。」と述べています。つまり、沖縄では男性はクルマに乗りファストフードを沢山食べ、女性は徒歩で暮らしてファストフードをほとんど食べずに伝特食を守っている、との主張のようです。これって常識に反しているじゃありませんか。テレビや雑誌で「美味しいと大評判のお店」「ご褒美デザートのお店はコレ!」などと言われると真っ先に飛びつくのはむしろ女性の方ではありませんか。沖縄では男性ばかりクルマにのっているというデータや、男性ばかりファストフードを食べており女性は伝統食に固執しているということを確実に示すデータがあるならば見たいところです。もし仮にそのようなデータがあったとすれば、女性の肥満率が全国の2倍なのはなぜでしょう。

元「栄養と料理」の編集長、佐藤達夫氏は著書「食べモノの道理」の中で、「沖縄県の寿命が縮んだ」説を、各種統計データに基づき詳細に分析しています。その結論はというと、「食の欧米化によってむしろ沖縄は長寿県になった」という意外な結果でした。そして、長野県など他県に順位で追い抜かれたのは、他県も沖縄に遅れて洋風化が進んだためでしょうと指摘しています。ちなみにこの「食べモノの道理」は池上彰先生もご推薦されていることも、付け加えたいと思います。このブログをご覧の読者の皆様も、ぜひ一度、この本に目を通してください。

中川先生、申しあげにくい話ですが、先生の今回のコラムはどうも統計の読み違いではないかと思うのですが、いかがでしょうか。今までのコラムはとても楽しく読ませてもらっていました。次回からまたいつもの鋭い分析が復活することを、心より願っています。 

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