タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

「一汁一菜で良い」は貧困と疑似科学を正当化させかねない。

2020年08月10日 | Weblog
昨今の「ポテトサラダ問題」には憤りを覚えました。スーパーの惣菜売り場で買い物する女性に「母親ならポテトサラダくらい手作りしろ」と暴言を吐いた男性がいた、最近話題の出来事です。このような男性は、子育てしながら料理を作る大変さを何もしらないのでしょう。

このような、女性に過度の負担をかける風潮に対して、近年怒りの声が上がっています。例えば、有名な料理研究家の土井善晴先生は「具だくさん味噌汁なら一汁一菜で良いじゃないか」と指摘しています。あくまでも前提条件に「具だくさん味噌汁なら」がついているところがミソですが。だじゃれじゃなくて、まじめな話。

8月9日のyahooニュース「レタスクラブニュース」記事に、「(栄養バランスは)汁物とご飯だけの『一汁一菜』でも、おかずをご飯に乗せただけの『丼物』でも、まったく問題ありません」と主張する料理研究者の方が登場して、歴史を知らない方だなあと驚きました。一汁一菜とは汁物とご飯だけという意味ではありません。「白米(または七分づき米や玄米など)を素のまま茶碗に盛ったものと、汁物一杯、おかず一つ、漬物少々」という意味で粗食とほぼ同義語です。

レタスクラブに登場した料理研究家は、「汁物とご飯だけの一汁一菜でまったく問題ありません」と、おかずも要らないと言った後で、「タンパク質、食物繊維、炭水化物などがしっかり含まれていれば、一皿でも『バランスの良い食事』になります。」と言葉を補ってます。一皿で栄養バランスが取れるようになったのは最近の出来事なんです。以前の日本型食生活のおかずは「めざし」「コロッケ」「肉じゃが」「おひたし」「ハンバーグ」など、特定の一食材のキャラが立つものが多数で、一皿で栄養バランスが取れる物はごく少数でした。だから一汁一菜にすると自動的に、「おかずはほとんど魚だけか、ほとんど肉だけか、ほとんど野菜だけ」だったのです。肉野菜炒めなども名前ばかりで、野菜ばかりで肉はほんのかけらというのもよくある話でした。

しかも、汁物には具がほとんど入ってなかったんです。味噌汁でもすましでも。地方のひなびた旅館の朝食だといまでもそのスタイルですが、例えば消しゴムより小さい豆腐しか入ってない味噌汁やアサリが2個しか入ってないあさり汁が当たり前でした。

だから、かねてから、栄養指導に携わる方々は、健康を害することを心配して「一汁一菜は良くない」といっていたし、土井先生も「あくまでも具だくさん味噌汁と条件付けすれば、野菜もタンパク質も取れるから一汁一菜もアリ。」と指摘しているのです。

先の、レタスクラブの記事に登場した料理研究者は若い方なので、日本の伝統文化を知らなかったのでしょう。なにせここ10数年でおかずのバラエティが爆発的に増えて、肉も野菜もボリュームたっぷりなおかずが様々に開発されたので、そういう「一品満足型」とでも言うおかずを食べれば一汁一菜でもそうそう栄養が偏りにくいのです。でも、そういうおかずを作るのは、やっぱり、そこそこお金と時間がかかるのです。
(うちは旦那も手伝ってくれるし、一品満足型の「ミールキット」(包丁要らずの料理キット)が市販されてるので助かってます。)

でも「一汁一菜で十分」と断言してしまうと、本来の一汁一菜「米を炊いた飯と、豆腐がサイコロ2個分しかない味噌汁と、魚(または野菜の煮転がしとか)」と混同する読者が必ず出てきます。特に40歳以上の方には誤解が続出することでしょう。そして、「私の家はコロナ禍で生活が苦しいけど、一汁一菜でも栄養が取れるってヤフーニュースも言っていたから、こんな素朴なご飯で十分なんだ、我慢しよう。」と国民の怒りを口封じするのに悪用される可能性があります。

一番怖いのは、「一汁一菜で十分」という台詞が一人歩きすれば、陰でほくそ笑むのは、食養と、貧困家庭の不満を黙らせたい一部の経済界の連中。

食養とは、明治末に生まれて歴史的になんども流行している「大量にお米を食べれれば、おかずなんて、ほんのちょっぴりでよい。だから一汁一菜が一番良い。しかし絶対に手作りしなさい。コンビニは使うな。」という疑似科学です。戦前は貧困者を黙らせる方便や、戦争中物資が乏しくて苦しい国民を黙らせる目的に悪用されました。昭和50年代と平成10年代には、お米の消費拡大と女性を家庭に縛り付ける目的で流布されました。
特に平成10年代の食養は食育に深く関与して、「市販の食品は添加物が入っているからお母さんが家で手作りしなさい。市販のスナック菓子やベビーフードなんて子どもに絶対与えてはいけない。」と呪いをかけて、保守系の方にこびをうってました。

お母さんが手作りしろというポテサラ男は時代遅れですが、「一汁一菜で十分です」と語るのも、女性の呪いを解くつもりが逆に食養の呪いを復活させかねません。

 スーパーの惣菜売り場に並ぶおかずを見れば、ポテサラはポテトとマヨネーズに偏り、肉じゃがはほとんど肉が無く、焼き魚は魚ばかりだし焼き鳥は鳥肉ばかりで、こういうパターンの一汁一菜を毎日続ければビタミンなど栄養素が不足してしまうことは、もうバレバレです。

 提案ですが、一汁一菜で良いという言説を否定して、スーパーやコンビニの惣菜や外食を活用して、一汁二菜や三菜をしてみませんか(ただし、「一汁三菜が日本の伝統」という説は、「日本スゴイ」に固執したい方々の妄執で、豊富なおかずが食卓に並んだのは1970年代末~90年代初期です)。

そして、スーパーやコンビニの惣菜、外食で様々なおかずを食べるだけのお金がなければ、「こんな低賃金で働かせる社会がおかしい」ときちんと言うべきでしょう。
貧困から目をそらす「一汁一菜でよい」の呪いの言葉に惑わされずに。


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