タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

近藤正二教授の長寿村研究の落とし穴。

2020年09月12日 | Weblog
「これが体に良い」という話がコロコロ変わることについて、このごろ「人間の研究結果なら信頼できる」と言われます。もちろん一般論としては正しいのですが、時々例外もあります!

 特に有名な例外は、昭和初期から昭和40年代まで、長寿村「と呼ばれる」地区を全国津々浦々調査した、東北大の故近藤正二教授の「長寿村研究」です。この研究は、昭和初期からだいたい昭和30年代初頭までのデータは比較的信頼性の高いデータですが、30年代半ばからデータの信頼性が落ちて、昭和30年代末以降のは残念なことに「使えない」データです。なぜこんなことになったのか。今回はそのお話をしましょう。

 先生は、何を根拠に長寿村とそうでない村を分けたか。それは「村の全人口を分母に、70歳以上のお年寄りの人口を分子に計算して、値が大きいほど長寿村とする」というルールでした。この方法は昔の日本では確かに理にかなっていました。

ところが昭和30年代に「車社会」と「テレビ」が農村にも訪れて、「都会で建設業や工場で働けば儲かるぞ」、「高校や大学に進学すれば高給取りになれるぞ」、とたくさんの情報が入ってきました。当時は子だくさんの時代。遺産相続で田畑を5~6人で分けると、面積が小さくてとても食べていけません。だからお父さんお母さんは長男に田畑をつがせて、次男・三男・娘達には「都会に出て独り立ちするんだよ。よりよい暮らしを目指すなら勉強して頑張るんだよ。」と励まして見送ったのです。

 都会に行った子供らは都会で結婚して家を作り、ほとんど戻りませんでした。長男は家を相続するために村に残りましたが、家を相続させてもらえない女子はほとんど村を離れたので、農村は結婚難に陥り、子どもの数もどんどん減りました。村はお年寄りだらけになりました。

近藤先生の「長寿率」はかつては村の「健康度」を反映していたのが、こうして昭和30年代末頃から「過疎の指数」に変化してしまったのです。ところが近藤先生も周りの方々もうっかりこのことに気がつかず。

このため、以前このブログでも書いたとおり、別の学者が昭和40年代に近藤先生の計算法を用いて「お米を食べない山梨県の棡原村は大変な長寿村だ!じゃがいもや雑穀ばかりの食事が体に良いのだ!」と唱えたため、当時のワイドショーはこの話ですっかり持ちきりになってしまった、という訳です。(もしかしたらお米の消費が減少した一因だったかも?)

つまり、人間のデータは多くの場合は信頼性が高いが、社会の変化が原因で採用出来ないデータもあるので、素人がきっちりと信頼性を判断するのはとても難しいものです。素人に簡単に判断できるものなら、最初から研究者なんて職業は要りません。

では素人はどうすればいいのでしょう。新しい健康法というのが流行してはすぐ去るのを見ていれば、そういうものにはすぐに飛びつかないことが一番賢明だと分かります。その健康法の指導でお金をもうけている人たちやその健康法を勧める出版社・芸能人の社会的ポジションなどを見て判断することが大事です。誰に買い支えられているか、バックグラウンドを見て、変なビリーバーが多かったら要注意。そんなのとママ友にされてしまい、頼まれていやいやお金を貢いだら人生の浪費ですよ。

変な流行を見破るためにこのブログがお役に立てば幸いです。

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