タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

フード左翼はピケティの「バラモン左翼」の一種にすぎない。

2021年07月18日 | Weblog
2013年12月に朝日新書から発売された「フード左翼とフード右翼」(清水健朗著)は、当時ちょっとした話題になりましたが、論法に欠陥があるため学者からは残念ですがあまり顧みられていません。

なぜ「使えない」かを一般の方に説明するのが大変なので、ブログに書くのは避けていたのですが、最近、この本に疑いを持たず「私はフード左翼ですから。フード右翼は嫌い。」と言う方が出始めたので、日本の将来が少々心配になりました。そこで今日はこの本の良い点と間違いを書きます。なお、私は右でも左でもありません。

結論を言うと。
1:提唱された「フード左翼・右翼」概念のうち、フード右翼はほとんど実在しない。
2:フランスの経済学者トマ・ピケティの「バラモン左翼」論から論考すれば、フード左翼はバラモン左翼の一種であり、その本質はインテリによる弱者切り捨て。

では、詳しい説明に入りましょう。
「フード左翼とフード右翼」は、初版の帯に「政治思想を食で見抜く」と書かれてある通り、「実は日本人の食の思想が2極化しており、それが政治思想を反映している」と主張した本です。清水先生によると
「フード左翼」に分類されるのは自然食・ベジタリアン・有機野菜・ビーガン・スローフード運動・マクロビオティックなどを好む人であり、
「フード右翼」はメガフード・遺伝子組み替え作物・牛丼つゆだく・ファストフード・水道水・B級グルメ、ジャンクフード・コンビニなどを好む人だとされています。

この本の価値は、フード左翼が政治的左派運動から生まれた歴史を記した部分です。ここは労作で読むべき価値があるが、問題は「フード右派」に分類されている項目の奇妙さです。

清水先生は、著書の23ページなどで、フード左翼は地域主義と健康志向であり、フード右翼はグローバリズムとジャンク志向(安さ・量重視)だから両者は対立だ、と主張しました。でも・・・勘の良い方ならそろそろ気がついたと思います。

先生が「フード左翼」と述べた人たちはその多くが重なる人間であり、「地球環境と健康と世直しのため」と大義を掲げてその食品を意識的に選択していますが、方や「フード右翼」とされた人たちは、主義主張のない普通の大衆です。グローバリズムを歓迎してもないし自ら願ってジャンクを志向する人もそんなにいません。

例えば、水道水を意識的に好む人はまれでしょう。単に家の設備が水道水だから水道水を飲んでいるに過ぎません。同様に、そのほかの食品も共通項がありません。低い給料で働いてジャンクフードでおなかを満たさざるを得ない人、おいしいものを食べるのが生きがいのB級グルメ、推しアニメコラボ商品を探してコンビニに通う青年、単に食べ物に関心が無い人・・・・ほら、全然違う人たちがごたまぜでしょ。

つまり、先生が「右」と付けた食品を食べる人たちは実は、政治思想に関心のない普通の人の寄せ集めです。それ故「食の思想が政治思想に呼応して2極化している」という仮説は間違いなのです。
「フード左翼という1つの集団があり、それに共感する人もいれば、関心を持たない人もいる。」という説明なら成り立りますが、「食で2つの思想が対立する」との仮説は間違っています。

おそらく本当は先生も自説の欠点に気がついているのでしょう。なぜなら、フード左翼と命名した人たちの論理構造や歴史については詳しく研究しているものの、フード右翼と命名した人たちについてはp127で「最大多数派の日本人」と告白しています。「最大多数派の日本人」=サイレントマジョリティを、右翼と命名した時点で論理破綻です。そしてフード右翼についてほんのわずかなページしか論考が記されていません。共通項がない人の寄せ集めだから論考できないのです。

そして、本の結末(210ページ)まで読むと分かるのですが・・・・実は清水先生自身が、担当編集者(朝日新聞出版社員の二階堂さん)に、特定のレストランを取材先に勧められて通ううちに「フード左派への転向」をしてしまった、と吐露してるんです。そうでなくても文章のあちこちに「本当は自然食やマクロビを勧める本を作りたかったけど、ストーリーを盛り上げるには敵対する組織が欲しいので、無意識のうちにもう一つの「極」を創作してしまった。」という切ない心情が垣間見える本です。
だから、心ある学者はこの本に感心しなかったわけです。

ここで紹介したいのがトマ・ピケティの「バラモン左翼」論です。(Brahmin left vs Merchant Right. Thomas Piketty, March 2018)

ピケティの指摘は刺激的です。バラモン左翼とはピケティ本人によると、ご意見が高尚過ぎて現実から浮いてる左翼、という皮肉だそうです。
従来貧しい方々を味方していた欧米諸国の左派が、インテリ化して環境問題などを議論したあげく現実離れしたことを言い出して、中間層や貧しい人たちを味方しなくなった、というのが論文の主旨です。身近な話を引き合いにかみ砕いて説明すると、「例えば、環境のために肉や魚を食うな。代替肉とビーガンを推奨しろ~。」と個人の嗜好に縛りをかけ、「全体を護るためには個人の自由は制限しろ」と唱える人などが該当します。

ピケティによると、バラモン左翼が全体主義に近い態度をとった結果、「経済的繁栄のために個人の自由を制限すべきだ」と考えるビジネスエリート右翼と利害が一致してしまったということです。
これを身近な例でわかりやすく説明すると、こういうことです。バラモン左翼の勧める活動を、ビジネスエリート右翼が具体的な商品や投資ファンドにして「これは良い物だから、子どもから老人まで国民はみんなこれを買うべきだ。学校もこれを導入しろ。買わないやつは不道徳だ。」と圧力をかければ、ビジネスエリート右翼が儲かります。バラモン左翼はビジネスエリート右翼に感謝し、お友達になります。

結果、右も左も結局同じ全体主義的発想に陥ってしまい、サイレントマジョリティの中間層と貧困層は取り残されてしまいました。


日本もほぼおなじ構図に陥っています。明日食べる食事にも事欠く人たちが大勢いるのに、科学的根拠の無い健康法の講演会やイミフの資材を学校給食や食育で取り入れるよう圧力をかけて「多少税金が余計にかかるとしても良いことだから。」などとおっしゃるフード左翼は日本にもたくさんいるのでうんざりします。その余裕が税金にあるなら、給食の回数を朝や夕方にも増やして、おなかをすかせている子どもたちに食事をさしあげたいものです。

しかも、日本のフード左翼はしばしば「伝統食に回帰しよう。日本人は米飯と味噌を食ってりゃ栄養的に十分だ。」という科学的に間違った説を唱えて、本物の右よりの人や歴史修正主義者とお友達です。「和食が一番良い♪洋風の物を給食から追放しましょう。」論法でフード左翼と歴史修正主義者が呉越同舟して講演会開いているのも見たことがあります。これは、多様性を認めない全体主義の始まりです。

食物を政治に利用しないでほしいと切に願います。

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おまじないぐらい見逃せよ論は案外ステマ。食育の語源は怖かった。

2021年07月04日 | Weblog
健康食品会社の中には消費者の財布をすっからかんにしてしまう悪質な者が昔から絶えません。この問題が「フードファディズム問題」として提唱されてから20数年経ちました。いまでは多くの方々が、「コロナには免疫力アップ食品」等の大げさなコマーシャルやTwitter投稿などに対して、悪質な金稼ぎだと苦言を呈しています。

そうなると困るのが、今まで「免疫力アップ」「ダイエットに」「頭が良くなる食い物」などの様々なパターンで荒稼ぎしてた人たちです。そこで彼らがSNSなどで最近やっているステマがこれです。「おまじないだからいいじゃん。おまじないレベルでもプラシボ効果があることは分かってるんだから。金額だってたいしたこともないし。いちいち目くじら立てる方がおかしい。」という論法です。でもこの論は地獄への道に舗装されています。
理由は3つあります。

(1)このパターンの言説は必ず歯止めがきかなくなり、家族、友達、学校の先生・生徒など様々な人間関係を通じてひろまっていき、途中でノーと言う人が仲間はずれされるから。

例えば、スーパーで友達にあって、「これ、体に良いって話題よ。おまじないレベルかもしれないけど、食べた方が安心よ。」などと勧められますよね。
うっかり「おまじないにお金を払いたくない。」と言うと、相手は「あー真面目すぎてやだ。たかがおまじないを勧めただけでこれだもん。」と開き直って言って人間関係を台無しにします。だからイヤイヤながらそれを買う羽目になります。

で、実体験ですが、私に「科学的事実なんか言わなくても、もっとおおらかになってもいいじゃない。」と言っていた友達が、実は、ある有名食品会社の中間管理職の妻でした。目的を隠して古典的ステマ(口コミ)をやっていたのです。何年かけても私を論破できないと分かると、捨て台詞を言って去って行きました。

こんなことが本当にあるなんて、恐ろしいです。皆さんもくれぐれも気をつけてください。

(2)まじないを許せば、最初は食べ物レベルでも、すぐに「祈祷だってどうせおまじないだからいいじゃない」という話に退化します。
こうして病人に対して、「お金がもったいないからまじないで直せばいい」という圧力がかかります。これは個人レベルから国家レベルまで生じうる話です。
 外国にも、頭痛薬などに高額を払うのがもったいないから○○のまじないをつかう、という人がいる国があります。○○の実名はこのブログに書けません。表向き国民健康保険を減らすためとなってますが、裏は、その国の新興宗教にお金が入る仕組みになってるからです。日本をそんな怪しげな宗教に牛耳られる国にしたくありません。

(3)おまじないは迷信や差別とセットです。元々日本は昭和30年代まで迷信が強く残っていた国です。例えばある種の顔の特徴は、親の食べた食品が原因だとして差別されていました。
 ニセ科学なまじないを広めたことで有名な石塚左玄氏の場合、明治時代の著書「通俗食物養生法」229~230ページ(第七版)に、「欧米諸国のように肉や魚をたくさん食べると、人面獣心(外見は人間でも心は獣のように慈悲がないという意味。)になる。」と外国人差別を記しました。同時に、そうならないために石塚式食事法=食育を家訓としなさいとも書き、これが「食育」の語源です。

 石塚氏の「食育」という言葉自体は長く忘れられたものの、「肉や魚などをたくさん食べると獣のような心に成長する。」というまじないは呪いのようにその後も長く残りました。そのため第二次戦時中や今世紀のゼロ年代に「A国人は肉を食ってるから凶暴だ」とする人種差別が一部で発生しました。

たかがまじないと認めるのは、ダムに開いた小さなありの穴のようなものです。「たかがまじないぐらい見逃してやれよ」の一言がどれほど恐ろしい結果を招くか、皆さんもよく考えてみてください。

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