2013年12月に朝日新書から発売された「フード左翼とフード右翼」(清水健朗著)は、当時ちょっとした話題になりましたが、論法に欠陥があるため学者からは残念ですがあまり顧みられていません。
なぜ「使えない」かを一般の方に説明するのが大変なので、ブログに書くのは避けていたのですが、最近、この本に疑いを持たず「私はフード左翼ですから。フード右翼は嫌い。」と言う方が出始めたので、日本の将来が少々心配になりました。そこで今日はこの本の良い点と間違いを書きます。なお、私は右でも左でもありません。
結論を言うと。
1:提唱された「フード左翼・右翼」概念のうち、フード右翼はほとんど実在しない。
2:フランスの経済学者トマ・ピケティの「バラモン左翼」論から論考すれば、フード左翼はバラモン左翼の一種であり、その本質はインテリによる弱者切り捨て。
では、詳しい説明に入りましょう。
「フード左翼とフード右翼」は、初版の帯に「政治思想を食で見抜く」と書かれてある通り、「実は日本人の食の思想が2極化しており、それが政治思想を反映している」と主張した本です。清水先生によると
「フード左翼」に分類されるのは自然食・ベジタリアン・有機野菜・ビーガン・スローフード運動・マクロビオティックなどを好む人であり、
「フード右翼」はメガフード・遺伝子組み替え作物・牛丼つゆだく・ファストフード・水道水・B級グルメ、ジャンクフード・コンビニなどを好む人だとされています。
この本の価値は、フード左翼が政治的左派運動から生まれた歴史を記した部分です。ここは労作で読むべき価値があるが、問題は「フード右派」に分類されている項目の奇妙さです。
清水先生は、著書の23ページなどで、フード左翼は地域主義と健康志向であり、フード右翼はグローバリズムとジャンク志向(安さ・量重視)だから両者は対立だ、と主張しました。でも・・・勘の良い方ならそろそろ気がついたと思います。
先生が「フード左翼」と述べた人たちはその多くが重なる人間であり、「地球環境と健康と世直しのため」と大義を掲げてその食品を意識的に選択していますが、方や「フード右翼」とされた人たちは、主義主張のない普通の大衆です。グローバリズムを歓迎してもないし自ら願ってジャンクを志向する人もそんなにいません。
例えば、水道水を意識的に好む人はまれでしょう。単に家の設備が水道水だから水道水を飲んでいるに過ぎません。同様に、そのほかの食品も共通項がありません。低い給料で働いてジャンクフードでおなかを満たさざるを得ない人、おいしいものを食べるのが生きがいのB級グルメ、推しアニメコラボ商品を探してコンビニに通う青年、単に食べ物に関心が無い人・・・・ほら、全然違う人たちがごたまぜでしょ。
つまり、先生が「右」と付けた食品を食べる人たちは実は、政治思想に関心のない普通の人の寄せ集めです。それ故「食の思想が政治思想に呼応して2極化している」という仮説は間違いなのです。「フード左翼という1つの集団があり、それに共感する人もいれば、関心を持たない人もいる。」という説明なら成り立りますが、「食で2つの思想が対立する」との仮説は間違っています。
おそらく本当は先生も自説の欠点に気がついているのでしょう。なぜなら、フード左翼と命名した人たちの論理構造や歴史については詳しく研究しているものの、フード右翼と命名した人たちについてはp127で「最大多数派の日本人」と告白しています。「最大多数派の日本人」=サイレントマジョリティを、右翼と命名した時点で論理破綻です。そしてフード右翼についてほんのわずかなページしか論考が記されていません。共通項がない人の寄せ集めだから論考できないのです。
そして、本の結末(210ページ)まで読むと分かるのですが・・・・実は清水先生自身が、担当編集者(朝日新聞出版社員の二階堂さん)に、特定のレストランを取材先に勧められて通ううちに「フード左派への転向」をしてしまった、と吐露してるんです。そうでなくても文章のあちこちに「本当は自然食やマクロビを勧める本を作りたかったけど、ストーリーを盛り上げるには敵対する組織が欲しいので、無意識のうちにもう一つの「極」を創作してしまった。」という切ない心情が垣間見える本です。
だから、心ある学者はこの本に感心しなかったわけです。
ここで紹介したいのがトマ・ピケティの「バラモン左翼」論です。(Brahmin left vs Merchant Right. Thomas Piketty, March 2018)
ピケティの指摘は刺激的です。バラモン左翼とはピケティ本人によると、ご意見が高尚過ぎて現実から浮いてる左翼、という皮肉だそうです。
従来貧しい方々を味方していた欧米諸国の左派が、インテリ化して環境問題などを議論したあげく現実離れしたことを言い出して、中間層や貧しい人たちを味方しなくなった、というのが論文の主旨です。身近な話を引き合いにかみ砕いて説明すると、「例えば、環境のために肉や魚を食うな。代替肉とビーガンを推奨しろ~。」と個人の嗜好に縛りをかけ、「全体を護るためには個人の自由は制限しろ」と唱える人などが該当します。
ピケティによると、バラモン左翼が全体主義に近い態度をとった結果、「経済的繁栄のために個人の自由を制限すべきだ」と考えるビジネスエリート右翼と利害が一致してしまったということです。
これを身近な例でわかりやすく説明すると、こういうことです。バラモン左翼の勧める活動を、ビジネスエリート右翼が具体的な商品や投資ファンドにして「これは良い物だから、子どもから老人まで国民はみんなこれを買うべきだ。学校もこれを導入しろ。買わないやつは不道徳だ。」と圧力をかければ、ビジネスエリート右翼が儲かります。バラモン左翼はビジネスエリート右翼に感謝し、お友達になります。
結果、右も左も結局同じ全体主義的発想に陥ってしまい、サイレントマジョリティの中間層と貧困層は取り残されてしまいました。
日本もほぼおなじ構図に陥っています。明日食べる食事にも事欠く人たちが大勢いるのに、科学的根拠の無い健康法の講演会やイミフの資材を学校給食や食育で取り入れるよう圧力をかけて「多少税金が余計にかかるとしても良いことだから。」などとおっしゃるフード左翼は日本にもたくさんいるのでうんざりします。その余裕が税金にあるなら、給食の回数を朝や夕方にも増やして、おなかをすかせている子どもたちに食事をさしあげたいものです。
しかも、日本のフード左翼はしばしば「伝統食に回帰しよう。日本人は米飯と味噌を食ってりゃ栄養的に十分だ。」という科学的に間違った説を唱えて、本物の右よりの人や歴史修正主義者とお友達です。「和食が一番良い♪洋風の物を給食から追放しましょう。」論法でフード左翼と歴史修正主義者が呉越同舟して講演会開いているのも見たことがあります。これは、多様性を認めない全体主義の始まりです。
食物を政治に利用しないでほしいと切に願います。
なぜ「使えない」かを一般の方に説明するのが大変なので、ブログに書くのは避けていたのですが、最近、この本に疑いを持たず「私はフード左翼ですから。フード右翼は嫌い。」と言う方が出始めたので、日本の将来が少々心配になりました。そこで今日はこの本の良い点と間違いを書きます。なお、私は右でも左でもありません。
結論を言うと。
1:提唱された「フード左翼・右翼」概念のうち、フード右翼はほとんど実在しない。
2:フランスの経済学者トマ・ピケティの「バラモン左翼」論から論考すれば、フード左翼はバラモン左翼の一種であり、その本質はインテリによる弱者切り捨て。
では、詳しい説明に入りましょう。
「フード左翼とフード右翼」は、初版の帯に「政治思想を食で見抜く」と書かれてある通り、「実は日本人の食の思想が2極化しており、それが政治思想を反映している」と主張した本です。清水先生によると
「フード左翼」に分類されるのは自然食・ベジタリアン・有機野菜・ビーガン・スローフード運動・マクロビオティックなどを好む人であり、
「フード右翼」はメガフード・遺伝子組み替え作物・牛丼つゆだく・ファストフード・水道水・B級グルメ、ジャンクフード・コンビニなどを好む人だとされています。
この本の価値は、フード左翼が政治的左派運動から生まれた歴史を記した部分です。ここは労作で読むべき価値があるが、問題は「フード右派」に分類されている項目の奇妙さです。
清水先生は、著書の23ページなどで、フード左翼は地域主義と健康志向であり、フード右翼はグローバリズムとジャンク志向(安さ・量重視)だから両者は対立だ、と主張しました。でも・・・勘の良い方ならそろそろ気がついたと思います。
先生が「フード左翼」と述べた人たちはその多くが重なる人間であり、「地球環境と健康と世直しのため」と大義を掲げてその食品を意識的に選択していますが、方や「フード右翼」とされた人たちは、主義主張のない普通の大衆です。グローバリズムを歓迎してもないし自ら願ってジャンクを志向する人もそんなにいません。
例えば、水道水を意識的に好む人はまれでしょう。単に家の設備が水道水だから水道水を飲んでいるに過ぎません。同様に、そのほかの食品も共通項がありません。低い給料で働いてジャンクフードでおなかを満たさざるを得ない人、おいしいものを食べるのが生きがいのB級グルメ、推しアニメコラボ商品を探してコンビニに通う青年、単に食べ物に関心が無い人・・・・ほら、全然違う人たちがごたまぜでしょ。
つまり、先生が「右」と付けた食品を食べる人たちは実は、政治思想に関心のない普通の人の寄せ集めです。それ故「食の思想が政治思想に呼応して2極化している」という仮説は間違いなのです。「フード左翼という1つの集団があり、それに共感する人もいれば、関心を持たない人もいる。」という説明なら成り立りますが、「食で2つの思想が対立する」との仮説は間違っています。
おそらく本当は先生も自説の欠点に気がついているのでしょう。なぜなら、フード左翼と命名した人たちの論理構造や歴史については詳しく研究しているものの、フード右翼と命名した人たちについてはp127で「最大多数派の日本人」と告白しています。「最大多数派の日本人」=サイレントマジョリティを、右翼と命名した時点で論理破綻です。そしてフード右翼についてほんのわずかなページしか論考が記されていません。共通項がない人の寄せ集めだから論考できないのです。
そして、本の結末(210ページ)まで読むと分かるのですが・・・・実は清水先生自身が、担当編集者(朝日新聞出版社員の二階堂さん)に、特定のレストランを取材先に勧められて通ううちに「フード左派への転向」をしてしまった、と吐露してるんです。そうでなくても文章のあちこちに「本当は自然食やマクロビを勧める本を作りたかったけど、ストーリーを盛り上げるには敵対する組織が欲しいので、無意識のうちにもう一つの「極」を創作してしまった。」という切ない心情が垣間見える本です。
だから、心ある学者はこの本に感心しなかったわけです。
ここで紹介したいのがトマ・ピケティの「バラモン左翼」論です。(Brahmin left vs Merchant Right. Thomas Piketty, March 2018)
ピケティの指摘は刺激的です。バラモン左翼とはピケティ本人によると、ご意見が高尚過ぎて現実から浮いてる左翼、という皮肉だそうです。
従来貧しい方々を味方していた欧米諸国の左派が、インテリ化して環境問題などを議論したあげく現実離れしたことを言い出して、中間層や貧しい人たちを味方しなくなった、というのが論文の主旨です。身近な話を引き合いにかみ砕いて説明すると、「例えば、環境のために肉や魚を食うな。代替肉とビーガンを推奨しろ~。」と個人の嗜好に縛りをかけ、「全体を護るためには個人の自由は制限しろ」と唱える人などが該当します。
ピケティによると、バラモン左翼が全体主義に近い態度をとった結果、「経済的繁栄のために個人の自由を制限すべきだ」と考えるビジネスエリート右翼と利害が一致してしまったということです。
これを身近な例でわかりやすく説明すると、こういうことです。バラモン左翼の勧める活動を、ビジネスエリート右翼が具体的な商品や投資ファンドにして「これは良い物だから、子どもから老人まで国民はみんなこれを買うべきだ。学校もこれを導入しろ。買わないやつは不道徳だ。」と圧力をかければ、ビジネスエリート右翼が儲かります。バラモン左翼はビジネスエリート右翼に感謝し、お友達になります。
結果、右も左も結局同じ全体主義的発想に陥ってしまい、サイレントマジョリティの中間層と貧困層は取り残されてしまいました。
日本もほぼおなじ構図に陥っています。明日食べる食事にも事欠く人たちが大勢いるのに、科学的根拠の無い健康法の講演会やイミフの資材を学校給食や食育で取り入れるよう圧力をかけて「多少税金が余計にかかるとしても良いことだから。」などとおっしゃるフード左翼は日本にもたくさんいるのでうんざりします。その余裕が税金にあるなら、給食の回数を朝や夕方にも増やして、おなかをすかせている子どもたちに食事をさしあげたいものです。
しかも、日本のフード左翼はしばしば「伝統食に回帰しよう。日本人は米飯と味噌を食ってりゃ栄養的に十分だ。」という科学的に間違った説を唱えて、本物の右よりの人や歴史修正主義者とお友達です。「和食が一番良い♪洋風の物を給食から追放しましょう。」論法でフード左翼と歴史修正主義者が呉越同舟して講演会開いているのも見たことがあります。これは、多様性を認めない全体主義の始まりです。
食物を政治に利用しないでほしいと切に願います。