科学ジャーナリストとして著名な松永和紀氏が、FOOCOM.NETというサイトのコラム「編集長の視点」1月8日号に、とても気になるコラムを掲載しました。和食に含まれる無機ヒ素に発がん性の恐れがある、と(http://www.foocom.net/column/editor/13651/)。(なお、本日のブログでは、和食とは伝統的な食材から作られた、和のイメージの食事の事ですので、ラーメン等は含めません。)
無機ヒ素の主な摂取源はヒジキとお米で、食品安全委員会や農水省などもしばらく前からお米やヒジキに含まれる無機ヒ素について注意喚起していたそうです。しかし、日本のジャーナリズムは、ソーセージやベーコンにはあれほど大騒ぎしたのに、ヒジキについてはずっと無視し続けたのです。これが松永先生の主張する「メディア・バイアス」の典型例でしょう。
食品安全委員会のQ&Aを、松永先生が易しく解説した文章を以下に引用します。
「私(注:松永先生。)なりに日本人の摂取量データや、そのほかの論文等も参照しながら意訳すると、「米をたくさん食べる人、それにひじきを『健康に良い』などと信じて毎日食べたり、健康食品として摂取したりしている人の中には、がんを懸念される量食べている人がいますよ」ということです。」
・・・なかなか怖い話ですね。お米を沢山食べ、かつヒジキを毎日食べるような食生活をしている人というと、伝統的食事が一番身体に良いと信じている人達が思い浮かびます。その中には伝統食「もどき」である「食養」「マクロビ」「身土不二」などをモットーとしている人達も数多く含まれることでしょう(これらが実は伝統食ではないことも過去のブログで紹介しました)。これらの食事はやはり、あまり身体に良いとは考えられません。
ところで過日、さる分野の全国的女性団体の年に一度の大会で、茨城県在住の著名な食育指導者が、「食の欧米化の結果、がんなどが増加した。健康的な生活を取り戻すために伝統的食事に戻るべきだ。」と講演しました。しかしこの話は単純な統計トリックです。そのトリックとは?
多くのがんは、長生きすればするほど罹患の確率が上がるのですが、一方、第二次世界大戦後まもなくまでは、栄養不足で脚気や結核などになって早死にしていたので、がんに罹るまで長生きできる人は少数でした。昭和40~50年代は和食などに起因する塩分の取りすぎで脳卒中などで壮年期に無くなる方が多かったのです。だから昔はがん患者が少なかったのです。
和食で塩分取りすぎ、の実例をお話すると、昭和50年代にはお弁当のおかずの塩鮭にしても、表面に塩が真っ白に吹いているものがよく売られていました。この頃に小学校の担任の先生は、「今時の塩鮭は甘塩でいやだねえ。昔はもっとしょっぱかったのに。」とこぼしていました。それぐらい、かつては強烈な塩味が好まれていたのです。
そういうわけですから、伝統的食事の健康性を強調する食育には、懐疑的になるのが大事です。残念なことに上記の食育指導者の講演は大勢の参加者が鵜呑みにしてしまいました。全国各地から参加した受講者はそれぞれの地方に帰郷した後、事務局に「感動しました!子ども達の健康のために伝統食を指導します。」と熱狂的な内容の手紙を送ってきたということです。子ども達の健康がかえって害されるのが心配です。
現代において伝統食を伝える意義はなんでしょうか。たとえば、糧飯(かてめし)やそば、雑穀料理などのように、お米が少ししか食べられなかった歴史的記憶の染みついた食品があります。魚料理にしても、山間部では年に数えるほどしか魚が食べられなかったことなどから、お祝いの日の「行事食」として大切にされてきたのです。つまり、地域地域の伝統食には、昔の人々の喜び悲しみ、様々な複雑な思いや辛い記憶が染みついているのです。和食を大切にしたい、そのためには、負の記憶も含めて、まるごと後世に伝えていくのが大事ではないかと思います。大切な私達のご先祖の記憶が風化する前に。
無機ヒ素の主な摂取源はヒジキとお米で、食品安全委員会や農水省などもしばらく前からお米やヒジキに含まれる無機ヒ素について注意喚起していたそうです。しかし、日本のジャーナリズムは、ソーセージやベーコンにはあれほど大騒ぎしたのに、ヒジキについてはずっと無視し続けたのです。これが松永先生の主張する「メディア・バイアス」の典型例でしょう。
食品安全委員会のQ&Aを、松永先生が易しく解説した文章を以下に引用します。
「私(注:松永先生。)なりに日本人の摂取量データや、そのほかの論文等も参照しながら意訳すると、「米をたくさん食べる人、それにひじきを『健康に良い』などと信じて毎日食べたり、健康食品として摂取したりしている人の中には、がんを懸念される量食べている人がいますよ」ということです。」
・・・なかなか怖い話ですね。お米を沢山食べ、かつヒジキを毎日食べるような食生活をしている人というと、伝統的食事が一番身体に良いと信じている人達が思い浮かびます。その中には伝統食「もどき」である「食養」「マクロビ」「身土不二」などをモットーとしている人達も数多く含まれることでしょう(これらが実は伝統食ではないことも過去のブログで紹介しました)。これらの食事はやはり、あまり身体に良いとは考えられません。
ところで過日、さる分野の全国的女性団体の年に一度の大会で、茨城県在住の著名な食育指導者が、「食の欧米化の結果、がんなどが増加した。健康的な生活を取り戻すために伝統的食事に戻るべきだ。」と講演しました。しかしこの話は単純な統計トリックです。そのトリックとは?
多くのがんは、長生きすればするほど罹患の確率が上がるのですが、一方、第二次世界大戦後まもなくまでは、栄養不足で脚気や結核などになって早死にしていたので、がんに罹るまで長生きできる人は少数でした。昭和40~50年代は和食などに起因する塩分の取りすぎで脳卒中などで壮年期に無くなる方が多かったのです。だから昔はがん患者が少なかったのです。
和食で塩分取りすぎ、の実例をお話すると、昭和50年代にはお弁当のおかずの塩鮭にしても、表面に塩が真っ白に吹いているものがよく売られていました。この頃に小学校の担任の先生は、「今時の塩鮭は甘塩でいやだねえ。昔はもっとしょっぱかったのに。」とこぼしていました。それぐらい、かつては強烈な塩味が好まれていたのです。
そういうわけですから、伝統的食事の健康性を強調する食育には、懐疑的になるのが大事です。残念なことに上記の食育指導者の講演は大勢の参加者が鵜呑みにしてしまいました。全国各地から参加した受講者はそれぞれの地方に帰郷した後、事務局に「感動しました!子ども達の健康のために伝統食を指導します。」と熱狂的な内容の手紙を送ってきたということです。子ども達の健康がかえって害されるのが心配です。
現代において伝統食を伝える意義はなんでしょうか。たとえば、糧飯(かてめし)やそば、雑穀料理などのように、お米が少ししか食べられなかった歴史的記憶の染みついた食品があります。魚料理にしても、山間部では年に数えるほどしか魚が食べられなかったことなどから、お祝いの日の「行事食」として大切にされてきたのです。つまり、地域地域の伝統食には、昔の人々の喜び悲しみ、様々な複雑な思いや辛い記憶が染みついているのです。和食を大切にしたい、そのためには、負の記憶も含めて、まるごと後世に伝えていくのが大事ではないかと思います。大切な私達のご先祖の記憶が風化する前に。