タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

和食の基本は一汁三菜?消費者不在の議論。

2021年04月18日 | Weblog
このブログで以前読者のみなさんに相談した通り、国の新しい食育基本計画では、「食育指導の中心は一汁三菜(米飯に汁物を1椀、菜つまりおかずを3品出すこと。)の和食」となりました。

和食とは本来様々な食事、地方料理(寿司やそばや鍋など)、行事食(おせちや七草、豆まき、端午の節句の柏餅、冬至カボチャなど)を含めたものでした。その中でも特に地域性の高い地方料理や行事食は消えつつあるので、保存のためにユネスコに和食を登録した訳です。それなのに言い出しっぺの日本政府が、地方文化の多様性を切り捨てて一汁三菜の鋳型に和食を閉じ込めるなんて言い出したから、こうしてブログに書いてます。

パブコメしてもやっぱり、少なくとも今後5年間は一汁三菜が基本だと指導されることになりました。国が国民の食事のお皿の数まで決めることは、「下着は白に限る。」というブラック校則より変です。

でもどうか肩を落とさないで聞いてください。4月4日に、食育分野で大変有名な管理栄養士の成田崇拝信先生がyahoo!ニュースに「新しい食育推進基本計画は本当に子どものための食育を考えているのか?」という記事を書きました。これを読んで、すっごく感動しました。私がこのブログで書いてたより、はるかにわかりやすく要点をまとめて今回の基本計画の矛盾を指摘しています。

成田先生の指摘の要点は次の3点だと思います。(1)まずユネスコと日本政府が約束した内容と食育基本計画の中身が違うではないか、(2)そもそも一汁三菜が基本という説に根拠がない、そして(3)地産地消重視では学校給食が成り立たない地域もあるため子どもたちや給食関係者にしわ寄せが行く。
どこを見ても重大な提案です。そうですよね。国際社会に向かって伝統文化の多様性を守ると約束したのに国民には鋳型にはめた食事を指導して、その結果学校給食の現場が混乱し、関係者が疲弊するなんて・・・。本当に子どもたちのためを思うなら、この食育基本計画が本当によいことなのか大人たちは真剣に考え直すべきでしょう。成田先生が子どもたちの将来を心配しておっしゃったことに、多くの方が耳を傾けてほしいと思います。

成田先生だけではありません、日本経済新聞と土井善晴先生が、最近の食育はおかしいと気がついて、先週月曜から金曜まで夕刊2面で「食の基本は一汁一菜」という連載をしました。国が国民の箸のあげおろしにまで言及し始めた風潮への痛烈な反論で、土井先生の誠実な人柄に心打たれました。ただ、この記事については賛同するところが多いものの、3点、重要な危険性があるので、そのことも書かせてください。

土井先生が「食の基本は一汁一菜」と考えた理由は、栄養バランスがとれて手軽な家庭料理を目指すなら、おかずを3つにするのは無理ではないかと疑問を持ったからだそうです(4月16日金曜日記事より)。この疑問点にものすごく同意します。仕事帰りでくたくたになっているのに国から3つおかずを作れと言われたらキれる人も多いでしょう。また、土井先生の文章からは、高齢の一人暮らしの方への配慮もにじみでており、先生の優しさにじんわりきました。

でも、ごめんなさい。土井先生の疑問については同意しますが、問いの解は「一汁一菜」で本当にいいのでしょうか。茶碗に盛った米飯と味噌汁とおかず、と形式にこだわる理由がわからないんです。牛丼でもロコモコ丼でもいいじゃないか、味噌汁じゃなくてコンポタや野菜ジュースでもいいじゃないか・・・と疑問がわきます。

そして、今の国の食育および土井先生の問題意識には、次の2つが欠落していると思うのです。(1)そもそも料理を作らなきゃだめなの?(2)コロナで経済的に困っている人が多いのに、多忙で一人暮らしの人が手作りしたらかえってお金がかかりますよ?この2点です。コロナの現状の中では、行政が、おいしくて栄養があって安価な給食を経済的困窮層に届けるのも大事な食育だと思うのですよ。

そして(3)土井先生は日本の家庭料理は一汁一菜だったと記事で指摘していますが、私の調べたところではそれも違いました。お金のある家庭では菜が5菜も6菜もあった一方、お金の乏しい家では菜がなかったのです。農村部となると、1つの鍋でごはんと野菜を煮込んで食べていた地方も多かった。

戦時中の東京の家庭料理が一汁一菜だったので、土井先生は「かつての家庭料理は一汁一菜だった」と誤解されたのでしょう。ただ、一汁一菜が戦争中に目立った理由は、当時の国策で国民の消費量をコントロールするためだったという説も。

例えば石下直道先生が監修して熊倉功夫先生が責任編集した「講座食の文化第二巻 日本の食事文化」p390で豊川裕之先生がこう記しています。
「国策として「一汁一菜」の倹約が奨励されたのは昭和一三年(一九三八)であった。全国民がこれを遵守したとは考えられないが、風雲急を告げる国際情勢のなかで国の指導者たちが戦時体制を醸成するなかで、徐々に庶民の食卓は厳しいものになっていったのである。」

一汁一菜が国策だったことなども考えると、「一汁何菜が基本だろうか?」と問うこと自体がもうすでに、そばやうどんをやめてお米を主食にしてくださいという国のお願いに屈しているのです。それで、国に伺うのですが、そんなに国民にお米を食べさせたいなら牛丼でも寿司でもフォー(お米の麵)でもいいじゃありませんか。なんで一汁三菜という形式にこだわるのでしょうか。新型コロナの流行でみんな苦しんでるんです。子どもたちや私たち消費者を置き去りに、形式ばかりこだわる食育を続けるのは、そろそろ考え直してください。

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