タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

決定版!これが正しい一汁三菜だ!

2024年03月31日 | Weblog
このブログではこれまで数回にわたり、農水省の食育を指導している某服部先生の、「和食の基本は一汁三菜で、これを食育の基本としましょう。」という主張が歴史的に間違っていることをお伝えしておりました。
本論に入る前に、改めて繰り返しますが、今までの私の主張はこうです。

・平安~江戸時代にかけて、和食の基本を一汁三菜だと記した書物がない。
・千利休が創設した茶の湯の懐石料理は一汁三菜が基本だが、「ティーセレモニーに客人を呼ぶ時の簡素な食事」設定なので、普段の食ではない。
・いろいろな学者も調べたが和食の基本を一汁三菜と断定するに足りる証拠がない。
・江戸時代に本膳料理(ごちそう)の分野で一汁三菜、二汁五菜などがあったが、あくまでもパーティー料理なので、日常の食と接点がない。
・江戸時代の大名や有名人も一汁二菜等の記録がよく見かけられる。
・明治から昭和初期の普通の人の食事は一汁一菜。良くて二菜。
・日本で一番専業主婦が多かった1970年代でさえ一汁二菜が普通だったのに、いったいいつの時代に誰が一汁三菜なんて手のかかる料理を担っていたんですか。
・昭和後半に栄養学で一汁三菜を勧める声があったが「スープやおかずは洋風でも良くて、ごはんを中心に和洋中の料理を食べて栄養バランスを取ろう」という指導だった。だから和食の基本ではない。
日本政府が和食をユネスコに登録申請した時も一汁三菜という言葉は一切使っていない。
・「和食の基本は一汁三菜だ」という言葉は2014年頃突然農水省の記録に掲載され、翌年のミラノ万博日本館で展示された言葉。

さて、やっと、戦前の貴重な資料を発見してしまいました。昭和5年(1930)に発行された「嫁入叢書 礼法編(実業之日本社)」という本の中に「正しい一汁三菜」の記載があったのです!!本日はこれを皆さんに紹介しましょう♪

その前にご注意!この本は、社交界や舞踏会のお作法などを記した、ハイソサエティ向けの本なので、そういう本で一汁三菜について事細かに盛り付け型や提供の仕方を図解、順番を説明していることはつまり、ハイソサエティのご家庭でも一汁三菜はまれなことだった訳です。
そんな食事がどうして日本の国民のスタンダードなんでしょうかね?

さて、著作権も切れているので国会図書館から入手した写真を紹介します。

ごらんの通り、正しくはお膳が3つもあるんですよ。しかも、最初にお茶とお菓子を出して、召し上がっていただいてから、お吸い物のお膳だけを先に出すのです。

お吸い物も召し上がっていただいてから、初めて、ごはんやおかずの乗っている二つのお膳を出すのです。おかずのバリエーションは必ず「なます+平+焼き物」です。なますは酢の物か和え物、平は煮物、焼き物や焼き魚などです。
この三種の調理法で一汁三菜となるため、そのほかの調理法(例えば油で揚げる天ぷらとか蒸し物とか)は正式な一汁三菜になりません。
服部先生は食育で一汁三菜を広めると言うのですがすると天ぷらも茶碗蒸しも郷土食豊かな鍋料理なども全部アウトですね。正式な一汁三菜は郷土料理・地方料理を破壊する怖い料理だと判明しました。じゃじゃ~ん(恐怖音楽のメロディを頭に思い浮かべてみましょう♪)
 


さて、ごはんとおかずのお膳が出たらどうするかというと、最初にお米を二口食べてから汁物をいただきます。そしてなますを食べてからお米を食べて、次に平をいただきます。焼き物のお膳はこの後に食べられます。

以上が、昭和初期の正しい一汁三菜の食べ方です。

で、くどいですがこれは、社交界デビューする若奥様向けの本でして、そんな本で手取り足取り一汁三菜を説明しているということは、ハイソサエティのお嬢さんたちでさえもお嫁入りするまで正しい一汁三菜を知らなかったわけです。知らないということはつまり、普段はハイソ家庭でもお父さんが娘たちの目の前で一汁三菜を食べなかったということになります。
男尊女卑の時代、妻が一汁三菜を主人と客人に差し出すシステムだから、結婚するときに初めてその知識を仕入れる必要があったのです。

そんなマニアック料理ですからましてや一般庶民には全く縁の無い話だったという訳です。

服部先生って本当に食育の専門家なんですか。

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