PSW研究室

専門職大学院の教員をしてる精神保健福祉士のブログ

新保祐元氏、逝く…

2009年07月31日 20時12分40秒 | PSWのお仕事
新保 祐元さんが、2009年7月27日、亡くなりました。
享年、まだ62才。
癌でした。

東京成徳大学の教授というのが、最後の現職ということになります。
でも、僕からすると、「大学の新保先生」というイメージは、あまり馴染みがありません。
50歳で大学院に進学し、修士号をとり、その後教員になったのですから「大学の先生」には違いないのですが…。
どちらかと言うと、研究者というよりは実践家、社会改良運動家というイメージです。

天台宗正光寺の住職であった新保さんは、社会福祉法人創志会をつくば市に立ち上げました。
つくばライフサポートセンターの設立は、茨城県内での精神障害者リハビリテーションに一石を投じたと思います。
県の研修会に呼ばれて、お話しをしに行ったことがあります(1999年)が、その仕掛け人は、どうやら彼だったようで。
会場で、精神保健福祉センター長と待っていてくれたのは、新保さんでした。
「茨城は、まだまだね…、遅れていてね…」と、ぼやいておられました。

僕の記憶に強く残っているのは、やはり「全精社協の新保さん」です。
全国精神障害者社会復帰施設協会を、谷中輝雄さんや寺田一郎さんらと立ち上げたのは1990年でした。
その後、1994年には協会は社会福祉法人になり、この国の精神障害者の社会復帰施策を牽引してきました。
精神保健福祉士法ができてからは、現任者講習会でもたくさんお世話になりました。

「全精社協の新保さん」とは、精神保健従事者団体懇談会の会合で、よくお会いしていました。
クリクリッとした目で「これから、また厚労省に行くんだよ~」と言ってました。
精神保健福祉法の改正(1994年)前だったと思います。
精神障害者地域生活支援センターが、どのように法内施設として描けるかどうかの瀬戸際だったのだと思います。
将来の相談支援機関としての役割も視野に入れながら、彼は行政にプランを提示していました。
その後の地域活動支援センターに至る原型を、新保さんは作ろうとしていました。
作業等を「する」場所(to do)ではなくて、誰もが「いる」(to be)場所を、地域に作ろうとしていました。
地域生活支援センターは、彼の不眠不休の努力なしには、できませんでした。
僕としては、これはとても大きな彼の仕事だったと思っています。

「全精社協の新保さん」が、大きな債務を背負い込んだのは、2007年4月のことです。
1996年に全家連がオープンさせ、その後破綻した「ハートピアきつれ川」が、全精社協に委譲されました。
厚労省の天下り先としてできた「きつれ川」は、やはり鬼門と言わざるを得ません。
委譲を受ける際にも、新保さんは苦渋の選択を迫られていました。
僕があっさり「やめた方がいいんじゃ…?」と言うと、顔を曇らせていました。
「危なっかしいけど、でもね、誰かが引き受けないとね…。
 このままじゃ、あそこで働く当事者たちが、救われない…」
でも、2年後、1億円の負債を抱えて「きつれ川」は閉鎖。
全精社協存続のピンチに至る経緯と機を一にして、新保さんの身体の中で病魔が進行していました。

僕が知る限り、新保さんが、最初に身体の不調を訴えられたのは、昨年の7月頃でした。
喫煙コーナーで、一緒に煙草を吸いながら、腹をさすっていました。
「なんかね、おかしいんだなぁ」
「下痢が続いていて、止まらないんだよね~」
でも、地元の病院では、検査をしても特に異変が見つからなかったとのことでした。

9月には、日本社会事業大学のPSW課程10周年記念式典でお会いしました。
少し痩せたように見えました。
来賓なのに、会場の一番後ろの出口側に座っていました。
前の方の席にご案内しようとすると、
「いや、トイレに近い方がいいんで…。
 申し訳ないけど…。どうぞ気にしないで下さい」と丁寧に断られました。
体調が悪くても、人との約束は守り、役割意識と責任感の強い方でした。

膵臓癌が見つかったのは、慶応大学病院を受診してからのようです。
12月17日にお見舞いに行くと、ベッドの上であぐらをかいておられました。
「癌だっていうから、さすがに最初はビックリして、めげたけどね。
 放射線ですっかり癌も小さくなって、元気なんだよ、すっかり。
 お見舞いに来て貰って、申し訳ないけどね、こんなに元気じゃ。
 薬のんでいるだけで、退屈だし、もう退院しようと思ってね。
 検査だけちゃんと来るからって約束で、先生に退院を認めてもらったよ」
と、笑顔で話していました。
奥さんと息子さんは
「言い出したら、聞かなくて…。一人で決めちゃうんですよ」
と苦笑していました。
「せっかくの機会だから、ゆっくりお休みになれば…?」と僕が言っても、
「いやぁ、病院じゃ、気持ちも休まらない。仕事していた方が良いよ」と新保さん。
「新保さんは、エネルギッシュに動き回ってないと失速しちゃうんじゃないですか?」と軽口を叩くと
「そうそう、そうみたいだよ。僕は動き回っていないとダメみたいだ」とアハハと笑っておられました。

それから半年、最後にお会いしたのは、6月3日の精神保健福祉士試験委員会総会。
大層やつれておられ、歩くのも辛そうでした。
お声をかけると「あぁ…、ご苦労様」と会釈をして下さいました。
「大丈夫ですか?無理しないで下さいね」と話すと
「まぁ、これだけはね…、なんとか、やらないと…」と使命感をにじませておられました。
この時には、既に余命宣告がなされていたらしいことを、後でお聞きしました。
ご自分の「最期の仕事」という意識で、副委員長席に着いていたのでしょうか…。

いつも、やさしく穏やかでありながら、時に鋭い眼光を放った、新保さんでした。
いつも、誰に対しても、丁寧な言葉で、礼節を保っていた、新保さんでした。
いつも、エネルギッシュに困難に立ち向かい、多くの改革を成し遂げた、新保さんでした。

ある講演で、新保さんは、こんな風に語っています。
「仏教の根幹は明日への希望を失ってはならないという教えです。
 人それぞれが、その人なりに夢を抱ける社会であってほしいという願いは、全ての人にとって共通のものです」
また、「学びを深めるということは、自分の生き方を求めることから始まります」とも述べています。
大学のホームページの、学生に向けてのひとことメッセージです。
新保さんの目まぐるしい活動の軌跡もまた、彼自身の生きる道を求めての軌跡だったのかも知れません。

ちなみに、新保さんの「人生の楽しみ」は、「あたりまえの風景に感動する」ことだったそうです。
今、どんな風景に感動しておられるのか…。
未だに、新しい風景を求めて、動き廻っておられるような気がしてきますが。
せめて、重荷を背負うのではなく、心軽やかな旅立ちであって欲しいと願います。

合掌


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新保 祐元 (しんぽ ゆうげん)氏

◆略歴

1946年 群馬県生まれ
1969年 日本福祉大学社会福祉学部社会事業学科卒業
1999年 大正大学大学院文学研究科修士課程修了(社会福祉学修士)
現職  東京成徳大学 人文学部福祉心理学科 教授
    社会福祉法人創志会 理事長
    天台宗正光寺住職

◆専門

精神保健福祉論(精神障害者福祉、障害者施策、自立支援活動、社会福祉実践など)

◆社会貢献(関係団体・学会における役職歴等)

全国精神障害者社会復帰施設協会(顧問・理事長・専務理事・事務局長を歴任)
精神保健福祉士国家試験委員会(副委員長)
日本精神保健福祉士養成校協会(理事)
日本精神保健福祉士協会(理事)
日本精神障害者リハビリテーション学会(常任理事)
日本病院・地域精神医学会(評議員)
日本福祉心理学会(理事)
日本社会福祉学会
日本学術会議精神医学研究連絡委員会(協力委員)
厚生労働省中央障害者施策推進協議会(委員)
厚生労働省社会保障審議会障害者部会(委員)
精神障害者社会復帰施設の拡充を求める中央実行委員会(委員長)
精神保健従事者団体懇談会(委員)
茨城県社会福祉審議会(委員)
茨城県精神保健福祉審議会(委員)
京都医療福祉専門学校(非常勤講師)
など

◆著書・論文等(共著・分担執筆を含む)

精神障害者福祉としての障害規定試論(1992:「病院地域精神医学」誌)
社会復帰施設の現状と課題(1995:メヂカルフレンド社「医療95」)
精神障害者生活支援センターの実際(1996:中央法規)
精神障害者社会復帰施設ー援助の枠組みと施設運営のガイドブック(1998:やどかり出版)
精神保健福祉士の基礎知識(1998, 改訂版2000:中央法規)
福祉心理学(2002:ブレーン出版)
精神障害者生活支援の体系と方法(2002:中央法規)
精神科リハビリテーション学(2002:中央法規)
精神障害リハビリテーション学(2000:金剛出版)
精神保健福祉援助技術総論(2003:中央法規)
精神保健福祉論(2003:中央法規)
医業経営用語事典(2003:日本出版)
精神障害者の自立支援活動 ― 生活支援の原点と自立支援法の実践課題(2006:中央法規)
スタートライン臨床福祉学(2006:弘文堂)
精神障害者生活支援サービスの実態と自立支援法への移行プログラムに関する研究(2005-2006:共同研究)




※新保さんの画像は、社会福祉法人創志会ホームページからお借り致しました。

※ご遺族の方々、略歴等が間違っていたら、ごめんなさい。
 また、この記事がお気に障るようなことがあったとしたら、お許し下さい。
 故人の生きる姿勢から、多くを学ばせて頂きました。
 故人のご冥福を、心よりお祈り致します。