聖書に学ぶ神のみことば

teacherが感じ、思ったことなどをいろいろと綴ります。聖書の一節をちょっと添えて。

聖書通読part10 死刑判決に思う~第二テサロニケを読んで~

2006-01-18 00:05:47 | 聖書通読
そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。(第二テサロニケ1:9)

 今日、M被告が17年もの年月に渡る裁判の最終判決を受けた。「死刑」。つまり国家が人を「合法的」に殺すという判決である。自分を人道主義者だなどと全く考えていないけれども、僕は死刑に反対である。いかなる冷酷非道な犯罪を犯した者にも死刑は赦されないと考えている。人が人を殺すという行為そのものが死刑なのだから。
 
 そんな判決をきいて、ふと聖書を読んでみた。第二テサロニケ1:9は、イエス様を救い主とする私たちにとって、極めて正統的なことを確認しているだけの一節ともいえる。「そのような人々」とは、8節にある「神を知らない人々、私たち主イエスの福音に従わない人々」である。

 M被告は、もしかしたら、死刑囚が暮らす拘置所で教戒師の訪問を受け、「神の赦し」について話をされるかもしれない。彼はそこで「改心」するのであろうか。ふとそんなことを思った。
 死刑囚が死刑を待つ期間に、聖書を読むようになるとよく言う。(日本でも)M被告は実は僕と同じジェネレーションである。(もう最終判決は出た。M被告とは呼ばず、M死刑囚というべきなのだろうが・・)たしか昨年死刑台に散ったTもM死刑囚そして僕と同じジェネレーション。この世代はどうしてこうした極端な犯罪に走る蛍傾向があるのだろう。(この世代によるケチな犯罪も多いが)
 僕は思う。この世代は、戦後の高度経済成長による豊かさとそこに至るまでの貧しさもぎりぎり知っている世代なのだ。きっとそのことが犯罪に走る一つの要因ではないかと推察する。この世代の犯罪は、ここ数年、大小を問わずあまりにも多すぎる。

 僕は導かれ、聖書に出会い、神の愛を知ったが、MやTもその機会が与えられていれば・・・阪神大震災の犠牲者を追悼しつつ、そんな複雑な思いで過ごした1月17日の午後であった。

 Mは17年間拘置所で何を思い、過ごしてきたのか?そして死刑台の下に散っていくまでに何を思うのか。聖書に出会ってほしいと思うのだが・・・叶わぬ願いだろうか。心ある教戒師が彼のもとに導かれるよう、僕は祈りたい。

 死刑囚のために祈るなんて、よくないことだろうか。僕は決してそう思わない。

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明日も まいったな~最高気温がマイナス6度だってさ・・(では、最低気温は何度になるの、いったい?この冬の寒さと雪は異常だな~~)


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