思いつくまま

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宮台真司著『14歳からの社会学-これからの社会を生きる君に-』(世界文化社)を読む。

2011年07月30日 21時46分46秒 | 読書
社会学者の宮台真司・首都大学東京教授が中学生のために書いた社会学の本。
この先生の本や講義の内容は非常に難しいイメージがあるので、何かわかりやすいものはないかと探したら、見つかったのがこの本だった。
中学生向けとなっているが、自分にはちょうど良いレベル(それでもわかりにくい部分もあった)だった。
社会学というのは、政治学・経済学と哲学・倫理学の間にあるような感じで、自分の思っていた社会学の本とは少し感じが違った(中学生向けなのだから無理もない)が、いろいろと考えさせられる内容だった。


「みんな」って、今の世の中では誰のことを指すのか?「死」ってどういうこと?「生きる」って?本当の「自由」って手に入るのか?などなどについて書かれていた。

「行為功利主義」、どんな行為をすれば人が幸せになるか。⇔「規則功利主義」、どんな規則が人々を幸せにするか。この2つはしばしば対立する。制服がある学校と無い学校、どちらが良いか。
「主意主義」、この世には不条理や理不尽で満ちている。⇔「主知主義」、人間の知識はすべてをおおえる。
社会学は主意主義、意思を出発点にする。「意思」があるからこその人間。
どんなに社会が良くなっても人々が幸せになるとは限らない。幸せとは単純なものではない。お金持ちになっても幸せにはなれない。カネの切れ目が縁の切れ目だったりもする。
「期待水準」と「願望水準」を複素数的に理解する。
理解があって初めて承認される。

大人でもホンネは「しょせんやったもん勝ちさ」、変化した社会は元にはもどらない。過去に戻れって言ってもそれは無理、電車の中などでマナー違反を注意したあと、昔だったらみんなが加勢してくれて、注意された人が引き下がったが今はそうはいかない。「共通感覚」が崩れている。
(先日、名鉄電車の中で女性に絡む男性を注意した韓国人男性が逆にボコボコにされた傷害事件もあった。)
昔は勤勉が美徳だった。キレイゴトにおどらされない、「仕事で自己実現」というのはキレイゴト、会社は慈善事業ではやっていけない。「コンプライアンス」などといくら叫んでみたところで、所詮TOPに逆らえばお払い箱になるのがオチ。
「人のために役立つ仕事がしたい、人に尊敬されたい、それで人並みにお金ももらいたい」なんて、○○議員みたいなのは虫が良すぎる。

「人間」にだけは高い期待を持つべきである。「感染」を与えてくれる人は大切、この宮台先生は、小室直樹、廣松渉、ノーム・チョムスキーに感染した。感染したら卒業し、また新たに感染しって、何度も繰り返すことによって、自分自身も変わっていく。
肩書きはあてにならない。非常事態でパニックになった時に、その人が信頼できる行動を取るかどうか。本当に信頼できるかどうかの判断は保留しておいて、こりゃダメだと思ったときに切ればいい。塾にこそ「スゴイ」教師がいる。

生と死、死があるからこそ自分はここにいる。死は「コミットメント(=熱心なかかわり)」と表裏一体、死を受け入れて、自分を受け入れる。「社会」の中で多くの人に「承認」され祝福されながら死んでいくのは難しくなる。
「世界」は思い通りにはできない。自分の死を悟ったら悪あがきはしない。

「歴史」を学ぶというと、年号を記憶することや、偉人列伝を味わったり、歴史物語に感動することのようにとらえがちだが、学問的な意味は全く違う。
歴史を知るというのは、戦略的にものを考えること、誰にとっての戦略か考えれば、歴史は複数ある。この社会がこの社会であり続けるのは、中身が変わっても形が維持されるから。歴史は流れでとらえる。

まとまりがなくなった。

最後に、先日の宮台真司vs小林武史対談のリンクを貼っておく。
http://ht.ly/5G2ae

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