思いつくまま

思いついたことを書いています。

ビートたけし著『ラジオ北野』(新潮社)を読む。

2012年03月31日 23時23分23秒 | 読書
ビートたけしが、その道の専門家と対談したものが10夜分

1 渋滞学の専門家・西成活裕
 山手線ホーム自体を動く歩道にしてしまえ。
 前の車との車間距離をあけて、スピードの調整をすれば渋滞は起きない。詰め過ぎるから渋滞してしまう。
 サボっているアリが大事、2割以上のアリがサボっているが、そういうアリが新しいエサの存在を見つけてくる。
 わざと渋滞を起こすことにより、客が増えて店が繁盛しだすこともある。

2 昆虫料理研究会代表・内山昭一
 キイロスズメバチはグルタミン酸の味、イナゴダイエット、タガメは柑橘系の味なので、そうめんの薬味にするとよい。セミはエビの食感で、食べるとナッツ系の味がする。

3 化学兵器専門家?・井上尚英
 サリン・VXガス・LSD、オウムの第7サティアン、炭疽菌をビルから散布しちゃマズイよな。

4 国際ボクシング展堂入り・ジョー小泉
 この人は一番興味がなかった。

5 浅草芸人手妻承継者・藤山新太郎
 手を稲妻のごとく素早く動かすから「手妻」、水芸は神々しい

6 バット作りで現代の名工・久保田五十一
 バットには長さや太さの制限がある。イチローも、松井も、落合博光も、高木守道も、ピート・ローズも、マイク・ピアッツァもみんなこの人のバットを使っている・いた。

7 地図と鉄道の専門家・今尾恵介
 歴史的な名前も現在では整理統合されてしまっているが、京都市のように住居表示に関する法律を無視したてい地名を残しているところもある。
 田園調布でなくて田園町府、ダサイたま、南セントレア市は生まれなかった。
 軍事秘密で、地図に載ってないところもあるとか。

8 人間国宝・十四代酒井田柿右衛門&中島宏+阿川佐和子
 化学処理した絵の具は使えない。職人がどんどん減ってしまっている。阿川さんはオマケ。

9 漢字の権威・伊東信夫
 故・白川静 立命館大学名誉教授の『字通』(平凡社)、漢字の成り立ちや意味がよくわかるとのこと。「鬱」の字は上に林の間に缶があって覆って---というふうに覚えていけば、小学生でも書けるようになるというが、自分には無理だな。

10 地震学者・尾池和夫
 この対談は一昨年の秋に行われており、東日本大震災のことは、全く予測していなかったのかも。神戸は、阪神淡路大震災が起こったあとなので、一番安全だとか。緊急地震情報が実用化された経緯がよくわかる。

それにしても、ビートたけちゃん、どんな話題でも深く突っこんでいけるくらい何でもよく知っているなぁ。

年度末はこれで終わり。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

根井雅弘著『サムエルソン『経済学』の時代』(中央公論社)を読む。

2012年03月17日 22時22分22秒 | 読書
ポール・A・サムエルソン(1915年~2009年)の書いた『経済学』、自分の学生時代、経済学部の学生はみんな都留重人さんの訳されたこの分厚い上下2冊の物語のような本を買わされて読んだんだよなぁ。大学に持っていくのも重かったなぁ。英語の原書を読まされていたところもあったなぁ。

この本のタイトルを見て、すごく懐かしくなって、ついつい手に取ってしまった。
もうあの頃勉強したことはすっかり忘れてしまったけど、この本を読んでいると、あぁそうだったなぁと思い出しながら読んでみた。
MIT(マサチューセッツ工科大学)という大学の名前もその頃知って、経済学者なのに工科大学かぁなどとも思ったりした。

理論経済学では、当然のことながら数学を扱うのに、私立文系の経済学部だと国語・英語・社会の3科目しか入試にないところがほとんどだよな。
自分は文系だったけど、もちろん入学試験のために数学も数ⅡBまで勉強したし、大学も一般教養では数学は必須だった。
それでも、この本に微分・積分などが出てくると、微分・積分ってそもそも何をやるものだったのかさえすっかり忘れてしまって、内容には専門性もあってさすがに難しかった。難しいところは飛ばし読みした。
新古典派総合とか、マクロ経済学(ケインズ)とミクロ経済学(新古典派)の統合などということも検討されていたようだ。

サムエルソンの理論にからむ経済学者も多く紹介されており、最初は、やはりジョン・メイナード・ケインズ、『雇用・利子および貨幣の一般理論』通称「一般理論」、J・A・シュンペーター、ケインズとは対立していた自由主義哲学のハイエク、ヒックス=ハンセン図のヒックス、反ケインズで「マネタリズム」のミルトン・フリードマン(『選択の自由』を読んだなぁ)、『ゆたかな社会』や『不確実性の時代』のジョン・ケネス・ガルブレイス、「合理的期待形成仮説」のルーカス、ケインズの愛弟子のジョーン・ロビンソン女史(この人のマクロ経済学の本を教科書でもないのに、自分で買って勉強したなぁ)、カレツキなどの経済学者の理論などもわかりやすく解説されていた。
アメリカのケインジアンは財政面から、不況時には減税や政府支出を増やして財政を赤字にして景気回復させる財政政策を導入したが、景気が回復して財政赤字を増税によって黒字に戻そうと思っても、選挙民や政治家がそれを阻んでしまって実行不可能だというブキャナンや、1980年代に流行った「サプライサイド・エコノミックス」(供給重視の経済学)、これをアメリカの当時のレーガン大統領も取り入れ「レーガノミックス」という言葉さえ使われていたが、結局は巨額の財政赤字だけが残って大失敗だった。

サムエルソン『経済学』、自分の持っているのは第10版、第12版以降はウイリアム・D・ノードハウスとの共著となっているとのことだが、時間があれば再び全篇読破にトライしてみたいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラジオ沖縄からベリカードが届く。

2012年03月03日 01時01分01秒 | その他
沖縄のラジオ放送局では、約20年前にNHK那覇放送局・中波とFM沖縄をEスポ受信して、ベリカードを入手していたが、このラジオ沖縄・864kHz、この局は地元・愛知の東海ラジオ豊橋中継局と同周波数であるため、自宅でどんなに頑張っても聞くことができない局の1つだった。
中継局はFMで放送しているが、出力が100Wと小さくEスポの時期にも聞いたことはなかった。
2月17日(金)沖縄の名護にあるリゾートホテルに宿泊した際に、30分ほど「いつかのラジオDAYS」という地元沖縄の非常にラジオらしいラジオ番組を聞くことができて、受信報告書を送ったところ、9日で返信があった。
非常にサービスが良くて、ベリカードが古いものから最新のものまで何と3枚も入っており、最新のものにフルデータが記入されていた。一番古いのはナショナルPROCEED2600のCM入りの有名なカードだった。
加えて、ご丁寧にこちらでは聞けもしないのにタイムテーブルまで同封されており、返信用に80円切手を入れておいたが、10円追加されて90円での返信となった。
沖縄旅行の良い記念となった。


フルデータ入り



以前使われていたカード、昔は783kHzだった。



古いCM入りの有名なカード


追伸:あの時もう1局受信報告を送った「FMたまん」からも受信報告確認証の返信があったとさ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2月の沖縄は寒かったけど、楽しかった。

2012年03月02日 23時59分59秒 | その他
2月17日(金)~19日(日)に沖縄に行ってきた。
目的は、9月に台風で中止となってしまった野外コンサートへの参加、中日ドラゴンズのキャンプ地訪問、あとは観光、できればコミュニティFMなどの現地受信ということで、のんびりするつもりだったが結構ハードな内容だった。

帰ってきてから、いろいろ整理して書こうと思ったが、公私ともに忙しく、やらなければならないことが多くあって、ちょっとうんざり、いろいろあってなかなか書けなかった。まぁ、ちょうどいい時に行ってこれたものだ。

2月17日(金)
2005年2月17日の中部国際空港開港から年目の記念日、特にそういう意識はなかったが、「中部空港なう。」とつぶやいたところ、開港記念のイベントに参加するのかとリプライをいただいてしまった。
荷物検査でカバンにいれておいたペットボトルをしっかりチェックされてしまった。
中部8:30 → 那覇11:00 ANA301便 

沖縄は曇っていて今にも雨が降り出しそうで、暖かくはなかった。
レンタカー、1人だったのでSクラスを頼んでおいたが「わ」ナンバーの青色ヴィッツだった。
まずは昼飯と思ったが、特に調べて行かなかったので、どこにどう行ったらいいのかさっぱりわからず非常に焦った。 沖縄まで来て焦っていてどうするのと思いながらうろうろ走って、何とか沖縄そばの店を見つけることができた。ソーキそばを食べたが、豚の角煮の大きなものが4つくらい入っていて、結構お腹がふくれてしまった。どこの何というお店だったかも覚えていないが、代金を払おうとしたら、「いつもありがとうございます。」って言われて、えっ~と思った。
お腹さえ満たされれば、あとは沖縄自動車道をひたすら北へ終点まで、なぜか西原JCT近くまで来ていて、ここから約1時間のドライブだった。
許田ICで降りて、道の駅で休憩、ここでサーターアンダギー(沖縄風ドーナツ)やシークワーサーの干したものなどを買い、観光地へ。
雨がパラパラ降りだして暖かさもなく、家から着てきたジャンパーなどは着たままで十分だった。
最初は、パイナップルパークへ、自動運転のカート「パイナップル号」に乗り込み、パイン畑やトロピカルガーデンを1周、降りてから貝類の展示やパイン工場やワイン館へ、飲酒運転になってしまうのでワインの試飲は全くできずorz、それでもパイナップルの食べ放題があってたくさん食べておいしかった。
次に、OKINAWAフルーツらんどへ、フルーツゾーンでマンゴー・パパイヤ・ドラゴンフルーツ・パッションフルーツなどを見たり、チョウゾーンでは、オオゴマダラの金色のさなぎを見たり、バードゾーンでゴシキセイガイインコなどの大きなインコを何種類も見たりした。最後のショッピングゾーンで、ハイビスカスティ~を試飲させてもらったり、いろいろなお菓子を試食させてもらった。
その次に、せっかく近くまで来たのだからと思い、世界遺産の今帰仁城跡に行った。雨がパラつき風も強かったが上のほうまで登って行ってみた。まだ発掘調査が続いているとのことだが、いつ頃誰があのような石垣を作ったのか、不思議な感じだった。時間も無かったので今帰仁歴史文化センターはパスせざるを得なかった。
古宇利島まで行くといいよと言われていたが、これも時間の関係で無理だった。
そして、この日最後の観光地の美ら海水族館へ、午後4時からは入場料が3割引きだった。いろいろな水槽を見て回った後、一番大きな黒潮の海の大水槽でバカデカいジンベエザメ3頭やマンタなどを下から上へ見た。午後5時からの給餌解説を見ることができて大満足ビームだった。
そこから名護まで海沿いの国道をドライブ、海に面したリゾートホテル泊。海が青くて、もう少し暖かかったら海辺まで行きたかったが、風雨が強くて寒くてそんな気分にはなれなかった。
ステーキを食べた後、部屋でコンビニで買ったオリオンビールを飲みながら、自宅では聞こえないラジオ沖縄の「いつかのラジオデイズ」を聴いたりして健全な夜を過ごした。

2月18日(土)
朝から海沿いの国道をドライブして南下、中日ドラゴンズの2軍のキャンプ地の読谷村の平和の森球場へ、近くまで行ったところカーナビが一方通行の道を逆走する案内ばかり出して焦ったが、自力で何とか多目的広場までたどりついて駐車した。老人がゲートボールをしていて、野球場はどこだろうと探していたら向こうからドラゴンズの選手がランニングをしてきた。外国人選手かと思って声をかけたら平井投手だった。あとをついて行ったら野球場があって、1塁側の柵越しにしばらくボ~~~っとファーム組が練習をしているのを眺めた。
そこからまた南下して、今度は1996年から中日ドラゴンズがキャンプをしている北谷球場へ、この日はちょうど名鉄観光の沖縄キャンプ応援ツアー組も練習風景の見学に来ていた。
バックネット裏で、若手の堂上直リン&大島&野本Kがバッティング練習をしているのを見た。宇野コーチや平野コーチ、それに高木監督らが選手に声をかけたり、客席からの声援に応えたりしていた。ブルペンへ行けなかったのがちょっと残念だった。
そこからまた少し南下して、宜野湾海浜公園へ、入口の「歓海門」には「歓迎 横浜DeNAベイスターズ」という横断幕があり、ここもプロ野球のキャンプ地であることを知った。沖縄だけでチームくらいキャンプを張っている。ちょうどこの日は楽天イーグルスとのオープン戦も予定されており、楽天の選手が隣の広場で練習をしていた。
駐車場に車を止め、コンベンションセンターを横に見ながら屋外劇場の辺りをうろうろ、そこからラグナガーデンホテルまで歩いた。9月ならばここに泊まる予定だった。
ちょうどお昼を少し過ぎた頃からオフ会&野外コンサート、午後9時近くに那覇市内まで移動してホテルにチェックイン、さらに歩いてカラオケ店で深夜1時過ぎまでアフターオフ会、本当に楽しかった。「天使のはね」というお菓子、ふわふわだった。 

2月19日(日)
ホテルを出て、首里城公園へも行きたかったがこれもパスして南の方へ、道中カーラジオを聴いていたら、昨日コンサートに出演されていた沢田知可子さんが生出演中、終わってから出演者で打ち上げをされたそうで、また、沖縄ではジーマミー豆腐が本当においしいとも話していた。
そうこうするうちに、南城市のおきなわワールド王国村に到着した。鍾乳洞を見ていると遅くなるのでパス、そのまま売店を通り抜け順路に従ってずんずん進んで、琉球ガラス王国工房で原料を溶かしてガラス細工を作っているところや琉球ガラスのでかい皿の販売、シーサーや三線(さんしん)の展示してある王国歴史博物館、機械工房、紙すき工房、藍染工房、竹笛工房などを見て回った。竹細工工房で「ちゅらトンボ」の写真を撮ろうとしたら、お店のオバちゃんにNo Photoって英語で止められてしまった。ハブ博物公園もパスしたが、それでも記念にハブ酒とやらを買ってしまった。帰って飲んでみたら、薬用酒と同じような味でそんなにガブガブ飲むようなものではなく、毎日少しずつ飲むものだということがわかった。ちんすこう、パインカステラ、紅イモタルト、もずくうどんなどのお土産もいっぱい売っていた。
ここでかなり時間を消費してしまったので、あと、どうしても行きたいと思っていたひめゆりの塔へ、ここは1週間後には野田総理大臣も訪れていた。入口の石碑を読み、ガイドさんが説明されているのを聴いて、60年以上前の戦場の惨状に思いを馳せると手を合わせざるをえなかった。本当は平和祈念資料館の中も見学すると良かったが時間の関係でパス、お昼も近かったので隣にある土産物店兼食堂で昼食を取った。沖縄そばやジーマミー豆腐(おいしかった)や海ぶどうなどを食べて、ゴーヤ茶(苦くない)を飲んでみた。
外は晴れてだいぶ暖かくなっていた。
空港方面へ戻る途中、糸満市内の沖縄水産高校の横に車を止めて、沖縄本島最南端のコミュニティFMのFMたまんを30分ほど受信して記録した。
最後に、那覇空港のすぐ南にある離島の瀬長島へ渡る海中道路の途中で車を止めて(非常にたくさんの車が路上駐車していた。)、那覇空港へ着陸する日航機がすぐ頭上を通過して着陸していくのを下から眺めることができた。
沖縄での巨人阪神のオープン戦をカーラジオで聞きながら、ガソリンを満タンにしてレンタカーを返そうとしたが、これがまた一苦労でぐるーーーっと大回りをして返却時間ぎりぎりに返すことができた。
荷物検査、今度はちゃんとペットボトルを別のトレイに出して何の問題もなく通過。
那覇15:00 → 中部16:55 ANA306便 

無事に行くことができて、一応当初の目的も果たせて良かった。

買ってきた泡盛を飲みながら、ようやくこのブログの記事が書けたのでUP。
おしまい。

行きからずっと雲り空

フルーツらんど

今帰仁城跡

海洋公園、この右下のほうに美ら海水族館

ジンベエザメ、人と比べるととにかくデカイ

青い海、雨風が強くて寒かった。もっと暖かければよかったのに - - - 。

北谷球場

堂上直リン&大島&野本Kがバッティング練習

ネット裏、上のほうから全体を見渡す。

琉球ガラス

三線を弾きながら案内するおじさん

ひめゆりの塔
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする