ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

悪夢 ~ほっかほかバイオリン

2007年02月20日 22時31分50秒 | 日記2005-10
 こんな悪夢を見た。

 舞台は東京の新宿だとかそんな大都会の真っ只中にある大型電器店(ヨドバシカメラ?)。
 そこで昼飯を食べようとレストランに入った。店内は薄暗く、床は絨毯敷きの重々しい作りでホテルなんかにあるちょっと高級なバーの雰囲気。いずれも知り合いの若者三名とおじいさん一名と私、の脈絡の無い五名でテーブルについた。ちょっとしたおしゃべりの後、食事はバイキング形式なので各自食べものを取りに行く。
 ひと通り巡って見ると、甘いパンだとかドーナツ類が多い。料理の並んだ一角に、知り合いが手持ち無沙汰に立っていたので、どうしたのかと聞くと、サラダをとる器が無いとのこと。それじゃあ替わりに隣に置いてあるスープ用の器に盛ったら、と提案するも、店員さんがサラダ用の器を持ってくるまで待っていると言う。
 次にまた別な一角では、おいしそうな豚肉のステーキを発見。その傍には奇妙な調理器具(?)が備え付けられている。高さ50cm、幅50cm、奥行き100cmほどの結構大きな装置が床に直置きされ、底面を除く側面と上面が水槽のようにガラス張りで調理の様子がよく見える仕掛けになっている。中に料理を入れると温めてくれる、電子レンジやオーブンのイメージ。これで肉を温めてから食べてくれということらしい。
 「これにバイオリンを入れたらどうなるんだろう?」 こんな考えが閃いた次の瞬間には、手にはバイオリンを握っていた。早速 Let's try!! まずは10秒ほど加熱してみる。観察していると、楽器からモワモワと湯気のようなものが立っている。取り出してみるとバイオリンはホカホカで、水分ほか余計なものが抜けてスッキリした感じ。長年使用したものを初めて洗濯して見違えるようにキレイになったような感覚。こりゃいいや。
 「もっと長く加熱したら、もっと良くなる・・・?」 再度楽器を装置に入れ、先ほどよりも長い時間設定にしてスタート。
 と、ここで時間が早送り。
 気がつくと装置の中の楽器は、弦ははじけ飛び、ネックは取れ、本体は焼け焦げて惨々たる有様に。ここで取り返しのつかないことをしてしまったことに気づき、呆然とする。異変に気づいて駆けつけた店員さんが、楽器の残骸を装置から取り出し、申し訳なさそうな顔をしながら渡してくれた。そして傍のドアを指差してそっと一言、
 「泣くならこちらの小部屋を使っていいですよ」
コメント (3)
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【演】札幌市民オーケストラ 第63回アトリエコンサート

2007年02月19日 22時22分25秒 | 演奏記録
札幌市民オーケストラ 第63回アトリエコンサート
2007.2.18(日)14:00開演, 札幌市生涯学習センター ちえりあホール, 入場無料
指揮 中山耕一, パート Viola

ハイドン 交響曲 第63番 ハ長調「ラ・ロクスラーヌ」
ムソルグスキー(R=コルサコフ編) 交響詩「はげ山の一夜」
リムスキー=コルサコフ 交響曲 第2番 ヘ短調 作品9「アンタール」
アンコール ヨハン・シュトラウス 美しく青きドナウ

・開演前に、会場隣接のショッピングセンター有料駐車場に停めた車を、駐車料金節約のため出し入れしようと駐車場へのエレベーターを降りた所で、顔を見知った方がこちらへ歩いてくる。『たしか・・・函館オケの・・・?? しかしここは札幌・・・、あれ? 函館の人が札幌に!?』と軽くパニック。あちらも『室蘭の人間がなんで札幌に!?』とびっくりしていました(苦笑)。そんな訳でお互い、しどろもどろに挨拶。遠方よりわざわざ聴きに来てくださったとのことです。
・アトリエ:芸術家の仕事場をイメージし、舞台入場は無く、板付きで。入場前の舞台裏でボーっと待つ時間が好きではないので、助かります。ヤバイ箇所を必死でさらう。また、客席照明も落とすことなく終演までつけっぱなしでした。
・ロビーコンサート:新しい試みとして、弦楽器メンバー有志で開演前のロビーコンサートを開催。
・ハイドン:懺悔しますと、この曲の楽譜を見たのは練習1回と本番当日のみ。各パートとも譜面づらは簡単そうなので、油断があったのか直前のリハでは4楽章で見事に空中分解しました。しかし本番になってみると、そんな出来事がウソのように皆さんカッチリ弾いてました。
・禿山:先日の函館に続き連発。前回は2ndVnで今回はVa。Vaの方が大変でした。この曲のVaの使い方は『威風堂々』に通じるものがあります。2ndVnとVcの和集合。この曲で力を八割方使い果たす。お隣さんはコルレーニョ用にわざわざ弓を用意してました。私の場合六千円の弓なので気になりませんが。
・アンタール:今回の『なんじゃこれ!?』 問題の「アンタール」。アラブの詩人アンタールの物語を題材とした曲だそうです。知りません、そんな曲。演奏前のMCにて「会場でこの曲をご存知の方は手を~」と呼びかけても手は一つも挙がらず、プログラムには『もしかして道内初演でしょうか?』の文字。でも実は前半のハイドンの方がマイナーのような気がしないでもない。『シエラザード』のような作りと雰囲気の曲。時間が短めなので大きな演奏会のメインには向かず、今回のような演奏会でとりあげるのが丁度いいかもしれません。木管楽器にとっては「中央アジア」とか「ダッタン人」を彷彿とさせる長くて恐いドソロが随所にあって、楽しそうです。 弾きながら会場をチェックすると、知り合い1→寝てる、知り合い2→寝てる、知り合い3・・・ わりと激しい部分もある曲なのに。。。おっかしいなぁ。。。
・青ドナ:某ニューイヤーコンサートのように、弦のトレモロ→拍手 を期待するも上手くいかず。あの拍手があがる演奏開始の"間"って意外と難しいものなのですね。 Vaはひたすら後打ちの刻みで、精神的に疲れる曲です(私はメロディーの方が好き)。後打ちは『ウィーン風に』という打ち合わせでしたが、いまいち徹底できず半端な感じ。チェロとホルンのソロ、開演前にテンポについて確認すべきだったかも。ずれてしまった。
・ちえりあホール:適度な大きさと、残響感がイイ感じ。ステージ上で音が響きすぎるとの声もありますが、自分の中での株上昇中。
・客数約400名[目測]:客席は9割がた埋まり、配布のプログラムが足りなくなる事態に。全体的に引き締まったいい演奏だったと思うのですが、お客さんの反応はいまいち薄め。マイナーな曲のせいなのか、他に原因があるのか。
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【本】読書と社会科学

2007年02月18日 22時17分51秒 | 読書記録2007
読書と社会科学, 内田義彦, 岩波新書(黄版)288, 1985年
・経済学・社会学の大家による、読書をテーマにした講演録に手を加えたもの。単なる"読書論"という言葉には収まりきらない深い内容をたたえた本です。後半はちょっとついていけなくなりました。時間があれば二、三度読み返すべきですが。。。
・「本は読むべし読まれるべからず、とさしあたり言っておきましょう。」p.4
・「(読書)会が楽しく育ってゆくかどうか、その鍵は、参加者の一人一人がどの程度聴き上手かどうかにある、と私は考えます。」p.9
・「そこで早速第一の問題に入りますが、「読む」と一口にいっても、読み方に二通り、根本的に性格が違う読み方があると思うんです。ここ(黒板)に書いた「情報として読む」のと「古典として読む」の二つです。」p.11
・「あのベートーヴェンが、ナポレオン戦争という、ややこしい戦争のややこしさを一手にしょいこんだ感のある複雑怪奇な占領下のウィーンで、生計の基礎の安定を求めてウロチョロしている姿はほほえましくも感動的で、その面の理解を欠くとベートーヴェン理解は本ものにならないでしょう。」p.12
・「第一、小学校以来の教育が、一般に本を古典として深く読む態度と技術を教えるどころか、本とは合理的すなわち安直に読み捨てるべきものという観念と風習を身につけさせるように、事実上なっています。」p.16
・「文体の問題に話が進んだとき、加藤(周一)さんが、新聞の文体は非常にいい。他の面では日本の新聞は相当難点をもっているけれども、明快な文体を作り上げた点だけは功績として称えていい。文筆家は以って範とすべきではないか、という意味のことをいわれました。」p.17
・「古典は、第一に、一読明快じゃない。二度読めば変る。むしろ、一年後に読んで、あの時はこう読んだけれど浅はかだった、本当はこう書いてあったんだなあというふうにして読めてくるような内容をもっていなければ、古典とはいえないでしょう。」p.20
・「(森有正の言葉)シュヴァイツァにしろ、デュプレにしろ、それぞれ精密に楽譜を調べ、徹底して楽譜に忠実であった。そしてそれゆえに、彼らのバッハ演奏は、それぞれ個性的である。  楽譜に忠実でない演奏は、自己流で恣意的であっても、個性的などとはいえないということですね、いい変えると。昂奮しやすい性質でテンポがつい早まってくるなんてのは論外だ。」p.28 以前、あるソリストについて抱いた感想と同じことが書かれていてビックリ。
・「それで、さいしょ「放談の場」としてそれなりに楽しかった会が、も少し密度の濃い読書で正確にという、それ自体当然な要求が出、会をそのようにもってゆく段になってくると面白くなくなる。」p.30
・「私が、古典としての読みの意義を一方的に強調したのは、現在、本を情報として読む風習があまりにも強く一般的になってきており、古典として読む風習と技術が失われつつあると思うからです。それでは折角の情報が情報になりません。」p.32
・「学問上の発見も、創造の現場に立ってみると、じつは同じなんです。信念の支えがあって学問は生れる。疑い一般からではない。」p.45
・「次にもう一つ。これも刺激的な言い方をしておきますと、「みだりに感想文を書くな」ということ。(中略)感想文を書くこと自体を否定するつもりは、もちろん、ありません。感想文を書くために本を読むというウソみたいな本末転倒がいつしか慣れになり読書論の常識になる、それが恐いというんです。」p.50
・「私なども芝居が好きで、はねた後の友人との食事を無二の楽しみにしておりますけれども、その時でも芝居の話などすぐには出ません。雑談の合間にぽつりぽつりとようやく出てくる、といったかたちで言葉になるのが本当の感想であって、下手な感想表明は豊饒な余韻を殺す行為である。」p.55
・「そして、そこは――そこが自分に面白かったのは――何故であろうかを考える。つまり焦点づくり。あの本は、少くともこことここが――誰がなんと言おうと今の自分には――面白かったということ、これが読書の基本です。それをぬいて、「客観的」に本のスジ書きを書いたり、あるいはまた逆に、著者に内在して著者のいい分を聴きとどける努力もしないで、早急に自分の意見を著者にぶつけることをしては、真に個性的な理解に達することは決してできません。」p.61
・「自分の眼と思っても案外自分の眼で無いことは多い。通説の弊ですね。」p.65
・「そうでなくても、眼は案外に働らいていないものです。すぐ目の前にある宝が見えない。見るべきときに見るべきほどのことを的確に、誤りなく見得る敏感な眼、あるいは耳ですね、アラート・イアーという、をもつことは至難のわざです。」p.66
・「反れていないというような消極的な正確さ、誰がやっても同じというていの平板な正確さは、決して本当の意味の正確な読みあるいは再現ではありません。」p.84
・「学問を「学問として」うけとっちゃ駄目だ。ずぶの素人になり切ること。学問によりかからず、自由を希求する一個の自由な人間として、自分の眼をぎりぎり使い、自分の経験を総動員しながら学問にきく。そういう体あたりの努力によって、学問は初めて有効に身についてくるものです。」p.99
・「ところが、中国ではそうではない。「勉強」は、ここでは、無理をする、あるいは、無理を強いるという意味を有する言葉であって、学問をするとか、値引きをするとかいった用例は、現代中国語でも古典語でも、ないのだそうです。」p.122
・「要するに学問の研究(勉強)とは、何かでき上がった学問を研究するのではなくて、学問によってこの眼の働き――一般に五感の――不十分さ、至らなさのほどを自覚し反省して、その(この眼の)機能を高めながら、対象であるもの、あるいは事象を研究する。それが学問のあり方、方法でもあり、効用でもあります。」p.135
・「概念装置を脳中に組み立て、それを使ってものを見る。物的装置をもたないという心細さが残りますが、概念装置を使うことによって、肉眼では見えないいろいろの事柄がこの眼に見えてくる。」p.145
・「本を読むことは大事ですが、自分を捨ててよりかかるべき結論を求めて本を読んじゃいけない。本を読むことで、認識の手段としての概念装置を獲得する。これがかなめです。」p.157
・「何でこんな簡単なことが答えられないの。満場シーンとなっちゃって。答えは出ているんだろうが、あまり簡単すぎるんで出ている答が「答え」として出てこない。こんなにわかり切った簡単な答が「答え」であるはずがないという考慮、大学という勉強の場としては何かもっと学問らしい答が求められているんだろうという予想が働いて自由な思考を妨げる。それじゃ実験が実験になりませんね。学校勉強を外して、素人になり切ったところで考えて下さい。」p.181
・「学問は、人間があい倶に真に自由な存在になってゆくために働かねばなりません。」p.209

?カイエ【cahier フランス】 帳面。手帳。ノートブック。
?きんぎょう【欽仰】 仰ぎとうとぶこと。仰ぎ慕うこと。きんこう。きんごう。
?ジャーゴン [jargon] 1.職業上の専門語  2.たわごと
?下衆の知恵は後から[=後につく] 下賤の者の知恵は事が済んでから浮かぶ。役に立たないことのたとえ。
?ちょうたく【彫琢・雕琢】  1 宝石などをきざみみがくこと。彫刻すること。  2 転じて、文章などをねり作ること。文章をみがくこと。

チェック本 一海知義『漢語の知識』岩波ジュニア新書
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Contents of head of [pi] or phosphorus

2007年02月17日 22時26分19秒 | 日記2005-10
 たまたまこんなページを見つけました。
 Googleの翻訳機能。

http://translate.google.com/translate?hl=en&sl=ja&u=http://blog.goo.ne.jp/picarin2005/
※表示に少し時間がかかります

 なんと、『ぴかりんの頭の中味』が一瞬で英文に! 訳はメチャクチャですが、なんかカッコイイ。一人で喜んでおりますが、もしかして皆さんにとってはとうの昔に常識なのでしょうか。
 題の訳が『Contents of head of [pi] or phosphorus』に。なんのこっちゃ!?  どうも『ぴかりん』→『"ぴ"または"リン"』と解釈されてしまったようです。
 他にも上のブログURL部分を書き換えるとか、
http://www.google.com/webhp?hl=en
のページで日本語で検索をかけて [ Translate this page ] のリンクをクリックするとか、
http://www.google.com/language_tools
のページを使うことでいろいろ翻訳できます。
 一番上のURLを、例えば『英語→独語』翻訳にぶち込めば、日本語→英語→独語 翻訳なんてできるかと思ったけど、そこまではまだ出来ないようですね。。。

 しかし、便利な世の中。


(※写真は本文とは関係ありません)
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【論】Khan,2001,Classification and diagnostic predic~

2007年02月17日 16時42分47秒 | 論文記録
Javed Khan, Jun S. Wei, Markus Ringnér, Lao H. Saal, Marc Ladanyi, Frank Westermann, Frank Berthold, Manfred Schwab, Cristina R. Antonescu, Carsten Peterson & Paul S. Meltzer
Classification and diagnostic prediction of cancers using gene expression profiling and artificial neural networks
Nature Medicine 7, 673-679(2001)
[PDF][Web Site]

・ガンの診断へのAritificial neural networks (ANNs)の応用。
・データ:SRBCTs (small, round blue-cell tumors), 6567 genes, 88 samples (63 training + 25 test), 4クラス(EWS,RMS,NB,BL)に分類される
・ランキング上位96遺伝子のときに、クラス分けの結果は最適(エラー率0)になった。

・問題点「However, despite the many statistical techniques to analyse gene-expression data, none so far has been rigorously tested for their ability to accurately distinguish cancers belonging to several diagnostic categories.
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@酔 卒論発表打ち上げ

2007年02月16日 22時46分29秒 | 日記2005-10
 本日は私の所属する研究室の学部生卒論発表会でした。只今打ち上げより帰還! 4研究室合同、約50名の飲み会。平均年齢20代前半の野郎どもなもんだから、食物は来た瞬間消え失せる戦場です。
(でも一番飲んでいたのは私かも…)

★印象的な発表について
1.携帯電話で簡単レシピ
『今夜のおかず、どうしよう…』なんて、特に主婦の方ならだれもが経験したことがあるはず。そんなときスーパーにて携帯電話をピピッといじると、今夜の簡単オススメレシピが!! 簡単にできておいしくて栄養バランスもいい! みたいな。
 大学での研究というと'真面目'だとか'正確さ・厳密さ'が要求されがちなイメージですが、それを逆手にとって'てきとー'なものをオススメする、という新たな視点。'迷う'というのが機械には無い人間の特質ですね。それをコンピュータに載せようという発想。私自身、発表を聞き逃したのですが、人づてに聞いた話。

2.楽譜情報解析
 個人的に一番興味を覚えた。なぜなら同じようなことを考えていたので。言語(文章)解析というのはかなりやられていますが、楽譜情報のコンピュータを使った解析なんてまだあまりやられていないのではないかと。オーケストラのフルスコアなんて情報の宝庫だと思うのだけど。そもそも離散化されており、かつ静的なものなので計算機との相性もよし。モーツァルトっぽさ、だとかベートーベンっぽさなんていう特質の抽出が可能? 音楽理論&計算機の知識を兼ね備えた人間ならいける!?

3.Googleの台頭
 いわゆる『ググった』結果、が研究対象になりえる。時代の流れを感じる。

★その他 メモ
1.スライド(PowerPoint)多すぎる。たかが10分の発表に30枚とか多すぎ。せいぜい1分につき1枚が聞いてて理解できる限度。OHPからPowerPointに発表形式が変わった弊害。
2.芋もち←札幌~室蘭。だが道東の呼び名は→芋団子
3.フレンチドック→道東では砂糖がデフォという衝撃の事実。ありえねぇぇー!!
参考:http://www.its-sap.co.jp/column/column/se056.html
4.毛ガニ←あんなものは身を食うものではなくダシ専用だ!!(ある根室出身者の暴言)
5.チャリでこけて指の骨3本折りました。後輩(女子)の武勇伝。
6.会場の居酒屋のバイト君もうちの学科の子だったり。
7.先日の豆まきツアーの模様はわざわざビデオ撮影していたとのこと。「いりますか?」って、いりません。
8.先日の修論発表を見にきた某企業の方の感想。「(某)H大よりしっかりしてますね」
9.卒論は後輩達が使う研究のマニュアル。後輩が読むことを意識に入れて、余す所無くしっかり書くように!
10.「この研究室に入ってよかったです」ある学生の最高にうれしいお言葉。
コメント (2)
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【本】働くことがイヤな人のための本

2007年02月15日 22時13分30秒 | 読書記録2007
働くことがイヤな人のための本, 中島義道, 新潮文庫 な-33-3(7419), 2004年
・カバー紹介文より「「仕事とは何だろうか?」「人はなぜ働かねばならないのか?」「生きることがそのまま仕事であることは可能か?」――引きこもりの留年生、三十過ぎの未婚OL、中年サラリーマン、元・哲学青年の会社経営者といった人物との架空対話を通して、人間が「よく生きること」の意味を探究する。仕事としっくりいかず、生きがいを見出せない人たちに贈る、哲学者からのメッセージ。
・中島道義、二冊目。前出書ほどのインパクトはありませんでしたが、著者のパワーは相変わらず。内容についてはいまいちピンとこなかった。私も冒頭で『さようなら』と言われるうちの一人なのでしょう。おまけのストライク。
・「ということは、本書は私と異なった感受性を持つ膨大な数の人には何も訴えることがないのかもしれない。それでいいのだ。そうした一人であるあなたは、この本を読む必要はない。  さようなら。またいつか、どこかでお会いしましょう。」p.8
・「自分がたまたま生まれてきて、そしてまもなく死んでしまう意味を知りたいのだ。これほどの不条理の中にも、生きる一条の意味を探り当てたいのだ。充実して生きる道を探しているのだ。それが、何にも増していちばん重要なことなのだ。  それは自分の(広い意味における)仕事を探していることにほかならない。」p.17
・「同類が増えてたいそう心強く、私の本心なのだが、もっともっと引きこもりが増大してほしいと思う。なぜなら、彼らのうちで少なくとも真剣に考えている者は、人生における本質的なものを見ているように思えるからだ。」p.17
・「そこで、プライドを維持するために、彼らは不戦敗という道を選ぶ。戦わないことにするのである。戦うと負けるかもしれないが、戦い自体を拒否してしまえば、致命傷は負わなくてすむ。」p.22
・「おびただしい人々が芸術家に憧れるのは、私の考えでは、好きなことができるということのほかに、まさに社会を軽蔑しながらその社会から尊敬されるという生き方を選べるからなんだ。」p.27
・「だが、私が言いたいのは、このいずれでもない。もっと身も蓋もない事実である。すなわち、人生とは「理不尽」のひとことに尽きること。思い通りにならないのがあたりまえであること。いかに粉骨砕身の努力をしても報われないことがあること。(中略)そして、社会に出て仕事をするとは、このすべてを受け入れるということ、その中でもがくということ、その中でため息をつくということなのだ。」p.40
・「「自分のやりたいことがきっと何か一つあるはずだ」というお説教は、正真正銘の嘘だ。ほとんどの人は、目を皿のようにして探してもそんなものは見つからない。」p.53
・「一握りの成功者のことなどどうでもいいのだ。そういう者の成功の秘訣をいくら読んでもあなたは成功しないであろう。」p.58
・「カミュが愛用していたニーチェの言葉がある。それは「私を殺さないかぎり、私はますます強くなる」というものだ。(中略)人生の目標がはっきりしており、しかもそれは実現されなくてもよいのだと悟ったとたん、きみは何をしても失敗することはない。」p.65
・「タコ焼き屋でも、ラーメン屋でもいい。仲間に負けてもなんともないのだったら、それは厳密には仕事ではなく趣味だ。」p.71
・「成功者は、ちょうど幼少から愛されつづけてきた人のように気持ちがおおらかでみずからの才能をよく知っており、魅力あふれた人が多い。みずから運命の女神の寵児であることを知っているがゆえに、ますますこだわりのない自由人になってゆく。だが、失敗者は、ちょうど愛されないで育った人のように気持ちがさもしくみずからの才能を直視せず、魅力に欠ける人が多い。みずから運命の女神に見放されてきたことを知っているがゆえに、ますますひねくれた不自由を背負ってゆく。  こうして、成功者はますます成功する要素をそのうちに育ててゆくのに対して、失敗者はますます不成功の要素をみずからのうちに沈殿させてゆくというわけだ。」p.84
・「ある程度考えたら、もうあとは動きだすよりほかはない。仕事に対する適正を知りたいのなら、仕事につくよりほかないのだ。」p.100
・「危険がなく、責任もとらなくてよく、ひと聞きがよくて、しかも暗い職業は何か? ああ! それこそ哲学者なのだった。しかも、哲学でメシを食っていける唯一の職業は、大学教師なのだ。」p.104
・「このままずっと、軽薄に軽薄に何も考えずに行きつづけよう。死が恐くなくなるほど、徹底的なアホになろうと意図した。」p.113
・「私のまわりの作家志望の若い人々には、自分が純粋だから社会に適応できないと思い込んでいる人が多いんです。そのじつ、全然純粋ではないのに。」p.129
・「そんなときMさんは「お釈迦さまは誰もいないところでも説教した。誰もいなくなってもいいんだ」と言ってくれた。」p.138
・「私は自分ほど不器用な者はいないと思っている。そして、その不器用さを利用することにかけては、これほど器用な者もいないと思っているんだ。これは、50歳になってやっと言えることだけれどね。」p.142
・「ただ誠実にやっていれば報われる社会、そんな低級な社会はおとぎ話の中だけでたくさんだ。  理不尽であるからこそ、そこにさまざまなドラマを見ることができる。」p.150
・「B ところで、先生はなんで無用塾を開設したんですか?
 もう開設から四年になるが、その当時私は学問とは別に哲学する場が欲しかった。哲学研究者になるのでもなく、サロンでもない、しかも本物の哲学をする場を作りたいということであった。
」p.166
・「人間は死ぬとずっと死につづけるのだ。一億年経ってもその一億年倍経っても生き返ることはないのである。やがて、人類の記憶はこの宇宙から跡形もなく消えてしまうのである。」p.178
・「よく生きるとは、第一に真実をめざして生きることにほかならない。真実は、この場合、外的真実のみならず内的真実(信念)をも含む。そして、その要に死が位置する。」p.184
・「基準は、いまや金になる仕事から金にならない仕事に移行している。」p.187
・「他人のために時間を投げ捨てることはないのだ。自分のためだけに贅沢に時間を使えばいいのだ。」p.191
・「プラトンは哲学は50歳からと言った。」p.194
・「表面的に健康な世間において問うてはならないとされている問いを抑えつづけることはその人を病的にし、逆にそれをとことん正確に言語化することはその人を健康にするんだよ。」p.197
・「偶然産み落とされて、運命に翻弄され続け、そして理不尽な評価を受けつづけ、そしてあと少しで死んでしまうこの人生の不条理は、よく考えると不幸そのものだということ、このことに鈍感であっては哲学の適性はないだろう。この残酷さを直視しようとしない者は哲学者にはなれないだろう。」p.198
・「だが、次第に哲学者には二つの意味があると思いはじめている。一つは、カントやニーチェのように「哲学狂い」とでも呼べる大天才たちをはじめとした専門哲学者。(中略)だが、もう一つの哲学者がいるのではないだろうか? その人生への態度が哲学的な人々である。(中略)この意味での哲学者を、ここではギリシャ語の「フィロ(愛)=ソフィア(知)」という語源に従って「愛知者」と呼ぶことにしよう。」p.198
・「「生きる」という仕事は、ありとあらゆる仕事より格段に価値がある。ただ、すべての人が生きているから、この楽しく・苦しく・充実していて・虚しい仕事も評価されないのだね。」p.202
・「私はごまかして死ぬことだけはしたくないと思っている。モルヒネで朦朧となったまま息を引取ることはまあしかたないであろう。しかし、精神的なモルヒネを大量に投入して、思考を停止してしまい、「これでいいのだ」とか「みんなありがとう」とか呟いて死にたくはないのだ。」p.206
・「このまえ21世紀に突入したが、100世紀には世界は、人類はどうなっているんだろう?」p.207
・「父は人格的には貧寒だったと思うが、80歳を過ぎても旺盛な知識欲があった。「学生時代に読めなかった長編を読もう。まず『チボー家の人々』を読もうかな」と私に語ったことがある。」p.209
・「その人が死んでも誰ひとり悲しまない死に方はいいもんだ。はじめからその人が生きていなかったように、死んでしまうのはいいもんだ。」p.212
・「この世が生きて甲斐ない所だと心底から絶望することもまた、すばらしい死の準備である。(曾野綾子「三秒の感謝」朝日新聞)」p.212
・「人はなぜ働かねばならないのか? この問いに、私はいまだ明確な回答を与えることができません。」p.215
・以下、解説(斎藤美奈子)より「なんだかグチャッグチャした本だなあ。これではよけいドツボにハマっていくじゃんか。それが本書をはじめて読んだときの、ウソ偽らざる感想でした。」p.217
・「この本がグチャグチャして見えるのは、社会のしくみの話ぬきで社会との接し方について語ろうとする、その根本的な矛盾に由来するように思います。」p.220
・「だけど、そうだとしたら、この本のタイトルは適正ではないかもしれませんね。正しくは『賃労働者として働くことがイヤな人のための本』。副題は「賃労働ではない仕事とは何だろうか」。」p.222
・「<哲学者なんて(と差別的にいうが)、労働者としても生活者としても、もともと失格なわけですよ。じゃないと哲学者にはなれないし、失格だが、人類の貴重な文化財だから社会が特別に保護してやっているのである。そんな保護動物みたいな立場の人が、他人の悩みに首をつっこむなど、トキがパンダの心配をしているようなものである>(斎藤美奈子『趣味は読書。』所収)」p.223 どういう方か存じませんが、鋭い方ですね。センスを感じる。興味津々。

チェック本 斎藤美奈子『趣味は読書。』、『冠婚葬祭のひみつ』岩波新書
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【論】Xing,2001,Feature selection for high-demensio~

2007年02月14日 20時11分28秒 | 論文記録
Eric P. Xing, Michael I. Jordan, Richard M. Karp
Feature selection for high-dimensional genomic microarray data
Proceedings of the Eighteenth International Conference on Machine Learning, (ICML2001).
[PDF][Web Site]

・遺伝子抽出法の提案
・データ:ヒト, 白血病(ALL/AML),72サンプル, 7130遺伝子 [Golub.1999]
・遺伝子抽出法:Markov Blanket filter [Koller and Sahami,1996]を改良
・クラス識別法:1.Gaussian classifier, 2.Logistic classifier, 3.Nearest neighbor classifier

・抽出法「Our approach is a hybrid of filter and wrapper approaches to feature selection.
・「Wrapper algorithms can perform better than filter algorithms, but they can require orders of magnitude more computation time.
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【練】ひとりぼっちでトゥーランドット

2007年02月13日 22時20分11秒 | 練習記録
♪ブリランテ練習 2007.2.12(祝月)13:40-16:50@札幌南区民センター2階視聴覚室

 実家から最寄りの区民センターなのに今回初めて足を踏み入れた南区民センターにて、3/20のオケ公演の練習と平行して行われた、7/29のオペラ公演の譜読み練習。ある予感があったので、他団体の練習はさておきそちらに顔を出しました。

 バイオリン参加者:ぴかりん   以上一名

予感的中。1st、2nd合わせた数です。他はVa-2、Vc-3名、管ボチボチで総勢15名ほど。来る予定だったコンマス君も結局これず、オペラ『トゥーランドット』を最初から最後まで一人で全曲弾ききりました(いや、弾いてないけど)。通りすがりなので、もちろん何の準備もなく、過去に弾いたことがあるはずもなく、、、ここまでシンドイ状況ってなかなかありません。
 しかし、難しいとは思っていましたが、想像を絶する難しさでした。前回の『友人フリッツ』とは桁違い。♭6つ&7~9ポジの音域&ハイテンポ、なんて無茶な箇所がチラホラ。。。その難易度と長さ(量)を考えると、マーラー5番が楽に思えるほどです。これを弾きこなせる人間がアマチュアにいったいどれだけいるのか。。。 私程度のレベルでは、まともに第1ページ目から練習しだすと、ある程度弾けるようになるまでに数年かかりそうです。やるとするなら、まずは音譜を捨てる作業でしょうか。
 ほんまもんのネッスンドルマが弾けるとは思いませんでした。いい経験になりました。もう思い残す事はありません。ブリランテの皆さん、幸運を祈ります。(エエエー!?)

♪ブリランテ オーケストラ公演 2007.3.20(火)@札幌サンプラザ
♪ブリランテ オペラ公演『トゥーランドット』 2007.7.29(日)@札幌サンプラザ
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 その後、西区オケ末廣先生練習・夜の部へ参加。
 末廣先生の心に残る言葉がありました。

「音楽を、楽しくすることと厳しくすることは両立可能ですよ!!」
楽しくて厳しい音楽をやりましょう!


どうも、「楽しい」ことと「あまく・いい加減に」という言葉を混同してしまいがちな、我が身に突き刺さるお言葉でした。

宿題 『シベ6は暗譜すること(次回練習で落ちないこと)』 ・・・グハー
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そんなこんなで、5団体・6つ・一日あたり約6時間×3日間のオケ練習行脚をどうにか無事に終えました。帰りは吹雪の中、ツルツル路面を運転。つかれたつかれた。腰・右腕に違和感。そして出費は食事代・ガス代・高速代あわせて5千円ほど?? しかしそこで得た経験は、"Priceless." これが解答。
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【本】コンピューター・グラフィックスがひらく 現代数学ワンダーランド

2007年02月12日 17時50分48秒 | 読書記録2007
コンピューター・グラフィックスがひらく 現代数学ワンダーランド, アイヴァース・ピーターソン (訳)奥田晃, 新曜社, 1990年
(THE MATHEMATICAL TOURIST : Snapshots of modern methematics, Ivars Peterson, 1988)

・数学読み物。数論、トポロジー、多様体、フラクタル、カオス、ライフゲーム等々の話題について。一般向けに書かれているようですが、これらのキーワードを聞いてピンとこない、まったくの数学初心者にとってはつらい内容ではないでしょうか。理工系の大学生程度の知識が必要だと思います。
・アメリカ独特の回りくどい言い回しも少々しんどい。
・「たとえば、コンピューター・サイエンスは、アルゴリズムの研究を行うものと考えられる。すなわち、与えられた問題群を解くための方法と手続きの研究である。料理の場合は調理法がアルゴリズムで、これに従うことで、あれこれの材料から美味しいケーキができ上がる。数学者にも調理法がいる。」p.16
・「最近になって数論は、その数学世界の私室から出て、社会的な問題に対するきわめて重要な役割を果たすようになってきた。昔の数学者のこの高等な遊びは、暗号化やコンピューター安全保護システムに重要な応用があることが分かったのである。」p.22
・「現代の暗号システムの安全性は、素数を判定するのはどのくらい簡単かという問題と、ランダムに選ばれた大きな数を因数に分解するのはどのくらい困難かという問題の、対になった2つの問題に依存している。どちらの問題も明確な答はまだない。」p.30
・「数学の世界では、演繹が普通で、これによって1つの定理すなわち論理的な真から、もう1つへのホップ・ステップ・ジャンプが導かれるのであるが、これに絶対的に頼ることは数論ではできないのである。」p.34
・「オーストラリアの数学者であり、論理学者でもあったゲーデルは、公理のある集まり、たとえば、ユークリッド幾何学や無限集合の理論の基礎にあるような公理の集まりが導き出す数学的体系には、その公理群をもとにして、正しいことを証明することもできないし、正しくないことも証明できないような命題があることを示した。したがって、定理には決定不可能なものがあり得ることになる。(中略)不確定性が数学に内在している!」p.41
・「物理的に考えられるどんなコンピューターも、このような法外に大きい数を扱うことは決してできないだろうが、それでも、数学者はその性質を推論することができるのである。」p.43
・「しかしながら、Nが2^193-1のようになると厄介である。最小の素因数13,821,503は、まあまあ見つけられる。Nの第2番目の素因数は、これよりずっと遠くのどこかにある。コンピューターが1秒間に10億回の割算を実行できるとして、2^193-1の第2番目の因数を見つけるのには35,000年以上かかることだろう。数学者のポメランスとワグスタッフの新しいアプローチと相当な努力によって、  N=13,821,503×61,654,440,233,248,340,616,559×14,732,265,321,145,317,331,353,282,383となることが初めて示された。ここで各因数は素数である。」p.55
・「分子生物学者は、DNAがとりうる様々な形態を理解するために、結び目理論を用い始めている。結び目理論の最近の発展によって、DNAが、複写や組み替えの間に、どのように結ばれたり繋がったりするか、また、切ったりくっつけたりする仕事を行なう酵素が、その機能をどのように実行するかを調べることができるようになってきた。」p.116
・「フラクタル概念はまた、古い実験結果で当時説明がつかなかったもので、くずかご行きの運命にあったものを改めて新しい目で眺めたり、かつてはあまりにも複雑にみえたので無視してしまった問題を再検討したりできる希望を、科学者たちに与えている。今や物理学者や他の研究者は、以前に困惑させられた多くの結果が実はフラクタル幾何学世界を映し出していることを認めている。この概念によって、見たところ複雑な問題で比較的簡単になるものがいくつかある。」p.201
・「カオスの技術的な定義は、日常に使う意味と微妙に関連してはいるが、「無秩序のただ中に存在する秩序」というものである。この定義は普通に使うのと対照的であって、普通我々はカオスということばによって、完全な混乱あるいは偶然がすべてであるような状況を指す。」p.217
・「新しい数学が古い数学から、古い考えを新しい見方のもとで、曲げたり折ったり広げたりし、新しい定理で古い問題を照らして、できていく。数学をするというのは見知らぬ山野を散策するようなものだ。下の方に美しい谷間が見えるが、下る道はあまりにも険しいのでもうひとつ別の道をとる。そうするとわき道にずっとそれてしまう。突然に景色が変わっていつの間にか谷間を歩いている。(ノーウッド「抽象の世界から」より)」p.327
・以下、訳者あとがきより「とはいえ、著者のピーターソン氏自身は数学者でないので、数学をするとはどういうことか、というところまでは深く入りこんでいない。広い範囲にわたってのスナップ写真を沢山見せてくれているのが、この本の特徴であるといえる。」p.336
・「正直いえば、数学の真の美しさは、どうがんばってみても数学者にしか分からないのかもしれない。それでも、音楽の専門家でなくても音楽が楽しめるように、数学を楽しむことができないものだろうか。それがこの本の願いである。」p.336
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