ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

ダヴィンチ・コード論争!?

2006-06-05 23:55:56 | Weblog
先日書いた「ダヴィンチ・コード」のレヴューですが、同じものを
「映画生活」と言う映画鑑賞の感想を投稿するサイトにも上げています。

そうしたら、週末のうちに凄い論争になってたのです!

興味ある人は眺めてみたら?
ダヴィンチ・コードが何故論争を巻き起こすかの一片が垣間見れますよ。

映画生活 ダヴィンチコード
http://www.eigaseikatu.com/imp/14925/200381/

キリスト教徒の方からは「聖書は都合の良いように書き換えられてなどいない!」
とか「聖杯なんてことは聖書には一言も書かれてないとか」

聖書に書かれてないから・・もうそういうの勘弁してください(笑)
そういう調子で自由で寛容な発想が狭められてきたんだもんね。
聖書がすべてという考え方は本当に改めてくださいよ。

次は「日本の皇統の秘密」について、
そんなことを日本で表現したら死人が出ますよ!気をつけなさい!なんて
お節介を書いてくれる方・・。

そんなことをあえて書く人こそタブーを神聖化させていく張本人!

そんな社会になってほしくないですから、お節介と称して威圧するのはやめてください!

昔あったような天皇を語ることの異常なタブーは振り返れば随分なくなったもんだな~
とあらためて思うこの頃。

今回この映画のレヴューに天皇制を絡ませたのは、
キリスト教徒が必死になって守る体制ってものを眺めていると、
日本の場合だと国体護持と必死に守ってきた天皇制とダブって見えたからなんですね。

この映画の底辺には、現在のアメリカのキリスト教保守派の影響力がどんどん浸透して
いることへの反作用があると思うのです。

それに対し映画を作って意見をしてるんですよね~、
やっぱりアメリカは凄いなって思います。

日本では到底まねが出来ないでしょ?
まだまだ子供だなって思っちゃいます。

宗教にしても天皇制にしても必要な部分はあるだろうけど盲目に信じてはならないよね。

主体は自分でしょ?そして社会を構成しているのも自分たち。

誰か指摘してくれた俺の主題をもう一度改めて問いたいと思います。

タブーを乗り越えていく自由さ、そういった自由な発想や意識に対する恐怖とは
何なのでしょうかね?

私たちは、過去いろいろな嫌悪感から来る差別や固定観念による差別について、
乗り越え、理解し、改めてきたと思います。

これからゲイの問題だって今までのようにタブーで封印されていたものが破れ、
どんどん社会問題化していきますよね。

ゲイ個人が背負うだけの問題じゃないことに社会も気づかざるを得なくなるでしょう。

そのとき、それぞれの人たちの体制?が揺らぎ、問われ始めるのです。

意地を張らない大きな器、寛容さが求められるのだと思いますがいかがでしょう?

コメント
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